<F1>Ｅ−Ｎｏ．９８６ 花冠さんを盛大にお借りしています。

合わせてお目通し頂けるとうれしいです。 ありがとう御座いました。</F1>


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　几帳面な字で書かれたメモ紙を差し出され、何とはなしに、受け取って。
　読みやすくて整った文字で書かれたそれは、買い出し用のメモだった。

「……あ、」

　さっさと自室に戻ろうとするシズを、慌ててルカが引き止めようとした。
　腕を掴めばシズは振り返りこそすれ、小さく溜息まで吐いて。

「……、……アリシアは？」
「……は？」
「アリシア、……どう、してるかな、って」

　目を眇め、シズが目で示した先にあるのは、彼女の──アリシアの部屋の扉。

「……ノックしてみればいいだろ」

　そう言われてしまえば、ルカは掴んでいたシズの腕を放した。
　ノックも、ただの一言ですら何て声を掛けたらいいのか分からない。
　そもそも、彼女に自分が声を掛けていいとも思えなくて、ルカはそのまま俯いた。
　このままでは駄目で、だから声を掛けるなり何かしなければとは思うのだが、怒鳴るような、けれど悲痛で、掠れた声がルカの脳裏に、鼓膜に、胸の内の奥底に響いて、どうしても。

「──ルカ、」

　シズの声に、今度はルカが振り返る。

「……お前、“親が居ない”って言ったよな？」
「へ、」

　正確には、ルカにそう言ったのはアリシアだ。
アリシアだが、確かにそうだ。ルカには親が居ない筈で、けれど、

「お前、孤児院に来た日のこと、覚えてねぇのか？」

　違和感があった。
　ルカにアリシアの気持ちが分からないのは仕方が無いことだ。他人なのだから。
　ただ、ルカに親が居ない筈はなくて、あの日、ルカが孤児院にやって来た日のことを、シズは確かに覚えていた。
　
　あの日、ルカは。

「……覚えて、ない」

　シズの問いにルカが首を横に振った。一度だけ、ゆっくりと。
　そう返されてしまえば、違和感は拭えないままだが、シズはそれ以上、何も言わなかった。
　ルカには、シズが何か言い掛けたように見えて、けれど、シズがどうして、そんなことを自分に訊いたのか、それすらルカには分からないまま。
「ついでに頭冷やして来い」と言われ、もやもやとしたそれと、買い物のメモとをポケットに押し込んで。





　街を行き交うのは大勢の人と、声と。
　紙袋を両手で抱えるようにして、買い物を終えたルカは、大きな通りの端に座り込んで、動けなくなってしまった。
　部屋に閉じこもっているのでは、と、勝手に思い込んでいたアリシアの姿を見付けてしまったから、だった。

　だから何だと言われればそれまでで、大したことではないのだろうが、彼女の姿を見留めた途端に、動けなくなってしまったのだ。

　思い出すのは、彼女の。


「…………、」


　随分長い間、そうしていたような気がする。
　紙袋に埋めていた顔を上げ、緩慢に立ち上がった視界の端に、何か、見覚えのあるものが映ったような気がして、ふ、と。

「── あ、」

　見覚えのある外套と、笠を見付けて、思わず、だ。
　その背に数歩、駆け寄ろうとして、立ち止まる。

　躊躇うのは、自分が、今。

「── かかんにー、ちゃん！」

　脳裏に過る、色々なものを振り払う。
　小走りに駆け寄っては、紙袋を抱える一方の手を空けて、彼の肩を叩こうと、した。

　躊躇ったのは、怖かったからだ。
　それを隠してしまえばいいのだと、そう。

　肩を叩いた彼が振り向けば、結った後ろ髪が揺れる。

「……ジャンルカ？」

　驚いたような表情の彼に、へへ、と小さく、してやったりとばかり、笑って。
　彼の格好は、この世界では目立つもので、だから後ろ姿にも気付けたのだろうと思う。
　目立つその姿は、彼に似合っていて、だから格好良いと、すら。
　見下ろす彼の二つの異なる色から、ほんの少し、目を逸らした。
　無意識だったかも知れないし、恐れを隠すつもりだったのかも知れない。　分からない。

　横に並んで歩き出して、すぐ、色の異なる双眸がルカをもう一度、じ、っと、見詰めた。
　彼の目に何が映ったのかなんてルカには分からない、分からないが、彼は何か。

　視線に気付いたルカが、彼を──花冠を見上げて、見上げた緑色の双眸を、見開く。


「……何か、あったか？」
「── っえ、」


　立ち止まりそうになった。
　その足を何とか前へと動かして、ルカは努めて、わらって、見せて。

　へにゃり、眉尻が下がる。

「別に、何もねーよ？」

　咄嗟に、咄嗟に逃げようとして、彼も咄嗟、だったのだろう。

「っわ、──」
「……ジャンルカ、……」

　ふいに、花冠が手を伸ばすと、ルカの腕を掴んだ。
　何か言おうとして、けれど、何も言わないまま。
　腕を掴んだ手も離せないまま、ふわりと沈黙が下りてくる。

　掴まれた腕が強張ったのがいやでも分かって、紙袋がやけに大きな音を立てた、ような気がした。
　一瞬、わらうことすら忘れて、彼の双眸、その色を窺うように、そうっと、見上げる。
　苦くわらって見せるものの、放してくれる気配なんてものは、まるで。

