卯の花腐しの生まれた世界に「世界」という名詞はあれど固有名はなく、
それは即ち外界との交流の少なさを物語っていた。

時折訪れた外界の者たちより、幾つも世界を渡る術が齎されたが、
唯の一つとしてそれらが安全な扉となる事はなかった。
試みたものは全て陰惨な結果となって記録を残した。


唯一の例外は花喰い鳥の民のみである。

何故花喰い鳥のみが世界を渡れるのかという問いには諸説がある。

元は外界の民であったのが渡ってきて根付いたのだとか、
異形の神と契約して渡界の術を得る代わりに、半人半獣の精霊となったのだとか、
形を変える水と、渡る性質をもつ翼を共に持っているからだとか。

…それはどの世界でも数多にある、決して解けない謎のひとつなのだ。


花喰い鳥がどのようにして世界を渡るのかは民の中でさえ極秘とされており、
里を治める長達と巫の数人にしかそれは伝わっていない。







（——今でも卯の花腐しは時折夢に見る）

（世界を渡るために、どこまでも深く湖の底の闇へ沈んでいく自身を）

（水底の闇と思ったものが雨雲であると知った時の、そこから淡く漏れる別世界の光を）

（その底を打ち破って世界を渡った瞬間の、別の世界の、光を、雨を、緑を、空を、風を、………）




（そしていつもその夢を見るとき、雨が大地を叩いている。世界を渡った日の時と同じように。）

冷然を装ってそう告げる。

全力ダッシュと共に、叫び声が遠ざかる。

気だるい様子で、後頭部をぽりぽりと掻いた。

仲間が虫カレーに興味を示していた、と聞くと、微かに目を輝かせる。

卯の花の言葉を聞くと、しばらく目を瞬いていたが、なにやら照れくさそうに目を伏せる。
ブルーノの顔は、その凶相に似合わぬ笑みを浮かべていた。

頭を撫でられると、ぎゅっと動かないように固まったが
頭は撫でられ易い様に心持ち傾けられている。

貰ったお土産の最後の１つを口に放り込み、
ミルの横に並んで頭を差し出した。