ENo.2084 夜灯

｢……最近野営地の回りにやたら野良猫が多くないか｣
｢ああそれ、おれも思ってた。しかも結構人懐こいんだよな｣

｢ギクッ｣

何気ない会話をウルリヒと交わしていると、何故か過剰反応を示した者がひとり。

｢い、いやっ儂はななななにもっ知らないからなっっっ｣

何も聞かないうちから黒晶は引きつった笑顔でぶんぶんと首と手を左右に振りつつ後ずさりし、そそくさとその場から逃げ去ってしまった。

｢―――怪しい｣
｢―――怪しいな｣

黒晶の逃げ去った方を見ながらウルリヒと二人で溜息をつく。
まあ気になるといえば気になるので、あとで猫達に聞いてみることにでもしよう。

そして夜。

｢にゃーん｣　
｢にゃーう｣

3匹から5匹くらいだろうか。
野営地の外れにいつものようにどこからともなく猫達が集まってきた。
警戒心の強い野良猫達を驚かせないようと、取り敢えずそっと側の草むらに座り様子を伺うことにする。
暫くすると好奇心旺盛なまだ若い虎縞の猫が一匹、興味深そうに近寄ってきた。

―　妖魔？狐？　……でもあの子の匂いがする　―

虎猫が、用心しつつも鼻を寄せて私の匂いをくん、と嗅いで言った。

｢黒晶のことか。連れだからな｣

―　名前は知らない。ツレ………仲間？　―

｢……そうだ｣

そっと伸ばした手に虎猫が頭を摺り寄せる。

―　あの子は好き。夜になるといつもご飯をくれるから　―

｢黒晶が？｣

虎猫は肯定するようにするりと私の足元に身体を寄せ。

―　そんなに沢山じゃないけどわけてくれるよ
　　この辺の冬はロクな食べ物が見つからないから食べ物を貰えるのは嬉しい　
　　寒くてお腹が減りすぎると死んでしまう仲間もいるし　―

｢そうか……｣

ぽふりと虎猫の側に己の狐尾を寄せる。
ふかふかの尾の毛皮に埋もれて虎猫はごろごろと喉を鳴らし、前足で何度か尾を踏んで整えるとそこで幸せそうにくるりと丸くなった。

｢死んでしまう仲間もいるから……か｣

それは猫だけではなくこちらとて同じことだろう。
来た当初より慣れてきたとはいえ、食糧事情が悪いのは相変わらずだし、周囲は人斬りや物盗りが日々数を増すばかりだ。

『私……その……ア、アナタの事が……好き、なの。……素敵な尻尾や耳だけじゃなくて……アナタが、好きなの。……何時死んでもおかしくない世界にずっと生きてきて。大事な事は、言いたい時に口にしなさい、ってのも、エッジの口癖だったから。』

何時何があってもおかしくないからこれだけは伝えておきたかった…という樺煉の言葉を思い出し、懐からまだ食べずにおいたチョコレートの入った袋を取り出して眺める。
2月14日のバレンタインデーは女から男にチョコレートを渡すことで告白をする日、そして1ヶ月後のホワイトデーには男がその告白に対する返事と共に返礼の品を贈る日だと後に知った。

甘いストロベリーレッド色の、薔薇の名前を持つ石で創った薔薇の形のピアス。

幸い街の近くまで来ていたので、返礼の品を探して手に入れるのはそう難しいことではなかった。
美しい色合いが樺煉を連想させ、思わずその石に魅入った私に、天然石を使った装飾品を加工・販売している小さな店の主人はインカローズという石だと説明してくれた。
指輪やピアスなどのアクセサリーに加工すれば、女性に贈るには最適な石だとも。

言われてそういえば…と思い出す。
あの日、私の呪術が解けてピアスが砕け散ったのに、彼女は寂しげな顔をしてはいなかったか…？
あのビアスには短期間ではあるが強力な呪術を施していたので、壊れた時には私自身も少なからず衝撃を受けた。
樺煉にはわからなかっただろうが、あの時華形のピアスの五つの花弁がそれぞれ順番に砕けて散っていくのが私にははっきり感じ取れたからだ。

