ENo.2084 夜灯

【1645さんの日記からの続きです】

「こんばんは夜灯さん。教わった術、早速使ってみたのだけどちゃんと届いているかしら。
それで…用件なのだけど―――どうしても会って渡したいものがあるの。
2月14日は空いている………？」

ふわりと闇の中から現れた真紅の炎は、少し迷うようにゆらゆらとゆっくり、でも確実に私を見つけると目の前で止まり、呪文と共に吹き込まれていた樺煉の声でそう告げた。

―――2月14日―――？特に何もなかったはずだ。
会って渡したいものとは一体何なのか見当も付かなかったが、取り合えず己の蒼い狐火に了承の返事を吹き入れて樺煉の元へと飛ばす。
まあその品が何なのかを敢えて聞かずとも、当日会えばわかることだろう―――。

そして当日。
待ち合わせ場所の山麓付近は分厚い雪雲に蔽われ、かなり冷え込んでいた。
山々の峰には白く雪が積もっているのが見え、麓のこの辺りも既に雪の匂いで満ちている。
降り出してしまうかもしれないな……と思い空を見上げていると、ほどなく樺煉が姿を現した。
先日誕生日に贈った神楽鈴の守護紐で髪を飾り、いつもと同じように少し緊張して。

今日の彼女の服装は薄い桃色、そして赤と黒色のどこか私の故郷の衣装を思い出させるものだった。
動きやすく実用的に作られてはいるが、大分裾の短いその服は今まで彼女が普段戦闘用に愛用していた服よりも女性らしい色気と華やかさがある…と思いながら姿を見つめて笑み。
そしてふと、彼女がいつもしていた首輪が無いことに気が付いた。

彼女が組織に所属する者であるという象徴の首輪。

それは単なる装飾の類ではなく、本来の意味での『首輪』として、今まで彼女を組織に繋いできたもの。
決して外すことを許されないそれを目にする度、顔には出さなかったが少なからず不快感を覚えたものだった。

―――が、今はない。

それは何を意味するのだろう…と目の前の彼女の様子を伺ってみる。
そういえば今日の樺煉は現れた時から視線を全く合わせようとしない。
初めはいつものように緊張しているだけかと思っていたが、それにしてはどうも少し様子がおかしいようだ。

「……こんにちは、夜灯さん。こんな遠くまで呼び出してしまってごめんなさい」

「ああ、樺煉も無事来られたようで何よりだ。
―――いつもの服と違うようだが、新しい服を新調したのか」

「……２つ、決める事が出来たら着ようと思って……羽兎が誕生日に欲しいものを聞いてくれたから、こういうデザインの服が欲しい、って御願いしておいたの。私が元居た世界での伝統的な衣装を少し意識して……夜灯さんから貰った鈴と紐の飾りが似合うような服を。……へ、変じゃ、ないかしら……」

相変わらず視線を合わせないまま、不安そうにそわそわと落ち着かない様子で彼女が尋ねる。

「前に着ていたものよりも華やかで色気がある分私は好きだし、そしてその守護紐ともよく似合っている。……そうか、樺煉の故郷の服のデザインなのだな。不思議なことだが私の故郷の服とも似通った点があるようだ。
―――しかし２つの決め事とは…一体何を？」

「１つ目は……元の世界へ戻るかどうかはまだ決められていないけれど……もう“組織”には２度と、戻らない。そう、決めたの。誰かの命や人生を奪いながら、罪を重ねる日々に逆戻りだけは、しないって。もう……もしかしたら、２度とエッジに会えないかもしれないけれど……私が“組織”から逃げたら彼にも害が及ぶかもしれないけれど。……彼なら、笑って許してくれる……そう、思うから」

「……組織を抜ける決心がついたのだな」

言葉に思いつめた表情のまま、こくりと樺煉が頷く。
と、次の瞬間、彼女の左耳の華形のピアスがパァンと弾け飛び。
同時に呪術によって繋がれていた私と樺煉との一時的な運命連鎖の契約が絶たれる。
ピアスは細かく砕け散るとあっという間に冷え切った大気の中にキラキラと消えていき、驚いた樺煉が慌てて左耳に手をあてた時には、既にそこに在ったはずのピアスは跡形も無かった。

