全く何がどうなってんだ。
　悪態をつき、ゼゼは大樹の根を越え走り続ける。

　木々ばかりの景色はいつしか闇に覆われていた。加え闇は濃さを増し、視界は悪くなる一方だ。

　走りながら状況整理しようと努める。

　兵舎から森林へと赴く道中だった。
　森林付近の植物を採取をしたいとゼゼが言い。すぐ戻るとエンブリオ数体を連れて一行から抜けた。
　それから間もなく必要な分だけ植物を確保し、戻ろうとした時だ。

　昼間の景色に闇が染みるように降りてきた。
　そして奴らが現れ、それらから逃げている最中だった。

「ちっ！」

　飛び出した先、木枝が目前に迫る。
　背筋をぐっと反らし、突っ込んだ先にある枝をギリギリでかわす。が、長い顎が少し掠る。じわりとした熱い痛みに耐えつつゼゼは声を飛ばす。

「オウラス！　パキラ！」

「ここにおる。パキラは頭上だ」

　すぐ傍、赤い燐光が舞い蝶のような姿の小さなサラマンダーが応じる。
　パキラの応答は無いが、走りながら上を向くことは出来ない。ここはオウラスの言葉を信じることにする。

「ベロキ」

「はーい」

　間延びした声は右側から聞こえてきた。視線を僅かに移すと、ブラックアニスは居た。

「荷物は？」

「なによそっちの心配？　せっかく手伝ってあげたのに」

「感謝はしている。だがお前は黙っていても平気だろう。で、あるのか？」

「はいはい」

　憮然とベロキは鉤爪で皮袋をかざしてみせる。その中には採取した植物入りの瓶が幾つも入っている。

「落とすなよ」

「善処は——ゼゼちゃん伏せて！」

「！」

　言われるなり身を低くした。頭上で風を切る音が鳴る。さらに遅れて悲鳴が重なった。

「ひゃっ」

「ベロキ！」

　振り向いた目に飛び込んできたのは、腕を伸ばす異形の姿だった。
　不気味な紋様の浮かぶ黒い四肢。仮面を付けた顔と開かれる大口。並ぶ牙には多量の唾液がこべりついている。
　その腕の先端。鋭い爪が、ベロキが盾にとかざした皮袋を突き刺している。
　パキリ、と。ガラスの割れる音がした。

「！」

　ゼゼの目に漆黒色が満ち、縦筋の瞳が赤黒い点に変貌。
　背に寄生したヒュドラの力を借りる時に起きる現象だ。

「よくも俺のサンプルを！」

　遮二無二、ゼゼは爪を突き出した。
　黒い身体に爪が届いた瞬間、ヒュドラの毒が異形の体内へと流れ出し、化物の苦鳴が耳を劈く。この化け物にも毒は通じる。それを認識し、左からのニ手目を——

　と、それより早くベロキが無言のまま鉤爪で異形の仮面を貫いていた。

「がつがつし過ぎにも限度があるでしょ」

　爪を引き抜く。仮面の割れた異形は倒れながら煙の様に消えてしまった。

「うわ消えちゃったよ……なんなのこいつら」

　ゼゼちゃん知ってる？　と問う。が、無事だった瓶を拾いながらゼゼは首を横に振る。

「さあな。エンブリオでもなさそうだ。もしかしたら、王の軍勢が用意したものかもしれん」

　いつもそこに落ち着くのね。声にせずベロキは嘆息を一つ。

「何にしろ急ぐぞ。まだ奴らは来る」

　異形は数体で向かってきた。それにまだ捲いたとも思えない。
　そう考えた矢先、背後から草を踏みしめる音が聞こえた。

　——言ってる傍から！

　即座身体を反転。視界の端、ニンゲンの様な影が見えた。あの黒い影と、敵と断定し、振り向き様に——
　
「！」

　ゼゼの目が見開かれる。爪が止まる。

　刹那、銃声が轟いた。

　頭の傍を何かが高速でよぎった。頬にかかる風の鋭い感触に背筋が凍り、一瞬思考の一切が飛ぶ。
　そして一拍の後。
　背後にドサリと、重い音が響いた。
　振り返る。倒れ伏した異形が消えるのが見えた。

「間一髪だな。この場合俺もだけど」

　ぶっ刺されなくて良かったよ、と苦笑混じりに呟くと銃から延びる硝煙をふっと吹き消してみせる。

　現れたのは背の高い青年だった。
　金色の長髪。碧色の眼をどこか気だるげに細めながら、気さくにゼゼへと言葉をかける。
　ゼゼの様な亜人にも隔てなく応じる彼もまた人間ではなかった。
　それは金髪から覗く赤い角と、腰から延びている尻尾が如実に語っている。

