ENo.209 ミレーユ・フェイビア

ヒナさんの王冠に手が触れてしまったとき、
セルフォリーフに来る数日前のことを思い出しました。

きっと、あの日からすべてが変わった、きっかけの日。

　＊　＊　＊

今日もお部屋で読書の時間。
毎日ちょっとずつ、お父様の書斎から色々な本や図鑑を読ませて頂いてます。
この部屋の本でしたら自由に触ってもいいという許可は得ていますもの。
人払いをして、窓から漏れる昼の日差しと共に読む読書の時間は、
毎日のとても楽しいひとときです。

綺麗な美術書や、建物の本、伝記……
物語を、実際のものでも架空の作り話でも、もっと読んでみたいのですけれど
お父様のご趣味ではないようです。
今度、何点か買って頂けるようお願いしてみましょうか。

ですから、今日は他の本。
鉱石の名前がたくさん載っている冊子です。
アクアマリンにエメラルド、ルビー……
有名な宝石の数々と、それによく似た価値のない石達。
その中の、価値のない石、まだ名前も付けられてない石達の絵がたくさん描かれているなかで、
あるひとつの石の絵に目が止まりました。

わたしの目の色よりも深い青の石。
”磨いても著名な宝石のような輝きは得られず透明度も低いが、
暗いところでほんのりと光るため、道標には――”
暗いところで光るなんて素敵な石。
しかも、この近辺の、「遺跡」と呼ばれるところでも見かけるそうです。

ひょっとして、近辺で見かけるというこの石ならば、外に出ればすぐに取って来られるのかも。
たとえば、お夕食に間に合う間に戻ってこられたりして。
冒険物のお話にするには少々こじんまりとしているかしら。
でも、それでも楽しそう。
この産出場所――「遺跡」には、きっと知らない不思議なものもいっぱい置いてあるのでしょう。

ふふ。もうちょっと先のお話も考えてみましょうか。

石を採った後はどうしましょうか…
……そうだ。もうすぐお父様の誕生日です。
突然お渡ししたら驚かれるかしら。
でも喜んでくださるに違いありませんわ。
わたしも、外に出て帰ってこれるくらい元気になれたのだと。
きっと素敵な一日になりますわ。

ああ。

考えれば考えるほどに行ってみたい。

外に、外にさえ出ることができれば。

そう思いながらも、読み終わった鉱石図鑑は閉じて。

……あら？
この古く赤い、厚い背表紙の本なんて、ここに置いてあったでしょうか。
今日わたしが読みたいと思った本の中にも、
お父様の書斎のなかにも、このような本はなかったと記憶していますけれど。
お父様か、他の使用人の方々がこっそり置いてくださったのでしょうか。
ともあれ、こちらも読んでみましょう。

――これは、冒険譚、でしょうか。

　英知を求める異国の民のお話。
　ひたすらに武器を鍛える職人のお話。
　職人に憧れ後を追う少女のお話。
　志半ばで倒れるも再起の機会を与えられたお話。
　理想の人物像を求め造り上げるお話。
　好きな人と添い遂げたい術を求める人のお話。
　魔物と魔物狩りのお話。
　人と出会えた、封印精霊のお話。
　禁断の術を捜し当てた人のお話。
　

あら、綺麗な色の羽。
実際に存在するかのような、こんなに凝った挿し絵まで入っているなんて、素敵。
その先にある物語は、魔法を使えるようになった鳥さんのお話。
先程の羽は、きっとこの鳥さんをイメージしたのですね。

……。

多くの方の話が次々と周り巡って、飽きずに、次々とページを捲って読み進められます。
こんなにも楽しく読める読み物は初めてです。

多くの人と出会って、旅をして、時に悪い人と戦ったり――
いえ、悪い人が相手でも戦って傷つけるなんてしたくありません…。
平和的に楽しく、みなさん仲良く過ごしたいです。
こちらの本には、あまりそういった、平和なお話が載っていないことが残念です。

それでも、わたしもこの本の人たちのように、不思議な体験をしてみたい。
どこまででも動ける身体で、ああいう不思議な世界を旅してみたいです。
先程の青い鉱石を探す旅のような、
いえ、もっと大きな旅を――

そう、強く思い描いたら、持っていた本が光った気がして――

次に、ベッドで目覚めたとき、あの赤く分厚い本はなかったと、家の皆が口を揃えて言いました。
先程のことは夢だったのでしょうか。

どうやら気絶していたようで、おかげで今日は一日安静を言い渡されてしまいました。

　＊　＊　＊

次の日。

昨日の後遺症もなく、いつも通りの身体。
いつものように、お父様の書斎から読みたい本を数冊選んで使用人の皆様に運んでいただく――
その筈なのですが、使用人の皆様がどなたもいらっしゃいません。
家の中が、いつもよりもずっと静まりかえっているようです。

　今なら外に出られるのでは。
　だれにも咎められずに、それこそ「遺跡」にだって行けるかもしれない。
　見つかっても、理由を話せば、優しいお父様は許してくださる。

頭の中で何かに囁かれた気がしました。

たしかに、今日のこのときがチャンスのような気がしました。
ひょっとしたら、不思議な力がわたしに機会を与えてくださったのかも。

試してみよう。
外に出て、あの「遺跡」へ行って、青い鉱石を探してみよう。

突然現れた冒険の機会に、わたしの心は、初めて感じるくらい高鳴りました。

……そうだ。
こういう旅立ちの際には武器が必要だって、物語にはよく書いてありました。
そこの壁に掛かっている猟銃で大丈夫でしょうか。
引き金をひけば弾が出ることくらい、わかりますもの。

「遺跡」までの地図が書かれた本も持って。
さあ、出発しましょうか。

楽しいことが始まるせいか、不思議と足が軽いです。

　＊　＊　＊

赤表紙に金の刺繍が施された分厚い本。
その存在自体が公にされていないどころか、
実際に触れた人物も限られていることから、
ごく一部の者を除いては、その存在すら知らない魔書。

書き手を失ってもなお、自身を記す存在を求め、
ついには本自らが記される内容を選び、
自らの力で執筆するようになったという。
頁が尽きるまで執筆続けるのではと推測されているが、
頁数が増えていっているとの説もある。

情報は決して定かではなく。
赤表紙の本の気紛れに選ばれてしまった者の記録を記す変わりに
願いを何でも叶えてくれる。
願いを叶えるが対価は重い。
複雑な手順の偶然によって契約が為される。
本に取り込まれてしまうだけ。
……等々、様々な憶測ばかりが増えている。

世界でも厄介な物のひとつに挙げる者も存在する、赤表紙の魔書。

　＊　＊　＊