かつて、彼の竜は忘却を習いとした。

其は暴虐たり、されど白痴に在らず。

ただ充足たる味わいを、己が生の伴侶と成すが為に。





背に聳える双翼は、無限の飛翔を遂げる。

竜は気の向くまま、世界の空を駆け巡った。



西の果てでは、壮健たる勇士と出会った。

竜は勇士の肉を切り裂き、此れを喰らった。


北の極地では、白き化獣と対峙した。

竜は白獣の肉を引き千切り、此れを弄んだ。


南の王国では、己が血を狙う千の兵と牙を交えた。

竜は屍の山を築き上げ、此れを踏み躙った。



最後に竜は全てを忘却し、その地を飛び去った。






竜は眼前に在るモノを、ひたすらに貪り続けた。

そして満足を得たならば、事物を忘れ無へと帰す。

脳裏に残されるのは、己が愉しみを損なわぬ知見のみ。

それが、自らの永き生に対する竜の作法であった。




竜が暴虐を振るうのは、己が価値を忘れぬ為。

即ち他の生を貶め、舐り喰らうこと。

忘却した暴虐を、幾度も幾度も振るい躙り尽くす。

その行いは等しく、自らの生の在り方を肯定した。





いつしか、竜には名が付けられ。

数多の輝かしき智が、その体躯に刻み込まれた。

されど、己が生の在り方を揺るがされること、未だ無く。

竜にとって遍く生は、全て塵芥であった。








かつて、彼の竜は大地に落とされた。

竜の翼を落としたるは、一人のマタギ。

其は虚ろな、薙げば吹き飛ぶが如し、小さき人の身であった。




捥げた翼の痛みは、竜の自尊心を呼び起こす。

二度と癒えぬ傷痕は、己が暴虐の末路を知らしめた。

忘却を続けた生の軌跡は、脆くも崩れ去り。

並べては、偽りの現実であったことを示した。



この時、竜の世界は装いを変え。

初めて己以外の根深き生を、その眼前に見出した。




忘却した過去を、安易に舐め取る営みの中。

永劫を生きる竜の時間は、決して回り出すことは無く。

されど彼の日、竜の標は初めて、己が外へと向かい。

其の時間は、ゆるやかに前へと転がり始めた。



竜の刻む時は、人と共に在り……。

背を追い地を這い回る中で、竜の瞳は金色に輝いた。








かつて、竜は混濁を友としていた。

不確かなるまま、己が根源の在り処を知らず。

唯一つも確かめること無く、不省を良しと成すが為に。





果たして、其は自在の術であったか。

彼の術を行使したるは、前にも後にも一度とて無く。



竜が人の身と相成ったるは、いつのことで在ったか。

変化の術などと、都合良く言って聞かせ。

何故に竜が術を知り得たか、最早全てが忘却の中。









最後に、彼女は己が竜たる姿を忘れた。

　抱きつき返され、天にも昇りそうな快感を得るロッテ
　

強さ、とは。
戦うことで身に付く強さと、彼女の言う強さは、少し、違うように思えた。

彼女と並んで、戦線に立つことを宣言する。
も、再び“星屑の山”にて彼女と出会う時には、まだ並び立つには及ばなかったけれど。
「心配も無用か」と聞けば、頭の後ろで手を組んで、へへ。と、笑って返した。

小さく息を吐き、なにか、思い出すように俯いて、目を伏せる。
彼女が自分へ訊ねる声に顔を上げると、一考した後、

つまり、フローラの言う"旦那様"とやらは、伯爵の階級を所持する者らしい。

彼女の同行者であった男の名を聞いて、フローラは考え込む。