その日、アニマがため息まじりに夕暮れ時の空を見上げると、星でも月でもなく、淡くぼんやりとしたオーロラのような印が輝いていた。印は何かの文字のようで、シュガーもその印を認めるとその瞳が爛を輝く。アニマはそれが何なのか、想像がついてしまい、悲嘆に胸がドキドキと高鳴ってしまう。そして、確信を得るためにシュガーにそれとなく尋ねる。不安げな声で。

シュガーが言うには、ハデスサインは冥府の手引きによって時空の境界が曖昧になる前触れであり、昼夜が逆転する逢魔が時より翌朝まで、異界へと飛翔するに好適な夜を示すのだ。アニマはついにその時が来てしまったのか、と、言葉もなくシュガーを見つめてしまう。

アニマは寂しくなるね、とだけ呟く。

アニマはシュガーに元気よくスマイルを返すと、シュガーはぽんぽんとアニマの頭をなでてやる。アニマは嫌がる様子もなく、ただ黙って、なでられるままにされていた。

その夜、シュガー達のパーティはいつもと変わらぬ夕食をとり、静かに就寝した。シュガーもアイリスに別れの言葉を交わした。夜は更けていき、澄み渡った空の星々はきらきらまたたいていた。いつまでもシュガーと話していたいアニマであったが、もう寝なさいとたしなめられてテントの中の寝床につく。それでもアニマは夢の中で平家の怨霊達の竜宮城を訪れることにした。平家の怨霊たちと別れの言葉を交わす、お礼の手紙を手渡すために。

冥界の海の底、青い光差し込む竜宮城に訪れたアニマは、平家の怨霊達は久しぶりに故郷に帰れるとあってか、少々浮ついているように思えた。嬉しそうな彼等の姿と、また、彼等がアニマと別れることを寂しがる姿を見ると、アニマは己の胸を傷がうずくような気がした。

アニマが最初に向かったのは安徳帝の霊の御座である。安徳帝の霊はアニマがこの一揆の最中にシュガー以外では最も長く時間を一緒に過ごした友達である。その御座への道すがら、アニマの脳裏に安徳帝の霊と一緒に過ごした様々な光景が閃いては消えていく。アニマが安徳帝の部屋を覗いてみると、安徳帝の霊は、知盛の霊、知章の霊ととともに宇宙の銀河団の図表を広げ、これから向かうであろう宇宙旅行について語り合っていた。

アニマは声をかけるのも憚られ、しばしその後姿を見つめていた。するとアニマの気配に気がついた知章の霊の目配せをうけたのか、安徳帝の霊が振り返る。

安徳帝の霊はアニマの手を引いて部屋の中に招き入れ、アニマに一つのつづらを見せる。

アニマが箱を開けると、着物や金品や冥府の食べ物が入っていた。

アニマはしばし言葉もなかったが、寂しそうに微笑む安徳帝の霊の顔を見つめると、姿勢を正して安徳帝に向き直り、深く頭を下げてお礼を述べた。これまでとてもとても楽しかったこと、一緒に眺めた木々の葉の緑の色、花畑の蝶々のことをよく覚えていること、トロイアの老王夫妻に一緒に出会えたこと、安徳帝の銀河の旅がまた実り多きものであることを祈ること、それを元気よく言葉にして伝えたのだった。

安徳帝もしっかりとアニマの瞳を見つめて言葉を続ける。だからアニマはニッコリと笑顔を作る。安徳帝の霊の手をとって精一杯の言葉を伝えた。

安徳帝のうなずきを得たアニマは、続いて、日頃からお世話になってきた他の平家の怨霊達を巡ってはお礼の言葉と伝えて回ることにするのだった。

アニマは思い出す。知盛はこの度の一揆においても平家側の総大将として戦ってきたのだ。トロイア勢との怨霊合戦や王城側エンブリオとの戦闘においても、シュガーは常に知盛に助言を求め、また知盛は兵站や情報収集にも参画してきた。知章は常に父の傍らにあってその右腕としてサポートを続けてきた。現世では一の谷でバラバラになってしまった父子ではあるが、今回の一揆は最後まで共に戦って来れたのだ。

アニマは資料の山の前にして感嘆のため息をもらす。知盛の霊のそのよく日に焼けた口元がニヤと笑う。さすがは知勇兼備の平家の総大将だ、と、アニマは素直に感心してしまうのだ。アニマは丁寧にこれまでのお礼を述べ伝え、手紙を手渡す。

