三週間程前─── マグノリアはいつものように自身の研究室で研究に打ち込んでいた。 マグノリアにとって魔術研究は趣味のようなものだ。時間を忘れて昼夜を忘れる事なんてもはや日常的だった。 主な内容に関しては一つ一つ説明すればそれだけで丸一日は潰れてしまうだろう。 基本的に貢献さえあれは研究に関しては自由なのだが、この日はとある所属する機関の要請で基礎魔術の更なる簡略化だった。 いくら好きな事でもこの時ばかりは少々の苛立ちを覚えた。基礎という言葉の意味を百万回叩き込みたい所だ。 既に世に出回っている完成された魔術を更に簡単にしろというのだ。もしそれが実現されれば魔術会は大騒ぎだろう。 勿論そんな夢みたいな偉業が数日で成果を挙げる筈も無く。元より、向こうもそこまでの期待はしていないだろう。 他の研究員にも同様の仕事が回っている筈だ。全く同情する。 ──とはいえ、自由は自由なのだ。放り出す？いやいや、時間は有限なのだ。 飽きたら他の研究に勤しめばいい。名誉には興味は無いし欲する者にくれてやればいい。 ただ願うとするなら、生きてる間にその成果をこの目で見たいという事だろうか。 真に研究者を名乗るならそうではないだろうか？と、マグノリアは思う。 そんな中、館にノック音が鳴り響く。来客である。 今は……まだお昼時にもなっていない。いや、いつの間にか朝だった…とも言うべきか。 この時間帯に来る客と言えば精々勤勉な街のセールスマンか近所の子供位だろう。もしくは機関の連中か。 まぁ、最後のは滅多に無い事だけれど。 客の対応が終わったら一眠りするのも良いかもしれない。マグノリアは席を立ち、入り口の大きな戸を開ける。 「お疲れ様です、マグノリア様。…あまり顔色が宜しくないようですが」 …珍しい事もあるようだ。どうやら、寝るタイミングを逃したらしい。 ▼ 「で、何用かな？生憎だが先日通達されたモノの成果がもう出る程私は有用でもないのだが」 半分は礼儀、もう半分は自分への眠気覚ましのコーヒーを二杯並べた所で席に着きながらマグノリアは口を開いた。 月一の成果報告にはまだ早いし、態々機関の者が出向くとなればそれなりの用事なのだろうが。 「七つの海と遺跡の世界、テリメインへの調査をマグノリア様に行って頂きたく。 　そこに存在するアーティファクトの類も発見次第回収との事です」 対面する機関の女性は出されたコーヒーに口もつけず、淡々とそう告げた。 「冒険者ギルドには既に依頼という形で出していますので、そこを通じて───」 「ま、まて。待ちたまえ。話が急過ぎるぞ！？」 危うく飲み掛けた飲み物が気管に入る所だった。 魔術研究機関に所属する者は冒険者ギルドへの登録も認めているし、それは私だけではない。 それは生活の為もただの気紛れも人それぞれで、自分のように実地でのデータ収集を目的とする者も居る。 何より、機関が直接魔術研究以外の事で研究員を駆り出すのは珍しい事なのだ。少なくとも自分の考えでは。 「マグノリア様には是非、との事で。実績は勿論、冒険者としてのランクも上げているようですし適正ではとの判断です」 「いや…。確かに研究ばかりで日光を浴びない篭りっきりの連中よりかは健康的であるとは自負しているがね 　だが私の本分は魔術研究でギルドはあくまで自分が必要な時に行っているのだよ。そちらをメインにする訳には」 と、自分の事は棚に上げて答えた。 調査ともなれば今進めている研究も満足に行えなくなるだろう。 この仕事は長くなる…勘がそう言っているのだ。出なければ態々こうして頼みに来る事もないだろう。 大体、機関の連中はこうして面倒な事を簡単に言ってくるのだ。彼女に恨みは無いが愚痴も零したくなる。 「テリメイン──その世界は陸地が殆ど無く、多くは海中に沈んでいます。 　七つの海で構成されているその世界はまだ手付かずで、多くのアーティファクトが眠っていると予測されます。 　魔術機関としてもこれは抑えなくては、と」 会話の無いようにみるみる眉間にしわの寄るマグノリアを余所に、機関の女性は話を続ける。 「既に現地へ当機関から簡易的な調査が行われましたが、その海域──いえ、テリメインには独自の魔力が満ち 　既存の魔術の殆どは行使不可能でした。 　ディスペルの類かと思われますが、それらの解析結果はまだ出ていません。 　現地に研究員を派遣し、実地での調査と解明も本依頼に含まれています」 魔術が使えないのならそれこそ腕利きの冒険者でも雇えばいいと思ったが、つまりはそれを紐解ける者 "魔術研究員兼冒険者"が必要、という事でこうして直々に伝えているのだろう。 「既に他の方への伝達も行われています。マグノリア様も、是非に。　必要な物資はこちらで提供させて頂きますので」 成る程、とマグノリアは頭の中で理解した。 連中が何を必死で探しているのかは判らないが、未知の世界にある魔術に関するモノがあるとなればそれを欲しがるのも判る。 それに必要なモノは揃えてくれるというから悪い話ではない。ついでに不足していた資材も割り増しで要求してしまおう。 「……判った、承る。必要な物は後日本部に連絡するからギルドへと送って欲しい。 　準備する時間もそうだが早急に取り掛からないといけないのがある。最低でも一週間は待って欲しい」 「かしこまりました」 少なくとも自分だけでないのなら急ぐ事も無さそうである。 その間に他の連中が成果を上げたならこの話もナシになって自分も今まで通り研究に打ち込めて万歳なのだが。 しかし話の後半には興味が惹かれるものがあった。それが受ける決め手の一つになったのもある。 やや億劫で退屈な基礎魔術の研究開発よりかは楽しめそうだからだ。 「──所でマグノリア様。右目の経過は如何でしょうか？」 今ので話の本題は終わりという事なのだろう、機関の女性は別の話題を持ち出してきた。 マグノリアの眼帯の奥、自分の右目の事は機関も承知の事。 尤も魔術とは関係ないし、機関もそこまで深入りする気も無いとは思うが。 連中が研究員一人の健康を気遣うかと聞かれたら首を傾げる。 …いや、恩を忘れた訳ではないが。そもそも今の封印術は機関から提供されたもので、実際に効力を得ているのだから。 抑え付けているだけであって根本的な解決は未だに出来てはいないが。 大本は自分で解決しろというスタンスなのだろう、とマグノリアは思う。予防策を提供してくれただけ、マシなのかもしれない。 「進展は無し、だが悪くも無い。上に聞かれたらそう伝えてくれ」 自分にとってはもう慣れた事だと眼帯に手を添えて答えた。 解決策があれば是非知りたい所だが、恐らくきっとこの先もこの調子だろう。 今はこれでなんとかなっているから、悪くならないのならこのままでいい…という自分に甘い考えもあるかもしれない。 少なくともこれ以上この問題に関しては機関に期待はしていなかった、のもある。 むしろ今の当面の問題は機関から言い渡されたテリメインへの調査依頼、必要な物資のリストアップ。 そして先日買ったばかりの大量のアイスの処理だ。

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

マグノリアは、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。