　つかまった、だなんて、脳裏を過る。

　少しだけ彼が膝を落とし、ルカに目線を近付けた。
　たったそれだけのことでも、ルカにとっては追い詰めるようなそれに等しく、片足が半歩、後ろに退く。
　恐らく無意識だったろうが、彼は何か努めたような声音で、

「……何があった？」

　再度、そう。
　このまま、逃げようとしたなら、それは彼に伝わってしまうことくらい、頭の悪いルカにも分かって、だから動かなかった。
　動けなかったのかも知れないが、こうなってしまっては、どちらも同じようなものだろう、か。

　目を逸らそうと、した。
　出来なかった。
　元々、誤魔化すことだって上手くなんてなくて、これ以上、誤魔化すだなんて出来ないことにも気付く。
　いくら馬鹿でも、気付かされる。

「……〜〜…………、……」

　笑おうとしても出来なくて、貼り付けていた笑みが、そのたった一言に剥がされてしまえば、俯いた。
　何も言えないまま、泣きそうに歪んだ、顔。

「……無理に取り繕うのは、良くない癖だ。 いつかぼろが出る」

　彼は掴んでいたルカの腕を放すと、俯いたルカの頭に掌を添えた。
　叱られる子供のような、顔をして。
　その掌のやさしさにすら怯んでしまって、小さく小さく、肩が跳ねる。

「……ごめん、……なさい」

　抱えた紙袋に顔を隠すように埋めて、わらった（つもりだった）。
　声なんて掛けるんじゃなかったと、思考が落ち掛けた、ところで、

「──ッわ、あ？！」

　ルカが謝辞を口にした、直後だった。
　彼が、花冠がルカを軽々担ぎ上げて、人の行き交う大通りを、離れる。
　慌てて、落としそうになった紙袋を抱え直してとする間にも、彼は。

　これが見知らぬ相手であれば、抵抗だってしただろう。
　怖くて、こわくて、逃げ出したろう。
　そうしなかったのは、相手が彼だったから、だろうか。

　わからない。

　分からないが、ルカは抵抗しないまま、下ろされるまで。
　何か堪えるように、ぎゅ、っと目を瞑っていた。

「──っわ、」

　花冠がルカを漸く下ろしたのは、人の目も、人通りも無いような場所だった。
　下ろされてすぐ、けれど、何か言うよりも先に、ルカの視界を花冠の外套が覆う。
　ばさりと乾いた音。
　顔を覆い隠すような、それ。

「……俺に謝らなければならないようなことを、お前がしたとは思わないよ。ただ、」

　小さく、吐き出される息の音。

「……辛いものだな」

　そう言って彼の手が、ルカの背をさする。
　静かに降ったその声に、ルカの視界が一気に滲んだ。

「……っ……〜〜……、」

　また俯いて、紙袋に顔を、押し付ける。
　首を、横に振る。
　それはちがう。
　つらくなんてない筈だ。

　つらくなんて、ない筈だった。

「……本当に、本当につらいのは、……、」

　オレじゃないから、と、どうしたって震えた、声。
　思い出すのは。

「……お前よりも辛い人間がいたとして、——」

　刺さったまま、抜けそうにない、あの言葉だ。

「……なあ、ジャンルカ」

　震えるのは吐き出す息と肩で、どうにか、ぎりぎりのところで塞き止める。塞き止めた、まま。

「……っ、……」

　名前を呼ぶ声に顔を上げようとして出来なくて、堪えて潤んだ目で、そっと、彼を見上げて。

　つくられた、やさしい笑みに、目を瞠った。

「……自分が辛いなら、それでいいんだ。他の誰がどうあっても」

　それが作られたものだってことは分かったし、けれど、自分の為に向けられたことは確かで、

「……〜〜……っ……へへ、」

　やさしくて、やさしくて、痛いくらいで、泣きそうに、わらった。
　ら、湛えた涙が零れてしまって、咄嗟に、手の甲で拭う。
　ひとたび零れてしまうと、それは、なかなか止まらなくて、止めようと思えば思うほど駄目で、俯いたまま、顔が上げられなくなってしまった。

