ぞぐっ、と、音がした


「か——は…………っ…」

ヴィルムが、倒れる。ヴィルムの胸から、何かが生えている。
まるで棒のような黒い、何か。
……ヴィルムはどうして倒れているんだろう？

「ヴィル、ム……？」

名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと瞳を此方へ向ける。
ヴィルムははぁ、はぁ、と血を吐きながら荒い息をついていた。
…ああ、何度もこんな光景を見た事がある。
私も似たような事はあったし、ディラックやグリフもそうだ。
そんな時も、彼女がいたから、私達は何度も立ち上がる事ができた。
…彼女自身が倒れた時だってそうだ。
ヴィルムは、血を吐きながらも必死で自分を治療し、立ち上がって、私達を助けてくれた。

……そうだ。こんな傷、ヴィルムならすぐに治せるはずだ。
それに気づいた私は、すぐさま影の槍を消し去り、ヴィルムに近寄る。

周りの騎士達が何かを叫んだ気もするが、聞こえない。
何かを怒鳴りながら邪魔をしてくる鉄の塊を吹き飛ばしながら、ヴィルムへ近づいた。

邪魔だ、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔ァッ！！

倒れるヴィルムの傷口からは、未だどくどくと血が溢れている。
白い衣は、今や見る影もなく、赤い血で染まっていた。

「……いたい、ですよね……。ごめんなさい……」

傷つけたのは私のはずなのに。傷ついているのはヴィルムのはずなのに、彼女はそんな事を言って、悲しそうな顔をしていた。

「ごめんなさい、わたしのわがままで……」

「わがまま？　わがままって、何よ。いいから早く治療しなさいよ…！」

今ほど、治癒呪文を使えない事を後悔した日は無い。
有り余る魔力を使い、無理矢理再現しようとしても、すぐに無駄だと気付いた。
過ぎたる治癒、誤った治癒は、繊細な人体にとっては猛毒でしかないのだ。一朝一夕でどうにかなるものではない。
…そんな事は分かっていた。けれど、私は必至で続けた。
作っては霧散し、また作っては崩して、何度も、何度も。調整を続けて。
それをヴィルムは「良いんです」と微笑して止めた。

「何が、いいのよ…！　良いわけないでしょ…！？」

「……言われたんです。わたし」

「何をよ…！」

「……教会と、王国が、条約を結んだそうです……」

言葉を失う。

考えてみれば、それは当然の事だった。
私がヴィルムに接触して、仲間に引き込もうとする事なんて、奴等は当然分かっていた。
なら、その対策を取ろうとするのは当たり前の事だった。
その為に必要なのは、何か？　今よりも良い待遇か？　何かの約束か？　聖女としての使命感を煽る事か？

いいや、違う。そもそも、彼女が私の側につくのは、私との絆があるからだ。
ならばそれを食い止めるには、その絆と同等のものを、握ってしまえば良い。
彼等が自由にできて、私と絆と同等のもの。それは、即ち。

「わたしが魔王討伐を拒否すれば、聖母様を殺し、その偉業を…地に落とすと…。
　でも、私。聖母様と同じくらい、あなたの事が、大切だったから……。
　天秤にかけたく、なくって。それは、酷い冒涜だと思って……ごめんなさい…」

どくどくと、血は流れる。
私は治癒呪文を作る事を、いつの間にか止めていた。
……彼女が治癒をしない理由を、ここに来てやっと理解した。

「私が死ねば、二人を裏切らなくて、済むって。…ごめんなさい、我儘で。勝手で……。
それだって裏切りで、あなたを悲しませるって事、わかって、いたのに……」

「……なんで。なんで私に、それを言ってくれなかったのよ。
　私なら、すぐに聖母様とやらを見つけて、噂を流さないようにする事だって…」

恨み言を、彼女にぶつける。
彼女は微笑んで

「…でも、あなたは。悪行を積んでしまう」

私の頬を、優しく撫でた。

「……聖母様が助かっても、あなたに罪を背負わせてしまう。
　それだと、あなたはいつまで経っても安らげない」

「……私、神なんて信じないって、言ったでしょ？
　そんな罪なんて、どうでも、良かったのに……」

知っている。
私は、知っている。
私にとってはどうでも良い事だったが、彼女にとってはそうでなかった。
信仰に生きた彼女にとって、"罪を背負わせる"という言葉の意味は、私が思うよりもずっと重い。