「けど、こんなところで会うとは妙な縁もあったな」

「それはこちらもですクライ殿。ありがとうございました」

　現れた青年——クライカリオスへと一礼し、ゼゼは感謝を告げる。

「我が主よ。この者は？」

「前に話した次元竜殿だ。お前らも無礼がないように」

「あらイイ男じゃない。ゼゼちゃん名前以外全然話してくれないからなあ。あ、角とか尻尾とかある。本当に人間じゃないんだ」

「弁えろベロキ！　クライ殿申し訳ありません。自分の躾がなってないばかりに……」

　クライに寄るベロキをゼゼは必死に剥がしにかかる。そんな様子に苦笑しつつ、クライはほっと息を吐き、

「いや、いいっていいって……。
しかしお前も運がないな。こんな所でローバルに出くわすなんてよ」

「ローバル？　この仮面どものことですか？」

　訊き返しつつ、ゼゼは完全に消えゆく異形を見る。クライは、小さく頷いた。

「掻い摘んで言えば、エンブリオの魔力を食う化け物だ」

「エンブリオを？」

　その言葉にベロキは眉を潜める。パキラとオウラスも互いを見合った。

「ああ。俺もこの世界に来た時見かけたが、ここのとこ増えたかな」

「……クライ殿。奴らはエンブリオ以外も襲うこともあるのでしょうか？」

「ん？」

「あいつらはエンブリオ達だけでなく、俺も標的にしてきました。血肉も食らうのでしょうか？」

　先程もそうだ。あのローバルが率先して狙ってきたのはゼゼだ。

「それは、どうだろうな……魔力を食うのだけは分かってるが。何か心当たりはないのか？」

「……」

　ふと、背中に寄生するヒュドラが思い浮かぶ。
　直接その力を扱えるのであれば、魔力が身体に浸透していると考えられなくもない。さしずめ俺は馳走の包装紙か……そう思うと何とも言えない気分になるが。

「とにかく長いは無用です。早々に引き上げましょう」

「いや、俺はもう少し残るよ」

「クライ殿？」

　言って、クライは森の奥を見据える。
　草を分け進む音。漂ってくる臭い。異形達の気配が闇の奥からひしひしと伝わってきた。

「放ってはおけないだろう。それに憂さ晴らしもしたい気分なんでね」

　次元竜の浮かべた笑みは、狩猟に臨む狩人のそれに見えた。温厚な印象を持つ彼だったが、ローバルとは何か因縁があったのかもしれない。

「下がるなら時間を稼ぐぜ？」

「そうもいきません。お付き合い致します」

　リスクは避けるべきだが竜殿を残し、退くような真似は出来ない。
　告げて、ゼゼもまたクライに並ぶ。

「ベロキ。お前は先に戻れ。バリオ達を呼んでこい」

「いいの？　餌が増えて奴さんが喜ぶんじゃない？」

「あいつ等の所にもローバルが来ないとも言い切れん。まとまっていた方が良い」

「……わかった。出来たら戻ってくるまでに片付けておいてね」

　軽口を残してベロキは場を去る。その足音が消える頃、ゼゼは残るニ体に命じた。

「パキラ、オウラス。力を貸してくれ」

「心得た」

　オウラスが羽ばたき、舞散る燐粉がゼゼの右爪に触れる。付着した燐粉が続け様に発火し、爪が高熱の炎に覆われる。
　同時にパキラの単眼が輝いた。左の爪に障気が紫霧となって漂い始めた。

「へえ。それがお前のスタイルか」

「はい。クライ殿はエンブリオを連れていないご様子ですが……」

「心配無用」

　クライの携える銃。その銃口から煌々と魔力の光が溢れ出す。

「こいつが俺のスタイルさ」

　金髪の青年は銃を森林に溜まる闇へと向け、

「明かりは欲しいか？」

「よろしければ」

「あいよ。三つ数えたら撃つ。……３、２、１」

　クライが引き金を絞ると同時、ゼゼは地を蹴った。
　駆ける蜥蜴を追い抜き、二本の光条が闇を走る。
　光の目映さに森の木々が照らされる。木の太い幹、木の葉のシルエットに混じり、不気味な影が一瞬露わになる。

　正面に三、右に三、左に二……

　進路を左に。辺りに闇が戻ると同時、肉薄したゼゼは異形へと飛びかかった。
　敵の腹を蹴り爪を立てる。ぶよついた感触を不快と感じるが、構わず猛毒と灼熱の爪を深く食い込ませ組伏せる。
　
　毒と熱の呼ぶ痛みに、ローバルは耳元で叫びを上げた。その耳障りな苦鳴を喉笛ごと食い千切る。敵の肉は食感も味も不快で、すぐに吐き出す。
　そこに飛びかかってきたニ体目へと、太い尻尾を振るう。尻尾の迎撃に弾かれたローバルは体勢を崩し、そこに閃光が到来。ローバルの首から上が消し飛んだ。