　花冠がルカを引き寄せ、抱え込む。
　子守りをするように叩く手はひたすらやさしくて、突き放したりも出来なくて、ただ、ただ。

「……オレさ、……アリシアの気持ち、全然、分かん、なくてさ、」

　ぽつ。ぽつ。

「……アリシアが一番、つらいって、分かってる、気でいたんだ、けど、全然、だめで、……全然、分かってなくて、」

　過るのは、辛そうな、悲しそうな、寂しそうな、彼女の。

「……ずっと、ずっと一緒に、居たのに、……アリシア、ずっと、さみしかったんだって、気付けなくて、」

　雫が、水面に音を立てるような。

「……〜〜……ッ……オレ、ほんと、ばかだなって、」
「……何か、言われたのか」

　花冠の声音は、静かで、平坦で。
　けれど、その一言に止まらなかった涙が止まったような、気がして、

「──、……オレ、孤児だからさ。親の顔とか、覚えてなくて、だから、」

　笑おうと、した。笑える気がしたのか。
　わからない。

　視界が滲んで、また、俯いて。

「──親の居ないルカになん、か、気持ちが分かるわけ、ないって。……アリシアの、言う通りだった」

　痛みを堪えて、苦しいのを誤魔化すみたいに。

「…………ジャンルカ」

　不器用に、花冠の指先がルカの涙を拭う。
　名前を呼ぶ。
　親の居ない、けれど恐らく、親が与えてくれたんだろう名前を。

「俺にはお前の気持ちは分からないし、アリシアの気持ちも分からない」

　ハッキリとした、声の音。

「……他人は、どうしたって他人だから、他人の気持ちが分からないのは、当たり前なんだ」

　自分を映す、二つの色。

「……その上で、お前は、どうしたいと思う」

　問うのではなく、確かめるような。

「……オレ、」

　彼の声に答える為の言葉を探すべく、間が空いた。間が空いて、空いて、

「── ……それでも、アリ、シアの、」

思い出すのは、

「…………傍にいてやれ」


　いつか、の。


「家族でなくとも、親でなくとも、お前たちは——お前は、アリシアの”大切”だよ」


　表情を緩めるようにして、花冠が、彼が笑った。


「……っオレ、オレだって、アリシアのこと、大切だって！ だから、だからっ……〜〜……、」


　傍に　居た　　い　　　　と。


　語尾が小さくなって震えたのは、泣き声を堪えたからだ。
　押し殺されたよう、小さな声に、花冠は頷いた。
　もう一度、ルカの頭を撫でてやる。

「……そう思えるなら大丈夫だよ。辛いことは、あるかもしれないけれど——」

　それでも。

　外套越し、頭を撫でてくれる掌のやさしさに、また零れそうになった涙を、どうにか堪えて、小さく、笑み声。

「……かかんにーちゃんの言う通りだな、」

　声音は努めて、明るく。

「……大丈夫、」

　言い聞かせるみたいにして、一度ゆっくり、深呼吸、する。

　ぱっ、と被っていた外套を取り払って。 見上げて、へら、と。


「── オレ、もう大丈夫だから」


　笑ってみせた。

　ちゃんと、笑えたらしかった。
　二つの色が、眼差しが、表情が、安心したように緩む。

「……そうか」

　そう言って、またルカの頭を撫でる、手。
　笑みを深めて外套を差し出すルカから外套を受け取り、それを慣れた動作で身に纏う。
　翻る外套、風を纏うような、その動作。

「……また、何かあれば、」

　彼の言は、そこで途切れたように聞こえた。
　続く言はなく、だからルカは気付けないまま。

「……かかんにーちゃん、」


　無い笠を直すように、彼の仕草を真似て。


「……ありがとな」


いたずらめいた、子供の顔で笑って。

この前のように離れて歩いている、というわけでもないが。
それでもやはりルカとはあまり顔を合わせようとはしていない。
まだ、気まずいようだ。

　それでも、二人の距離感がいつもと違う気はする。気まずそうにも、見えて。

　努めて自然に、そう彼女に話しかける。

逐一問うた言を記憶にとどめる。より鮮明に世界の情景を思い描けば帰る道は繋がる。
しかし一辺倒に鵜呑みにはしない。歴史を知る彼の様子を眺め、つつ

このくらいの男の子は、そういうものに憧れるとか…聞いた事ある気がする。元気な子だもの

あとは転移する術が完全に回復してから、なら。連れていけるだろう。もう少しだけかかるかもしれないけど。

シズの独り言のようなそれは、確かに耳に届く。眼を細めて紫水晶の眼がまぶたに覆われる

差し出された飴玉を嬉しそうに手を伸ばすが、すんでのところで止めると少年と目を合わせた

ポケットなどを探ってみるも、そういった類のものは見つからない

　イヌワシは羽ばたき、杖に括りつけられた常盤色の結晶が、きらりと輝いた。