Thanks!【ソルティ（966）】


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「弱い」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　———— 冷たい声

　騎士隊が擁する騎士の中に見習いは存在しない。彼らの多くは元兵士であり、完成された戦力だ。よって従騎士になる必要も侍らす必要もないのだけれど、ここ最近例外が出来た。
　ソルティと名乗る少年である。
　悪名高き残虐女王を倒すべく勢い込んで乗り込んだものの一瞬にしてコノエに叩き潰され、命乞いをして血の契約で服従を誓い従騎士となった。それだけでも華々しい経歴なのに彼は上司の寝首を掻こうとしたのだ。



　時刻は深夜。月明かりはなく物音もない。魔属には夜行性も少なくはなく、城壁にも街にも灯りが絶えないがそれは別の話。王と側近の寝所であるこの区画は絶妙に計算された庭の木立によって防音がなされている。それを幸いと日々の雑務の合間に音を立てないドアの開閉のやり方を覚え、足音を消す歩き方を修めた。
　長く垂れた銀髪が僅かな星明かりを反射して存在を伝え、ベッドの膨らみは緩やかに上下し呼吸音は対象の存在を知らしめる。一歩一歩慎重に、まだ距離を詰めなければと。
　ソルティは壁に打ちつけられていた。
　物凄まじいはずの音は耳に届くことはなく後頭部を捕まれ床に叩き付けられる。左腕を背中に捩じり上げられた上で仰向けに転がされ、更に腹に何か重いものが乗せられた。右腕を抑えられ首を握りつぶさんばかりの力で締めあげられる。そこまでされて漸く攻撃は止んだ。
　見計らったように雲が途切れる。月明かりに照らされたのはいつもと変わらない薄笑いを浮かべた上司の顔。
「何て格好で寝てるんだ」
「寝る時に鎧を着るバカはいない」
　苦しげに呻くソルティにコノエは心底可笑しそうに答えた。無駄なく鍛えられた上半身を惜しげも無く晒し、半裸とは思えない重さを不届き者に掛けて。
「っくぁ、う゛……」
「私はお前なんぞに睡眠時間を削られなければならないのか？」
　わざとらしい溜息にソルティの頭に血が上る。それでも小剣を持った右腕はぴくりとも動かない。同時に動こうとしたことは当たり前ながらコノエに伝わっておりソルティの右腕を掴んだ手に別の力が加わった。
　握りつぶされる。幸か不幸か、施された教育によって彼の上司が本気で人体を破壊しようとしていると理解できてしまう。
「やめろ！　僕を誰だと思っているんだ」
　青褪めて叫ぶ。魔属の女王、略すれば魔王の討伐を試みただけあって彼の矜持は高かった。
　しかしそれが気遣われることはない。
「不届き者だろう？」
　コノエが腕を捻る。内側へ向けて、ソルティの肩の可動域など意に介さず。ぐるりと、腕を、反転させ。
「僕には神の使いの血が……　！！！！」
　言語と呼ぶには意味のない叫びが夜の大気を揺らした。
　半ば千切れた腕の痛みにのたうちまわろうにもコノエがそれを許さない。
「奇遇だな。私は天使を食ったことがある」
「や、ぁめ……僕、を、食う積りか？」
「お前みたいなもの食ったって何の力にもならんだろ」
「やめ……あがああああああっッ」
　反対へもう一捻り。ぶちぶちと嫌な感触を残し、痛み以外の全てがソルティの右肩から失われた。
「舌を噛まない程度に加減してやった私は優しいと思わないか？」
「優しくねえ！！！」
「それは残念だ。加減はしなくていいな」
　声音だけは優しく囁いた天使は、今もぎ取ったばかりの腕を適当に放り投げる。その指先が闇に埋もれ、抜け出た時には異形の腕が握られていた。
「何……だよ、それ」
　びくびくとのたうち回る腕。それこそ今しがたのソルティと同じだ。
「わざわざ性能の良い腕をつけてやろうとしてるんだ」
　脂汗とは別の冷たい汗がソルティの背中を撫でていく。
「お前の腕になるんだ、仲良くしてやれ」
　優しいはずの月光が照らすそれはひたすらに悍ましく、明らかに生きていた。血管が、筋が、脂が。己の新たな持ち主を求め、新鮮な傷口に熱い接吻を贈る。
　手を伸ばすように血管が伸びた。のたくるそれは血を吹き出す傷口を優しく撫で、同じ物同士で結びついていく。
　嫌悪を示さなければならないはずの動き。しかしソルティが感じたのは深い安堵だった。痛みが失せ、傷は塞がり、体温が通う。
「う゛ぞだ……僕、が、こんな……」
　彼の絶望に合わせて右腕がひくひくと動いている。元の物より太く、長く、逞しい。

「後悔させてやる」

　絞り出された言葉は哀願ではなかった。涙と脂汗に塗れてこそいたが、それは確かにコノエが鍛えた成果である。
　美しい裸身を晒していた天使が笑う。一連の作業で一切穢れること無く、それはもう神々しく。

「ああ、させてみろ」

　

（コノエが去った後も、その背中が消えた方向を見つめて立ち尽くしていた。表情は暗い）

（俯いて自嘲気味に呟いた）