[SummerVacation]







「リューゼリゼ」



アカデミエの【実験区】、通称“ラボ”。

ボサボサの長髪を整えもせず変てこな形の帽子を被り、
シワクチャの白衣にポケットを突っ込んだまま
ラボをぶらぶら散歩していた女は、不意に背後から呼び止められた。

気だるそうに振り返ると、
そこには初老の男性が地面と垂直に真っ直ぐ立っていた。
真っ黒な頭髪を神経質そうにポマードで固め
セピア色のベストにネクタイという出で立ちだ。
眼鏡の真ん中を指で押して、ズレを直してから彼はまた言葉を発した。


「リューゼリゼ＝ベリアルオリバーよ。
　私に報告すべき事項を、
　君は、報告しもれているのではないかね」


口ぶりとしては穏やかだが、その裏には静かな苛立ちが見て取れる。
眼鏡の下の鋭い眼光はいつものことだが、
嵐の前の静けさとも言うべき雰囲気を纏っていた。


「申し訳ないが何も心当たりがない。
　何のことを指して言っているのか、
　説明を要求する。ブエナベントゥラ卿」


初老の男は、その回答をある程度予測していたのだろうか、
深い溜息をついてから、答えた。


「ビブリオバベルのことだ」


「ビブリオバベル」


ああ、と言って、リューゼリゼと呼ばれた女は手をたたく。


「なるほど、ビブリのことか。
　彼女が今どこにいるか、ということを知りたいのか？」


「そんなことはもう、
　とっくに入出界管理官から話を聞いて知っている」


「ブエナベントゥラ卿は色んな所に知り合いがいるのだね」


ずれたことを返答するリューゼリゼの言葉を無視して、
つかつかとリューゼリゼに歩み寄り、目の前まで来て止まる。


「私が今、リューゼリゼ、君を糾弾しているのは、
　なぜ、そもそも出界する前に、
　私に一言の相談もなかったのかということだ」


責めるようなブエナベントゥラ卿の語調に怯むこともなく、
眠そうな顔のリューゼリゼは肩をすくめる。


「糾弾もなにも。
　それは、ビブリがブエナベントゥラ卿に
　相談する必要はないと判断したからだ」


「彼女の意思は関係ない。
　母親としての君の責任と立場を今、問いただしている」


「何を言っているのか全然分からない」



リューゼリゼの肩を掴んで、揺さぶるように叫ぶ。


「私はあの子の祖父だぞ！
　なぜ、そんな大事なことを事前に報告しない！
　なぜ、あんな、紛争が起きる直前の世界に旅立たせた！」


「１、叫ばなくとも知っている。
　　　ブエナベントゥラ卿はビブリの祖父にあたる。
　２、ビブリ一人で行くのではなくローラスが共連れだったこともあり、
　　　絶対に報告すべきほどの重要事項と私が判断しなかったから、
　　　あなたに報告をしなかっただけ。
　３、本人もローラスも知っていたよ、それは。
　　　それでも行ったんだ。だから、それでいいじゃないか」


「リューゼリゼお前には、
　本当に、親として子供を愛するという気持ちが、
　人間らしい感情が、欠落しているのか」


「四分の一竜人だからね。つまり八分の一は竜だ。
　人間らしさなど求めてくれるな、ブエナベントゥラ卿よ。
　あなたが伴侶に選んだ相手が悪かったんだよ。
　それに、こう見えても、私は私なりに子供を気遣っているつもりだよ」


がっくりと項垂れる、ブエナベントゥラ卿の肩に、
リューゼリゼは励ますように、ぽんぽんと手を置いた。


「……ビブリは元気にやっているのか？」


リューゼリゼは、ポケットに入れた手を取り出した。
そこには便箋が握られている。

ブエナベントゥラ卿が、開封済みのそれを受け取り、
中身を取り出すと、
そこにはビブリオバベル本人直筆の、
現状の報告をしたためた手紙が入っていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



ママとパパへ

拝啓

ビブリです.
教樹からすでに報告してもらってると思いますけど，
私は今メルンテーゼで起きている内戦に参加しています．

今，長い文章を書いている時間がないので，
どうして一揆に参加しているかとかは割愛しますけど，
大した怪我もなく元気にやれています．

また，折を見て手紙を書きます．

敬具


追伸
こないだ，夏祭りで撮った写真を同封します．





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



文章と写真をまじまじとみつめ、
ブエナベントゥラ卿は眼を細めた。
少し、安堵した様子だった。


その様子をみて、
リューゼリゼは目をつむり、肩をすくめて見せる。


「そんなに気にかかるのであれば、
　もっと直接、本人に言えばいいだろうに」


手紙と写真を封筒に戻し、
リューゼリゼに返しながら、ブエナベントゥラ卿は答える。


「私には、立場というものがあるのだ。
　自由気ままなお前と、リソジーノムスとは違う。
　……また、何か連絡があったら直ぐに報告するように」


「はいはい」


「はいは一度でよい。
　……ところで、リソジーノムスは今どこにいるのだ？」


「ソドブレドにいるはずだけど」


「……“マグロ漁師”め」


吐き捨てるように言うと、
ブエナベントゥラ卿はつかつかと立ち去った。

その場に残されたリューゼリゼは、
少しその場でぼんやりとした後、
ふらふらと自分の研究室へと戻っていった。
　
　
　
　
　
　

　　　　　　ローラスの方に一瞬視線を向ける。

割って入ったローラスを見て、ケラケラと笑い出す。

ビブリオバベルの怒りを受け、一瞬身を引くが、直ぐにからかう様に笑い出す。

買い取る、と言う言葉を聴き——

しっぽをハミハミされて…