元気よくアニマが応えると、知盛の霊も知章の霊もそれがよいと頷き合っていた。

アニマが次に向かったのは修練場であり、そこには重衡、教経、忠清、景清といった平家の武将達が、弓馬の訓練を行っていた。重衝はトロイア側との（偽）一の谷の合戦の大将であり、劣勢の手勢を鼓舞し大手を守って戦い抜いた。教経は平家でも抜きん出た剛を誇り、（偽）一の谷では絡め手の防御を担当し、シュガーとともに重衝の元に駆けつけたのだ。忠清、景清はトロイアの英霊と渡り合い、景清はパリスとの一騎打ちを挑んだ。彼らは平家の怨霊でも精鋭の戦士たちである。

アニマはこれまで教経に弓や槍といった武芸を習ってきた。その訓練が中途で終わってしまうのはアニマにとっても残念なことだ。

力強いアニマの宣言に平家の戦士たちもうむと頷く。アニマには妙な確信があった。己は今後も武術を学び、いずれは彼等と同様に戦士になるのだと。

アニマが次に向かったのは竜宮城の室内で催される歌会や楽の場であり、教盛、経盛、敦盛、通盛、忠度、経正、清貞、清房といった怨霊達が、歌を読み交わし、笛や楽器の練習をしていた。そこにはアニマと一緒に琴の練習を行っていた女房達もいて、アニマは彼等にお礼とお手紙を渡して一緒に最後に楽を弾き、歌を読んだのだった。

そこに小松家の貴公子達も加わる。維盛と行盛は舞を舞い、資盛と行盛は歌を読み、清経は笛を奏でる。アニマは思う。生前は兄弟バラバラとなり暗い結末を迎えた彼等だが、今度の一揆では、（偽）一の谷、（偽）屋島、トロイア城塞周辺での陸戦、新王パラダイスとの決戦、と、最後まで共に戦いぬくことができた。トロイア勢との戦いにしても、パラダイスとの決戦にしても、結局のところシュガーと平家の怨霊は勝利することはなかったが、それでも、今日ここで兄弟がそろって伎楽に興じられているのだ。

アニマは思った。それもまた怨霊拳の継承者による平家な怨霊の慰撫なのであろう。アニマは彼等の演奏や演舞に惜しみのない拍手を送り、または舞や楽に加わって共に楽しんだ。何度もお礼を述べ、そして彼ら一人一人に手紙を手渡したのだ。

続けてアニマは竜宮城の外苑へと向かった。そこで宗盛と清宗の霊が魚取りをしていると聞いたからである。そこに向かったアニマは果たして宗盛と清宗の霊に出くわす。平家の総帥とその長男である。清宗の霊は恭しく一礼をよこし、宗盛の霊はアニマを抱きかかえて持ち上げる。

アニマは思い出す。宗盛は優しい普通のお人なのだ。一揆による悲惨な結末を少しでも少なくしたいと願っていた。アニマは宗盛の命を大事にする姿勢がとても気に入っていたし、平家物語での宗盛の描写は不当なものだと憤りを感じてもいた。宗盛の霊もアニマをかわいがってはいたし、アニマも宗盛を慕って宗盛から水練の訓練を受けていた。息子の清宗とは安徳帝の霊とともに冥界のトロイアの城塞を帯同したものである。

最近の宗盛はエンブリオのパロロコンを媒介にシュガーによってメルンテーゼの世界に召喚され、雨を降らせたり雷雲を呼んだりと、他の平家の怨霊とは違った形で一揆に参加していた。壇ノ浦の戦に敗戦した際、他の平家の怨霊たちが水に身を投げる中、宗盛は息子が気がかりで生き残る。宗盛と清宗はその後共に斬首されてしまうのだが、その二人が今日ここで共に仲良く魚取りをしているのだ。アニマの胸の傷が暖かな何かで癒やされそうな気がしていた。

元気よく応えたアニマではあったが、宗盛の霊は首をかしげた。

アニマは彼等にもお礼を述べて手紙を手渡し、手をふって別れた。そして、どこに行くわけでもなくとぼとぼと竜宮城内へと戻った。すると、廊下でばったり二位尼の霊と出くわした。アニマは二位尼が安徳帝の霊を抱えて入水した事が許せず、舌鋒鋭く批判を繰り返して来た。二位尼の霊はアニマに反論することもなく、黄色の瞳で睨み返すのみであり、アニマと二位尼の霊は余り仲がよいというわけではなかった。

二位尼とアニマはしばらく対峙していたが、二位尼は寂しげにそう呟いた。それを聞いたアニマは自分でも分からなかったが両眼からうぶぶと涙が流れ、胸が裂けそうで、二位尼に抱きついてしまう。

二位尼の霊はそっとアニマの髪をなでて言葉を続ける。

アニマは顔を上げて二位尼の顔を覗き込む。寂しげな微笑みは安徳帝のそれと少し似ていた。

そういってポケットを探る、取り出したのは掌サイズのロケットが二つ、金ぴかの蓋と底。硝子で作られた中腹。中には白い砂のようなものが見えている

シュガーは怨霊と会話をしているようです…