もういいの。そう聞こえて、胸元に手を当てた。
　——大丈夫ですか？　問えば、大丈夫と返ってくる。ならと、眼を伏せた。重ねて問う事はしない。休憩の為に立ち寄った木立の下、淡い陽が葉に遮られたそこで瞼を落として光を遮ってしまえば、均一に暗闇が視界に満ちる。
　——なら、おやすみなさい。言えば、頷いたまま素直に意識の底に沈んでいく。代わりの器は既に得ているから、ただほんの少しの変化があるだけ。姿が変わろうと、既に確立した『ひとつ』である己は、変わる事はなく。
　氷のそれが求めていたのは、緑の景色、人の景色。だが水の側から離れてしまえば、それだけで融けて消えてしまうのだという氷のそれに、『赤と金』の力を預ける代わりにそれを可能にした。交換条件による契約、それは彼の首のそれに宿る、もう一つもそうだけれど。
　氷のひとつが完全に眠ったのを感じ取って、そうしてから眼を開けて膝の上のもう一つを見やった。すぐ傍、同じ木立には白い虎が寝そべっていて、向けた視線に気付いてかその耳が一度だけそよぐ。眼を戻して膝の上のそれを撫でやる。青味のかかった銀の真っ直ぐな髪、閉じたままの瞳。
『……器か』
『ええ。……やっと話してくれましたね、ウィフト』
『テラからの伝言がある。「氷は好きではない」と』
　苦笑する。大地を覆い尽くしてしまうからだろう、土と氷は、こちらの世界でも仲の良い方ではなかった。彼が土でありながら氷と触れる事が出来るのは、彼が水との親和が高いおかげだ。中継点があるからこそ、無いテラと自分では、接点が少なすぎる。
『私は、土は好きなのですけれど』
『伝えておくか』
『お願いできますか？』
　私は避けられているからと、そう付け加えればもう一度耳がそよぐ。それを見てから、膝のそれを抱え上げ、抱き締めるようにして、眼を閉じた。
　
　
　

　
「……で、俺たちが残ったってわけか」
　少年が声を上げる。この場に居るのは四人、溜息のように大きく息をついた少年、マコトと、自分と、トウカとクローシェ。
　他の面々は森の方角に発っていった。調査なりをしたいのだというそれを、止める事も無く見送って、それで残ったのがこの四人とも言えるかも知れないが。思いながら、座った肩に掛けた棍を見やる。装飾の施されているこれも、もう暫くの間使っているおかげか少しずつ黒ずんだり壊れたりしてしまっている。多少は手入れをしなければと思って荷物の中から布を取り出して、とりあえずとして目立つ部分を拭っておく。修理するには、流石に道具も材料も足りない。いっそ作り直してしまった方が良いか。
「あの。皆さんは何処か行かれる場所は、ありますか？」
　クローシェの声にはちらとそちらを見る。小さく手を上げた彼女は、そのまま言葉を続けた。
「……もし、どなたも無いようでしたら、私は、城の方に行きたいなと思っておりますわ」
　城。ふと今までに通りかかった城の方、その道を思い返す。そういえばまだ様子を確かめすらしていない場所があったようなと、それは声はせずに、流れた視線はそのままに口を開いた。手を止める。
「……俺は、特には無いかな。あぶれるようならどこかついていくか、先進むかのどっちかと思ってるけど」
　この地点で別れた『依頼主』は、特に何を言うでも無かったから、今この時になにかをといった事は無いらしい。だから、言葉の通りどこに行くという目的も無いのだが。少し先の様子をという目的は果たした。——城という言葉、その先にあるものを思う言葉は口にせず、後の二人を方を見やる。私は、と零したのは、少女の方。
「私も、城に行きたい。契約を結びたいエンブリオが、いる」
　瞬間に浮かんだものに僅かに眉根を寄せて、それはすぐに打ち消す。今はどこかにか姿を消したエンブリオの一つが他に伝言して伝えてくれた内容を反芻する間に、少年が反復する声。
「なら、俺たち四人で城へ行こう。クローシェと冬花の二人だけを危険なところへ向かわせるわけにもいかないし、ルドもそれで構わないか？」
　向けられた声には眼を向けて頷き返す。是も否もないから、誘われれば断る理由も無い。
「そうするか。城、だな」
　なら道も分かっていることだし、と添えて。少年が言う声。
「あんたも来てくれるなら百人力だ」
　その言葉と、少女の謝罪するような声には肩をすくめておく。そこそこには頑張りたいと言いたげに見せておいて。
「よかった、有難うございます。私もエンブリオに会いたくて。では、どうぞ宜しくお願い致しますわ」
　安心したように息をついたクローシェが言って。この四人では初めてだと、そう続けるのを聞いてふと、自分もそうだったと思い出す。大人数で行動し始めたのは最近の話ではないのにと、マコトの方を見やり。
「最近トウカさんをマコトさんにとられてしまいましたし。……あら、そういえば、マコトさんとご一緒するのは私、初めてですわ」
「とられる。取られる……」
　言われた方の少女は首を傾げて、どういうことだろうと言わんばかりに少年を見やる。その様子にはやれやれと言わんばかりだった少年は、二人に視線を動かした。
「——って、クローシェ。俺は別に取ったつもりは無いぞ。冬花も真に受けるなよ」
　そう釘を刺してから、一息。