「どうやらそのピアスは役目を終えたようだ」

このピアスに掛けた呪術は【樺煉が自ら死を選んだ場合、その呪いが身代わりとして私に降りかかる】というもの。
そして樺煉がそのような負の感情に囚われることなく、生きてゆこうと決意した時には術が解けるようにしておいた。
そのピアスが壊れたということは、今日自ら組織の首輪を外してここに来た彼女の覚悟は本物なのだろう。
組織を抜けるというのは言葉で言う程たやすくはできないし、それは彼女にとって随分重大な決心だったと思う。
しかしその為にあの闇色の男は大分用意周到に手配していたようだし、そういう機会は今後望んでも得られないかもしれないのだ。
――――そう思いながら、私は彼女が決心してくれたことに心から安堵して微笑んだ。

「大丈夫だ、きっと上手くいく。樺煉の周りの者も協力してくれるだろうし、もちろん私もその手伝いをしよう」
「………ありがとう」

ピアスの在った箇所に手を触れたまま、何故か少し寂しげな表情を浮かべた彼女が、消え入りそうな声で白い息を吐きながら礼を言い。
同時に重く垂れ込めた灰色の空からふわりと白い雪が舞い落ちてくる。

「そろそろ来る頃だとは思っていたが、やはり降ってきてしまったな」
「本当。道理で冷え込んでいると思ったわ…」

暫し沈黙したままふわふわと舞い散る雪を二人で見上げる。
この分だと夕方までには大分降り積もることになるかもしれない。

「……それでもうひとつの決め事とは？」

視線を戻して尋ねると、彼女は長い時間をかけて視線を泳がせまくった後で、決心したように後ろ手に隠してた“品”を、私の手の中に押し付けるようにして渡した。

「２つ目は……その……め、迷惑だったら、御免なさい、って先置きしておくわね。私……その……ア、アナタの事が……好き、なの。……素敵な尻尾や耳だけじゃなくて……アナタが、好きなの。……何時死んでもおかしくない世界にずっと生きてきて。大事な事は、言いたい時に口にしなさい、っていうのも、エッジの口癖だったから。この世界だって……危ない人斬りが横行してるし……何時何があってもおかしくないから、これだけは……伝えておきたかったの……無理矢理呼び出して、御免なさい」

俯いたまま耳まで真っ赤になった彼女が一気に言い終わり。
そのまま一目散に走り去ろうとするのに、辛うじて彼女の腕を掴まえて引き止めた。

「いやちょっと待て。何故逃げるんだ。そもそもこれは…？」

状況が把握できず、取り合えず彼女に渡されたものを見てみる。
淡いピンクの綺麗なラッピングがされた小袋。
開けてみると中にはどうやら丸い形のチョコレートが入っているようだ。

「―――チョコレート？」

………ますますわけがわからない。

「2月14日はバレンタインデーだから……っ」

真っ赤なまま辛うじてそれだけ答えた彼女に、だからなんでチョコレート…と尋ねようとした一瞬の隙をつかれて掴んだ腕を振り切られ、そのまま全力疾走で逃げられてしまった。
振り向きもせず、一目散に。

「好き？チョコレート？バレンタインデー…？」

その場に取り残されて、呆然と彼女が去った方角を見て呟く。
これはポッキーゲームの時と同じように、何かしきたりやルールがありそうだ。
帰ったらまたウルリヒにでも聞いてみなければならないな…。

解けない謎に軽く溜息をついて雪空を見上げる。
チョコレートとの因果関係はよくわからないが、どうやら樺煉に告白されたらしいというのは理解できた。
そのことは告げられなくても彼女の仕草や匂い、行動から感じ取ってはいたが、こうして正面から告げてきたということは、かなり悩んだ末の決心だったのだろう。
そして彼女は組織に戻るつもりはないという。

彼女のことを特別に思いはじめている…という自覚は私にもあった。
できるならばこれから彼女が立ち向わなければならないであろう様々な困難から護ってやりたい。
この世界にいる間だけではなく、共に果てるまで。

だが―――果たしてそれは己に許されることなのだろうか。
記憶の大半はいまだ戻らぬままなので断言はできないが、この世界で目覚めた時の時のことを思えば、今私がいる状況はなんらかの因縁によるものとしか思えない。
この世界に堕とした相手を殺してやりたいと……そして同時に己を否定した世界の滅亡を願うような強い負の感情を抱く程の。

このまま忘れているならいい。しかし何かの折に記憶が戻ったとしたら？
それは新しく人生をやり直そうとしている彼女の妨げになりはしないか―――

ズキンと激しく額が痛んだのに思わず顔を顰めて手で押さえる。
そのまま降り積もる雪の中に佇む私に、ちりん、と狐面の守護紐についた神楽鈴が何か言いたげに小さく鳴った。

【再び1645さんの日記へ続く】