随分と昔。ネクターの花に興味を持つよりも前。
　本当に子供だった時の記憶。砂漠を渡る行商隊を初めて見た時の事だ。

　周囲のほぼ全方位が何もない砂漠の故郷にとって、不定期に訪れる行商隊との交易は活気ある行事の一つだ。この時ばかりは戦士達も武具の手入れや、稽古の手を止めて外の世界から持ち込まれた物品の見物や買い物を楽しんでいく。

　幼かった時の自分にしてみれば、外との交流は取り分け眩しく映ってた。
　不思議な紋様の編み込まれた異国の布や、遠方の山から出土した希少な鉱物やそれを材料とした武器や甲冑。そういった品々を、戦士たちが仕留め剥ぎ取った巨獣の一部や、安全なルートの護衛などを対価に取引きを進めていくのを眺めていた。

　そして行商隊がしばらく留まるようならば、その日の夜は彼らをもてなす宴が開かれる。

　これからも御贔屓に。元より少ない外界との交流を、繋ごうという意図は分からなかったが、単純に皆宴が好きなのはすぐにわかった。

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「珍しい物を見せてやろう。きっとここいらじゃお目にかかれないものだ」

　運んでいた料理を届けると、近くに座っていた商人から声をかけられた。

「珍しいもの！？　見たい！」

　その言葉は幼い心を大いにくすぐった。
　この機会を逃すまいと目を輝かせる子供の様子に、商人は満足そうに頷くと傍らから麻で編まれた籠を取り出した。

　籠は思っていたよりも大きかった。

　そして籠のふたになっていた網を外すと、商人は覗いてごらんと言った。

「……」

　促されるままに。おそるおそるだが興奮を隠せぬまま覗いてみる。
　と。闇の奥に、黄金色の二つの光がギラリと目に飛び込んできた。

「なに！？　これは何！？」

　びっくりして飛び退りながら叫ぶ。そのオーバーな反応に商人は声を上げて笑って見せた。

「はっはは！　悪い悪い。だが怖がる事は無いぞ……」

　商人は籠の中へと手を入れた。そして間もなく中に隠れていた物を伴って、その手を引き抜き、ソレを幼いトカゲの目の前へと差し出した。

　それは。なんというか、たぶん。
　変な生き物だった。

　全身が長い毛で覆われた、見るからに暑そうな毛むくじゃらの体。
　自分達に比べると明らかにふにゃふにゃした体で、尻から伸びるひょろ長い尻尾が、別の生き物のようにくねくねと動いている。
　何よりも顔が変だ。頭に三角形の尖がりがある。角ではない。それに鼻が潰れた様に低く、その近くから奇妙な毛がピンと伸びている。
　そしてさっき見たギラついていた光がこの生物の両目だと分かった時、それは、にゃあ〜という気の抜けた鳴き声を上げたのだった。

　確かに商人の言った通りだった。こんなヘンテコな生き物見た事が無い。
　息をのんでこの珍妙な生物を見ていると、商人は猫を撫でながら言った

「こいつはな猫っていう動物だ」

「ねこ？」

「ああ。お前さんらには馴染みは薄いかもしれんが、人間にとっちゃすごく身近な動物なんだ」

「家畜ってこと？」

「いやいやこんな小さい動物、家畜にはせんよ。まあ、飼う人間がいるって点は同じだがな」

「飼うの？　どうして？」

「どうしてってそりゃ……かわいいから、じゃないのか？」

　商人も自信がないのか、語尾の方は疑問符を浮かべていた。

　何でも、遠くにいる愛好家という者に配達するらしい。
　わざわざ遠方から家畜でもエンブリオでもないものを取り寄せ、傍に置きたがるその感覚はよく分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。
　今はただこの不思議な毛玉の様な生き物をもっと観察していたい。とにかく気になって仕方がない。
　そんな心境を酌んだのであろうか。

「なんなら抱いてみるか？」

「いいの！？」

　願ってもない申し出に、思わず飛びついた。
　商人は頷き、そして手に抱えていた猫をそっと差し出して見せた。


　こちらも手を伸ばす。猫を受け取るために。
　初めて見る生物がいてそれに触れる。そう思うと、一層緊張してきた。
　猫の毛は、よく見ると柔らかそうな質感に見えた。それに商人の指は半ばまでその毛の中に埋まっている。弾力があるようには見えない。もっとふわふわとした綿のような触り心地なのだろうか……。

　指が猫に触れる。手のひらの鱗越しに伝わる柔らかい感触。そして温度が感じられた。
　商人が手を離すと、今度は猫の重みが手の中に広がった。

　猫は軽かった。軽く、しなやかで柔らかく、何より温かい。


　——すごい、すごい……！

　飛び上がりたくなる歓喜だった。まさかこんな生き物がいただなんて！

　すごい、すごい、と、抱えた猫をさらに高く抱き上げる。

　だがこの直後。感極まりすぎた事が仇となってしまった。

　興奮のあまり、猫を抱く手に力が込められてしまう。
　だが所詮は子供の力。締め付けるような筋力はない。だが、幼いトカゲ人の指先には、未発達だが尖った爪がしっかりと備わっていたのだ。

　それが運悪く、猫の皮膚へとぷすりと刺さってしまった、途端。

フぎゃアアアアアアアアアアアアアアアアアア！！


　突然絶叫上げる猫。その激変に驚いたトカゲの足が縺れた。
　背中から地面へと倒れいく。そのとき、指の力が抜けて、抱えていた猫が空中に開放された。

　あ、っと呟く間も受身を取る余裕もないまま、頭から地面に落ちる。後頭部からの鈍い痛みが混乱する頭を一層に揺さぶった。

　パニックになる思考。そこに重力に引かれた猫が落ちてくる。

　狙い済ましたかのように、幼いゼゼの顔面へと。

　猫の着地に音はなかった。変わりに、鋭利な爪が鱗へと食い込み、猫の体重を伴う激痛が顔全体に錯綜する。
　
　そこに振り上げられた爪。

　篝火を照り返しを纏ったそれが、ゼゼの目へと吸い込まれるように——

階段に子猫が顔を覗かせているエンブレムの描かれた銀のホルダーのようだ。アクセサリーにもなるだろう。

肉体と精神を削る、戦いの日々とはやはり厳しいものだと

大衆は先に述べた平穏を享受し、また脆くなるのだが、それもまたヒトの摂理

笑顔を作りながら、どこかばつの悪そうにしている。研究や強くする、といった言葉を紡いだ先からそんな調子である。

なれば突き進むも迎合するのも、それはそう有れかし、と。

そろ、と視線を逸らした。

少しためらうようなそぶりを見せた後、ゆっくりと慎重にそう尋ねる。