「しばらく別行動が多かったけど、これからはその必要も少なくなる筈だ。あんた達と一緒に肩を並べて戦えることを嬉しく思う。クローシェ……それにルドも。改めて、冬花を守っていてくれてありがとう。俺たちが無事に再会出来たのも、あんた達のお陰だ。俺たちは冒険者としては未熟だし、これからも迷惑を掛けると思うけど、その……今後とも、宜しく」
「……私からも、ありがとう。色々と、気に掛けてくれていたから」
　言い終えてすぐに、少年はどこかの方へと顔を背けてしまう。その様子には何か微笑ましいものを感じながら少女の声を聞いて、そうしてから応えた。
「俺は好きでやってた事でもあるしな。迷惑かけんのは俺もそうかもしれないし、お互い様だろ。こっちこそ宜しくな、少年」
「お礼を言われる事は何もしていませんわ。だって、友達ですもの、当たり前です。旅や、守る事は私も不慣れですから、そういった処はルドさんに助けて貰ってばかりで」
　あえて名は呼ばなかったそれに、クローシェが続けて。ちらと向けられた視線を感じる、助けられたのはこちらもだがと挟み込むより早くに彼女は続ける。
「私こそ、未熟ですけれど。改めてどうぞ、宜しくお願い致します。こうやって皆さんと一緒に居れて、本当に嬉しいんですの」
　深く、彼女は頭を下げる。視線がどこかへと向いていた少年が、そういや、と声を上げた。
「城で何かあったのか？」
　何か、という言葉に一瞬、何の事かと思って。そしてすぐに浮かんだ事に、あー、と、声を零す。誤摩化すようにそうしておいてから、ほんの少しだけ考えて。
「……うん、まあ、ちょっとあったか。大した事じゃないけど」
　最後が知りすぼみになってしまいそうなのを断ち切って言う。自信が無いような声になってしまったのは隠しきれなかったが、恐らくあの時に会っていたのだろうクローシェを、ちらと見やり、トウカの方にも横目を向けた。
「……うん。問題は、なかったよう」
　緩やかな声の方が、そうとだけ。少年は疑問符を浮かべた。
「……？　特に大事に至らなかったのなら、別にいいか」
　それから僅かな間、少女が自分の靴に手を伸ばすような仕草が視界に映って、そうして短い問い。
「……行く？」
「そうだな、行き先も決まったし、早速出発しよう。城には一体何が待っているのやら——」
　視線を先の方へ向けた少年も応える。じゃあと、そちらを見る視線の動きに倣って。
　——行く先、知る道の先が『兵舎』であるとは、言わなくても良いかと、勝手に沈黙を保ったまま。国にとって一揆は有事だ、兵もある程度は出払っているだろうと判断して、棍を支えに立ち上がった。
　
　——もし『アレ』が出て来たら。方角を見やりながら思う。
　もうそろそろ我慢し続けるのは、辛いかもしれない。
　

『一応の人心の掌握もできてるみたいではあるけど』

その後の問いの答えにも繋がるから、そう前置きして。

手先が不器用な人がいるみたいにね、と付け加える。

名を呼ばれ、問いかける様な言葉には笑みと共に一つ頷いて肯定を返す。
喉元を抑えながら喋る様子に、自然と、手を伸ばす。

エンブリオとある意味同じだと言う事は少しは効果があるだろうか。思わず心配そうな視線を向け、もう片方の手で杖を然りと握り直し。

エンブリオではない。けれど全く違う訳ではない。
彼女から感じる氷のエンブリオの力はそう言う事かと納得した。

様子から言って、ただすんなりとこの世界に来たのではないのだろうと思った。
借りると、言う事は即ち。

座られますか、と促して。

　三人だけ、の言葉に幾度かまばたきを繰り返し、小さく自分でも繰り返す。

　思い出しながら、噛み締めるように、言葉を紡ぐ。

　この水晶を見繕い加工し仕上げたのも、エレフセリアが独りで行った。
　色違いの双子水晶は引き離され、今手元にあるのは闇を司るニュイのみ。
　簡単に纏めてそれもついでと伝えながら、薄く笑みを浮かべた。

予想外の言葉にことりと首を傾げるも、そのまま静かに続きに耳を傾けて。
そうして全てを聞き終えた後に、ふるりと、一度首を振った。

彼が手で押さえているそれを、一瞥して。

僅かに張り詰めていた気持ちを解くように、ほう、と息を吐き出し。
浮かぶ疑問を口にする前に、張本人、という言葉にぱちくりと瞳を瞬かせ、青年の視線に倣い視線を動かす。

思わず。
そう言えば、彼が契約している彼らにきちんと意識を向けたのは、地の子以外は初めてだと思いながら。
彼が言う『張本人』を探すように、きょろりと青い瞳を向けて。

話の持って行く先を間違えたと痛感したのは、彼の耳に残る言葉選びを聞いてから。
ぁ、とか、ぅ、とか。わざとらしく語尾を伸ばされたそれらにたじろぐように言葉を漏らす。
悪戯めいた気配を感じてはいるのだけれど、
上手く受け流したり切り返す器用さは持ち合わせて無く。本人でも無いのに後ろめたさもあるようで。
言葉を探すように視線があちらこちらを向いたり、瞬きが増えたり。
少女にしては珍しく困惑や狼狽がはっきりと見て取れる仕草だった。おろおろ。

にこにこと穏やかに笑ってブラウニーの方を見つめる、が。

明らかにいつもと違う様子に、思わず声をかけた。

およそこの場所には似合わない妖精の姿に瞳を瞬かせ、

多頭の蛇へと視線を移せば、小さく息を吐き、風を引き寄せる。

えと、と悩むように言葉を区切りながら、少女なりの不器用な気遣いを。

手を口元にあて、くすり、笑いながら。

ほっと、安堵するように息をついて。

顔を覆うルドを見、契約を終えたヒュドラと目を合わせ、暫し見詰め合い。

そそそ、とその大きな身体を、己の小さな身体で隠そうとしてみた。丸見えだった。

そう言って進むべき道を見据え、先導するように歩き出す。