「…………」

死ぬ事で二人が救える。ならば自分が死ぬのが正しい。
ヴィルムが言っている事は、絶対に間違っている。それだけは、断言できた。
……だが、それならどうすればいいのだろう？
私が死ぬ事か？　それとも、彼女を助けて、彼女の意思を無視して罪を背負う事か？

答えは出ない。
出ない間にも、ヴィルムの命はどんどん失われて行く。
何かないか、と悩んでも、答えは出ない。答えが出ないなら、私は、考える前に進むだけだ。

「罪なんて、背負ってやるわよ。いくらだって。
　私を、置いて行かないでよ、ヴィルム…。私に、あんたを殺させる気なの？
　ここでアンタが死んだら、その方がよっぽど罪深いじゃない！」

「…………。でも…」

迷いが生まれたのが見て取れる。
畳みかける様に、続けた。

「罪くらい、背負わせなさいよ。アンタが悩む必要なんてないし、罪は償えるんでしょ？
　でも、あなたが死んだら取り返しなんてつかないじゃない！」

「…………」

「お願い。全部終わったら、必ず償うから……。だからヴィルム、死なないで…」

「…………ずるいですよ。…そう言われたら、死ぬに死ねないじゃないですか。
　何を言われても耳を塞いで、絶対にそうしようって、思ったのに…」

微笑しながら、ヴィルムは自分の傷口へ手を遣った。
お互い、涙声になって、未だ戦いが続く最中、何をやっているのだろうと苦笑する。
ヴィルムも笑みを返して。ゆっくりと詠唱を開始——

ドズッ

「…………え？」

びしゃり、と顔に生暖かい液体がかかる。
…ヴィルムの腹からは、また何かが生えていた。
今度は黒い棒じゃない。純白の、光り輝く剣。聖騎士の、剣。

「やはり魔王に加担したか。…魔女め…ッ！」

何を、叫んでいるのか分からない。分からないが。私は、思いのままに手を翳し——

「ふざけるなァァァァァッ！！！」

炸裂した暗黒の奔流が、聖騎士の身体を挽き潰した。
じゃばあっ、と肉塊と血が聖堂に散らばる。

「ヴィルム……！」

驚愕に目を見開き、ぱく、ぱく、と口を開閉させていたヴィルムは。
必死の形相で私の手を掴み、かすれた声で、何かを言おうとした。
——もう助からない。なら、せめてその言葉を。

「…何？」


口に耳を近付ける。……声は聞こえない。彼女はふうっと、か細い息を遺して。
最期に私の頭をしっかりと抱きしめ、息絶えた。

手を空に掲げると、向日葵を伸ばして広げた。まるで傘を広げる様に

うん、こわい

ふつふつと呟き、フィーグルをまっすぐ見る

レベルの高い人々が集まる世界だから、平均水準もよほど高いのかも知れなかった。

　子を産むかはともかく、その方が心配も少ないであろう。

　言葉の後半は自分へと言い聞かせるように語っていた。

　話したくても話せない状況。それを聞くと、ああ、と何か思い出したように相槌を打ち。

　何となく親近感が湧いた矢先。相当な長期戦を覚悟しろという旨を聞き、一瞬表情が青ざめた。

想定外である。加えて朦朧としたまま拝聴するのは無礼に当たるのではないか……。板挟みの危惧をしていたが、助け舟の申し出はありがたい。

　流石に一例だけで、みながそうではない様だ。考えてみれば当たり前だが。



　……昔話。そう切り出され、紡がれる言葉に耳を傾ける。
　魔王を討つ勇者と、その仲間達。寓話か戯曲、あるいは童話の様な物語。めでたし、めでたしと、締め括る言葉と震える子ビス。さらに後に続くのは、腹の底の貯めた澱のような他者を呪う言葉。彼女にもまた、これほどの恨みを秘めていたのか。
　悪しき王を討とうとする身には、

　いびつだ、とトカゲは言った。
　他者からの怨嗟を受け、殺されるために悪を為す魔王も。
　そして諸悪の根源を用意しなければ、幸福になれない他の命も。

腹に穴をあけられた時は普通対処できません。

　　　　　　　共感を求めるかのように小首を傾げる。ただ、それは建前。
　　　　　　　本音を言ってしまえば、相手が女の子だから。その一言に尽きる。

　　　　　　　身体に影響を受けるほどの弱点。
　　　　　　　それを考える間もなく、あっさりと答えてみせた。