　——お手数おかけします。

　倒されたローバルを踏み越えて合流したクライに心中で一礼し、

「そら次来たぞ！」

　クライが発砲。胸に三発の風穴を開けたローバルの腹に、ゼゼは灼熱の爪で敵の肉を抉る。

「これで三体」

　倒れた敵の仮面を踏み砕きゼゼはごちる。

「存外脆いですね。これならば」

「こいつらはまだまだ弱い方さ。成長したローバルはこんなもんじゃない」

「成長？　これより強い個体が？」

「ああ。幸いここにはいないようだがな！」

　答えつつ、クライは牽制の銃撃を重ねる。
　残りは五体。クライの言うとおり一体一体に大した奴はいない。まともに相手するのは手間でしかないだろう。

「クライ殿。奴らを一網打尽に出来る技はお持ちでしょうか？」

「あるぜ」

　飛びきりのがな、と返すクライにゼゼは頷く。

「承知です。オウラス、パキラ。来い」

　ゼゼが呼ぶと再び二体のエンブリオが現れる。そしてゼゼの爪へと新たな力を付与した。

「これから奴らの足を止めます」

　告げ、ゼゼはローバルの元へと急迫した。
　敵の腕が迫る。異形の爪がゼゼの肩を掠める。構わず、ゼゼは腕を放ち爪を紋様の浮く体に刺す。

　まず一つ。密着したローバルを蹴り飛ばし次の敵へ。
　ニ体目。左腕で相手の足を裂いた。
　三体目。背中に爪を受けるが、振り向き様右の爪を打ち込む。
　四体目。足にしがみついてきたところに両の爪を立てた。
　五体目。足を封じられたところに飛びかかられるが、取っ組み合いの中で右爪で切り付ける。

　——これで！

　組み合ったローバルとの間に足を差し込み、押し蹴りで突き飛ばす。
　ローバルは立ち上がり再びゼゼに襲いかかろうとする。だが、その動きは目に見えて鈍っていた。
　残る五体も同様だ。どれも見えない枷をはめられたかの様にその場にくずおれ動きを止めている。

　カース。そしてパラライズ。前者は対象の動きを阻害する技。後者は対象を麻痺させ、やはり動きを妨げる技。
　出来ることは完了した。ゼゼは叫ぶ。

「クライ殿！」

「任せろ！」

　叫び返すクライの姿が見る間に変貌する。
　膨れ上がる全身に纏う金色の甲殻。広げられる翼が巻き起こす風が森林を震撼させる。

　次元竜。クライ本来の姿である金色の竜。
　その雄叫びが虚空に轟いた時、輝く雷槍が召喚された。
　見上げるローバル達の仮面がうっすらと照らされた。

　——吹っ飛べ！

　直後、雷槍がローバルめがけ降り注いだ。
　至近距離で落ちる雷。爆裂する大音声。闇を裂く激しい閃光。
　嵐が一点に圧縮されたかの様な衝撃にゼゼは目を塞ぎ、その場に立ちすくむ。
　そして束の間の破壊が過ぎ、ゼゼが目を開くとそこにローバルはいなかった。代わりに、森の中に一つクレーターが出来ていた。

「おーいゼゼ。巻き込まれてないか？」

　まだ落雷の音が残響する中、人間に戻るクライからの声が聞こえた。

「ええ。かろうじて。流石ですクライ殿」

「おいおい、おだてても何も出ないぜ？
　まあともあれ、ここいらの掃除は完了かな？」

「その様ですね。しかし、何時からこんな奴らが現れたのか」

「さて。少なくとも俺がここに来たときには居たみたいだけど」

「……」

　こんな事が起きてるなんて知らなかった。まだ強いローバルもいるという。エンブリオの魔力を奪うというのも非常に厄介極まり無い。
　悪い方にはどんどん転んでいくな。そう思った時だった。

「おーやびーん！」

　聞き慣れた声が遠くから聞こえてきた。

「まったく。本当に全滅してから来るとは」

「言ってやるなよ。ほれ、迎えてやりな」

　ぽんと背を叩かれてゼゼはパタパタと走ってくるエンブリオ達の方を向く。

「おやびーん！　ご無事でやんすか！？　ていうか何があったんで！？　ってなんでやんすかこれ！？」

　ぽっかりと口の開いたクレーターに目を丸くして、バリオが矢継ぎ早に言葉を続ける。
　その能天気な姿を見て、悩んでも仕方ないか、とゼゼは一つ安らいだように息をこぼした。

※文字数の関係で収まりませんでしたが、今回の日記にENO.1058クライカリオスさんをお借りし、ご出演頂いております。ありがとうございました！

ちょっと大げさに、冗談めいて言うようにしながら

それから伝えられた彼からのノウハウ。自分が気を付ける事。それを熱心にこくこくと頷きながら話を聴いている。

片手間にメモを取り出してさらさらと書いていく。学ぶ事はしっかりと記憶する必要がある。

自分で言っておきながら、、眉間（目間ともいう）に深い皺を寄せている。

ゼゼとプレソのやりとりを面白がりつつ、

慰めなのか、冗談なのか解らぬことを言う。

　

　
人魚の言葉に、ふむ、と彼は小さく頷く。
口内の水分は確かに大切だ、とわけのわからない事を小さく呟いた後、

そのまま自分の思考に没頭し始める。
割と苦労していそうだった。

ちょっとしたハンディはあるけどね、と付け足す。

ギガヤについての反応を見たら。

どんな成長だ。

貴方の言葉を聞き彼女は少し何かを思い出すように目を伏せる

しかし、彼女は知っている

砂漠に花を咲かせても
水をやり緑をそこに作ろうとも
それを奪われ散っていった命を