走る。走る。　後背から剣戟の音が響く。　走る。

振り返る事無く、ただ地を蹴り続けて。

この程度の彼我の距離など、有って無きたり。

ただ背後に気配無き事のみを頼りに、駆け抜ける。

そうして陽光も沈み、周囲が生命の様相を変じる頃。

漸くして足を止め、己が鼓動の早さを認めるのであった。
　　
未だ尚、耳穴に潜む鉤爪は未だ深く——。



*　*　*



何処を、どの様に歩いて来たかすら、定かでは無い。

ただ道行く先で出会った輩は、どれも記憶に新しき者達で。

それは、己が心に一抹の安穏を与えるモノであった。



互いに深い詮索も無く、互いに己が身を護ることを由として。

ただ黙々と、時が満ち過ぎて行く。

何一つ言うべき事は無く、塞ぎ押込め流せば良い。



努めて平静なるまま、日も暮れて。

やがて、夜闇に紛れて休む時がやって来た。

瞼の裏に蘇る記憶を前に、今宵は休めるモノであろうか。

心臓を、揺さ振られるが如き感覚が走る。

果たして、斯様な表情を、我は見せて居たであろうか。

押し潰していた全ては、漏出していたことが自明となり。

途端、体躯の芯から力が抜け出るのを感じられた。

返す言葉の見当たらぬまま、フローラの肩に身を預ける。

服を通して伝わる仄かな熱は、以前と寸分も違わず。

その温もりは、己が心棒をより一層解すモノであり。

恐ろしき反応を止める為には、更なる熱が必要な様に思われた。


腕を背に回し、フローラの体躯を強く抱き留める。

抵抗の無いまま、小さな身体はすっぽりと腕中に収まった。

何と言うことも無い。

ただそれのみを、伝えれば良いことだ。　

何を以って、そう悲しげな顔をするモノか。

特段にして、自身が当事者でも要因でも無いはずで。

さながら、遠く眺める雲が形を変じた程度の有様だろうに。


されど、その表情の在り方に、喉奥が緩まる思いがして。

果たして、それは出ずることを望むモノであったのか。

気付けば、我は再び口を開いていた。

先程より尚一層、寂しげにフローラが俯く。

つまらぬ余計を言ったモノだと気付くも、既に遅し。


共に在るも離れるも、己が由に拠るモノだと知っているはずだのに。

今更に措いて、惜しむことも無き筈である。

この腕の内に収まる、小さき温もりも、また。

ふと、言葉が口を衝いて出た。

この子供に故郷が有ることは、既に聞き知っている。

今更にして、当然の帰結を持つ事柄である。

フローラは何も答えない。

だが、その瞳に映る寂しさは、先程とは異質なモノで。

嘗ての日、花冠が去り、森を一人彷徨い歩いた日の。

その小刻みする悪寒とも似た震えを、その瞳は湛えていた。

我らが誰を指すモノか、知るべくも無い。

ただ己が揺り出す言葉を、精査も無く紡ぎだすのみ。

刹那の沈黙の中、響く心音ばかりが大きく。

己が内に膨らむモノを、理解出来ずに居るばかりであった。

表れたのは静謐であり、安堵であった。

その言葉は、己が小さき子供に寄り掛かろうとした事実を打ち消し。

互いに在るべき位置を、思い知らせるモノで。

ただ一つ、小さき疼きのみが残された。

これ以上の交わりは、互いの障りとなる。

話の終わりと告げるべく、以前と同じくしてフローラの頭を抱き寄せ。

その額に軽く口付けをして、就寝の印とする。

互いに身体を横たえて、柔らかな寝顔を眺めて瞳を閉じた。




ふと手を伸ばすと、フローラの手に触れた。

起こさぬよう、慎重に握ったそれは温かく、柔らかく。

触れるだけで安堵を齎す、小さきモノで在るにも関わらず。

さながら、己とは異質の存在であると感じられて。


どちら付かずの我が掌は、尚も冷たいままで。

その有り様は、遠き男の腕を、胸中に思い起こさせていた。


（Eno.2117.フロレンス・リリーアンさんお借りしました！）

聞き慣れぬ単位に思わず聞き返してから改めて、何を言っているんだとばかりに背後の蛇龍を見やる。
しかしそれに、見られた当人は全く頓着することなく。

怒声を軽く受け流して、蛇龍はフィンヴェナハへ視線を向ける。

止めたところで恐らくそのまま口を開いたであろう。問いの形は取っていても有無を言わさずに。

　性別をしれっと間違えつつ、そう説明する。

　だから少し気になったのだと、そう言って。
　それからふと、引っかかった、言葉。

自分にとってみればごく当たり前の行為ではあるのだが、
そもそもそういう部分からして同年代の人間とはズレがあるのかもしれない。

相手の目線が強まったことを認識すれば、やや引き気味になる。
依存性が高いのか、単純に心の底から信頼しているだけなのか。
何れにせよ、その答は相手に何かしら思うところを与えるだろうか。

所々回答に悩む素振りを見せながらも、最初の頃よりはだいぶ受け答えができるようになってきたようだ。