『闇の守護』　『言質』　『真名』　『血』

そして最後のキーワード

『運命の連鎖』

―――　それまで樺煉と同調していた、絶対的運命連鎖の契約が解ける　―――

そのことは今まで遠く離れていても把握することができた彼女の感情の起伏や生命の波長が捉えられなくなるということであり。
無事でいるかどうかは誕生日に贈った神楽鈴の守護のお陰でわかりはするのだが、常に身近にいるように感じられていた彼女の存在感までは捉えられることはできない。
結果、術が解けた後の私はやり場のない喪失感を抱え続けることとなった。
今も、恐らくピアスを失った彼女よりも余程強く。

考え込んだまま黙り込んでしまったのに、どうしましょうか？と店の主人に声を掛けられ、ふいに現実に引き戻される。
その石は決して安い値段ではなかったが、薔薇の形のピアスに加工することができるかどうかを確認し、彼女の為に2つ、そしてもうひとつ、同じ石をおまけでつけてもらうということで交渉が成立した。
同じ石から取れたという3つ目の石は、自分用に手首に巻けるよう簡単に加工してもらい。
あの時のピアス程強く繋がることはできないだろうが、それでも幾らか効果はあるだろう―――――

町の装飾店での出来事をそこまで回想して、思わず苦笑してしまう。
私は彼女と繋がっていたいのか？
ならばこんな回りくどいことをしなくても、手に入れてしまえばいいではないか。
幸い彼女も好意を寄せてくれていることだし、何も迷うことなどないはずだ。
一体私は何をそんなに恐れているのだろう。

そう自分自身に問いかけてから、夜の闇に深い溜息をつく。
―――本当は考えなくてもわかっている。
恐らくその答えは、己の失われた記憶の中に閉じ込められたままなのだ。
それが判明しないうちは何ひとつ確実な未来など約束できないということを。

しかし一方、樺煉の保護者である闇色の男は夢の中でこう告げていた。
『自分の命はもうそう長くはないし、自分が居なくなったら樺煉は元の世界にいる限り幸せになれない上、命を落す可能性が高い。だから樺煉のことを気にかけてやって欲しい』と。
ならば今後どうなるかは皆目わからないとしても、大事なことは告げられる時に告げ、そして今自分がしたいと思うことをしておいた方が良いのではないか。
彼女がそうしたように。

傍らに目をやると、尾の上で丸まった虎猫はいつのまにかぐっすり寝入ってしまっていたようだった。
虎猫が毛布代わりにしている狐尾を少し動かすと、寝返りを打ち、眠たげな眼でこちらを見上げてくる。

｢もう仲間は帰ったようだぞ。そろそろお前も行った方がいい｣

―　暖かくて気持ちよかった。ありがとう　―

虎猫は軽く伸びをして軽く毛づくろいをすると小さく鳴き。

―　またね。　あの子に宜しく　―

何度か身を摺り寄せて挨拶をすると、虎猫はそのまま走り去って夜の闇に紛れてしまった。
その後姿を見送った後、手にした袋からチョコレートをひとつ取り出し口に入れる。

たちまち口の中で溶けて拡がる甘いチョコレートの香り。
バレンタインデー。告白とチョコレートという甘い組み合わせはいかにも似合いで。

月も星もない凍てついた闇夜だったが、手作りのチョコレートに込められた想いがゆっくりと私の身体の中で溶けて吸収され、同時に心が温かくなってゆくのを感じる。

樺煉は今頃、もう眠りについているだろうか。
せめて私の記憶が戻るまで――できれば彼女が自分の『生きる目的』を見つけられるまで、まだ猶予があればいいのだが……と目を伏せて思う。
樺煉は今はまだ自分に自信が持てず迷ったり過去を後悔したりを繰り返しているが、いずれ誰もが振り返るような魅力溢れる美人になるだろう。
現にそう日は経っていないはずなのに、出会った当初に比べると花の蕾が開くように彼女は綺麗になった。

私の持てるすべての力で―――と心の中で誓いを立てる。
時が来るまでは傍らで彼女を愛し、護ることとしよう。
そのことで彼女が笑顔になり、これからの新しい人生を生きていく力になれるのならば……まだ己の中に綺麗なものを感じられる心や、愛しいと思える心が残っているうちに。

私がいなくなった後も、彼女が知人や友人達に支えられて前に進める強さを持てるように。