「"魔物を産む"なんて言うから、何事かと思ったわよ…」

結論から言えば、私が想像していたような事態は発生せず、魔物達が求めたのは一種の儀式めいたものだった。
媒介となる物質を用意し、それに私の魔力を込め、かたちと種族としての名を与える…これだけだ。
錬金術でいうところのホムンクルスや、その他魔法生物の作製…に近いものなのだろうが、彼等のそれは精密な作業工程や長い期間をかけて行うものだ。この儀式はあまりにも簡単すぎる。
錬金術の分野には詳しくないが、それでも今自分がしている事は恐ろしく常識外れである事は承知している。

本来なら、こんな事で一つの生物を、命を誕生させる事が出来るはずがないのだ。
そんな事ができる者がいるとすればそれは、神か、あるいは悪魔しかいやしないだろう。
——しかし、悪魔はいた。

私が適当な瓦礫に試しにと魔力を込めると、それは粘性を持った闇へと姿を変えたのだ。

「……うわ気持ち悪…」

思わず顔を顰めながら呟いていると、横から例の老魔族が「さあ、かたちと名をお与えください」と急かしてくる。
無茶を言うな。そもそも「かたちを与える」ってのは何だ。どうやってやるんだ。
さっきから意図的にか、それとも知らないのか、この老魔族は具体的な事を何一つ口にしない。
期待に満ちた視線から逃れるように、私は粘性の闇へと目を戻した。
未だぐねぐねと蠢くそれは、まるで黒色のスライムのようにも見える。
しかし、スライムと違い、これには実体が無い。霞のようなものだ。触ってもただ、すり抜ける。
なのに触れた時に指先から伝わる、魂を凍えさせる冷たさが、これは黒霧などではなく本当に闇そのものなのだと、理解させる。

「闇…か」

…ふと、昔聞いたお伽噺を思い出した。
幼い頃に聞かされた、闇の妖精の話だ。
彼は森の闇の中に潜む寂しがり屋の妖精で、いつでも友達を欲している。
だから暗くなってから森にいる子供を見つけたら、そのまま闇の世界へ連れ去ってしまうという、よくある躾話。

この粘性の闇を見ていて、なんとなく、その妖精の名が頭に浮かんだ。
懐かしさからか、思わず、呟く。

「…シェイド」

幼い頃に夢想した、闇の妖精の姿が思い浮かぶ。
それは落とし穴のように地面に広がる小さな黒い円の姿をしていて、暗い森の中で遊ぶ子供の足下にそっと近寄る。子供は、地面に吸い込まれるようにして消えてしまう。
まるで覆い、飲み干すように。喰らい、貪るように。

——と。ぼーっとなって想像をしていた私の前で、蠢く闇が、更に激しく蠢き出した。
何事かと距離を取る。

闇はぐねぐねと、内部から何かが出ようとするかのように、身をよじり、膨らんでは縮み、一部が伸びたと思えば別の一部が形を変えてを繰り返す。
やがて闇はぼとりと、何の前触れもなく、力尽きたかのように地面へ落ちて、消える。

「…………失敗…かしら？」

先に名前を与えたのがまずかったかもしれない。
魔物だからそこまでではないが、一つの命の終わりに、若干の良心が痛む。

「…いえ、問題ありませんぞ。魔王様」

「え？」

彼は嬉しそうに顔をほころばせながら、視線を地面へと向けている。
なんとなしに、私も目線を追って地面を見た。
１ｍほどの穴が、開いている。さっきまで何もなかった空間に。いつの間にか。

……いや、違う。これは、穴ではない。
闇だ。夜よりもずっと深い真闇が、地面に潜んでいる。
もっと言うなら、これは、ただの闇なんかじゃない。
これは、これは——

「シェイド、でしたな？　魔王様」

そうだ。私は幼い頃、この姿を夢想し怯えていた。
それが何で目の前にいる？
…簡単だ。

私が、産んだのだ。魔物を。

「……はは、は、はは…」

今更になって。此処にきてようやく、私は、ひどく恐ろしくなった。
さっきまで現実味のなかった言葉が脳内で繰り返され、楔のように胸に突き刺さる。

「わた、わたし、本当に、ま、魔王に……？」

私は、どうなってしまったんだろう。どうなるんだろう。
あんな出鱈目な方法で、ただイメージしただけで、名前を与えただけで。一つの命を作り出す程の存在になってしまう奴なんて、それこそ、神か悪魔しかいやしない。
怖くて、無意識に続けなかった言葉が、魂を凍えさせる。

——それができるとしたら、もう人間じゃない——

「……魔王様、どうか、なされました？」

「待って、お願い、近づかないで。私、私、魔王なんかじゃない…。私は、人間よ。人間なの…」

へたりこみながら、手を振り、老魔族の顔を見ない様にしながら這うようにして距離を取る。
手足に力が入らない。蝸牛の様な速度で、ずりずりと逃げようとする。

「落ち着いて下さい、魔王様！」

「止めて！　私は、魔王じゃない！！」

幼子のように耳を塞ぎ、目を塞ぐ。
聞きたくない。見たくない。考えたくない。
そうすれば、嫌でも意識してしまうから。


ああ、でも私はきっと、まだ人間だ。
暗闇の中で、必死に考える。誰かに向けて弁明している。

だって、そうでしょう？

私は今、凄く怖い。身体をガタガタ震わせて、頭もろくに働かなくなってしまっている。

でも、魔王なら恐怖なんてしやしない。
己が魔王である事なんて当たり前なんだから、恐怖する必要がそもそもない。
だから、この恐怖が在る限り、私はきっと人間だ——

　現状に満足。ボディーランゲージでどうにか。
　どちらも故郷の連中に言える事なので、身につまされる話だった。

　赤い髪を掻く姿を見てそんなふうに思い尋ねてみる。

　言葉にしながら思う。そんな奴絶対にいない。

　そして以前合流した時に名乗っていなかったかと聞かれれば、コクりと頷き。フィーグルの堂々たる宣言を聞き。

　トカゲはひとまず、少し考え込んだ。
　見下ろす形になっている体格差。そして宣言直前の少し照れた様子などを見てしまうと、威厳よりもどちらかといえばあどけなさが先行する。だが力量を見るならば、ごっこ遊びという事もないだろう。

　ゼゼ自身そのつもりは無いだろうが、少しだけ皮肉っぽく聞こえたかもしれない。

　だとしたら、同情の念を禁じえない……

　尚、トカゲの故郷はド貧乏である。

遠くから、見慣れた風貌だが若干明るい色彩の植物が近づいてくる。
話の途中で一度別れ、その後数日姿を見せていなかったのだが—

くるりと回って、自分が如何に元気になったかを見せようとしている。綺麗な花びらがくるくると回る。
ぺこりとお辞儀をしてお礼を言い、別れる前に話していた話題に戻る。

勝手に妄想を繰り広げているようだ。

同じ年頃か下に見える少女に『お嬢さん』と呼ばれたからか、
少し腫らした目をきょとんと瞬かせた後、同じように挨拶を返して。

闇色マントが無ければ、只の愛らしい少女に見えるのか、警戒心は抱いていないようで。

変化の乏しい表情のまま、ことりと首を傾げてみせた。