『負けた』。
ただそれだけが彼女の心に刻まれた。








エンブリオは疲弊し、自らも魔力を消耗し、戦うすべを失った彼女にできるのは「ただ逃げ帰ること」だけだった。
インコの力無しでは満足な火力を出すことはできない。
『増幅』の力無しでは炎から魔力を取り出すことはできない。
———完全な、詰みだった。それはメィレーにもわかってはいた。
だが、彼女のプライドが、それを絶対に許さなかった。——負けない。———負けるはずがない。この私が、負けるわけがない。

トキサメの猛毒が、体を、精神を蝕む。
それでも、『絶対に負けるわけがない』一度は膝をついた体を強引に立たせて、叫ぶ。




『まだ負けてない』





手を空に掲げる。
砂地に広がるどこまでも青い空。そこに、ふと大きな魔法陣が浮かび上がる。
メィレーの詠唱に合わせて呪文が次々と浮かび上がり、魔法陣の外側を走るように埋めていく。


その魔法の名は、『メテオ』。宇宙から隕石を呼び出し、この地に落とす空間/時間魔法の中でも最大級の代物。
完成すればトキサメどころか、この砂地を半分は吹き飛ばすであろう常識外れな魔法———それを、今彼女はここで放とうとしていた。


トキサメの顔に焦りと動揺が浮かんだ。
「ッ………まさぁ、まだそこまでの力を…！！」
魔法のわからないトキサメでも、今この状況がかなりまずいことぐらいはわかる。
あれを続けさせてはならない。完成する前に、トドメを刺す———
警戒のために保った距離を、疾駆する、詰める、メィレーへと跳躍し、爪を振るう！


しかし、

その爪がメィレーを切り裂くことはなかった。








走る激痛。
絶対的に魔力が足りないにも関わらず、無理矢理にでも魔法を発動させようとした代償。
魂から生命力を奪われていく激痛がメィレーの体を貫き、耐えられずに倒れ伏す。
その頭上を、トキサメの爪が通り過ぎて行く。

「メィレーさん！！」「おい姉ちゃん、しっかりしろ！！」
エンブリオの声が遠くなる。



「ふ…、……ふん」
先の魔法陣が消え、不発に終わったのを視認するとトキサメは戦闘態勢を解いた。
つまり、自分はこの勝負に勝ったということを、確信した。
「ほ、ほらぁ！見たことかっ！やっぱり私と出会ったことは不運だ！」



広大な砂地に、一人、と二匹。


　
　　　
　　　　　









「……『倒れたのが君で良かった』よ。君やマコトや、カーキアスだけは、『僕が見えていた』から」
　呪術師の、撫で付けるような声。
「……『そっちから見える』って事は、『こっちからも見える』んだ。『動かなくなった』のが、君で良かった。君なら、僕には大体の位置が解るから」

目覚めたときに最初に目に、耳に入ったのが、それだった。
森で出会ったこの呪術師とその仲間にどうやら拾われたらしい。

「そう……まさかあなたに拾われると…思わなかったけれど。」
感謝はするわ、と呟いて、ぎこちなく上半身を起こす。
…傷の痛みと疲れに、少しだけ顔を歪めた。体力も、精神も、先の戦闘でやられているようだった。
「………あまり無事、というわけでもなさそう、ね………」
呪術師とその仲間をぐるりと見やる。
本人もそうだが、その周りもあまり元気ではなさそうだった。

砂地に目を向ける。
『負けた』心の内に刻まれた三文字。
それが憎くて仕方ない。
だから、次は、次は、必ず。
———次は、必ず、



「メィレー、無事…ではなさそうだな。」
ゲオルギウスの声。どうやら彼も砂地から戻ってきたらしい。
「だが無事ではないならなおさら安全なところまで退避すべきだな。動けるか?」
「まぁ無事では…ないわね。…安全なところ、……あるのかしら。」
ふらふらと危なっかしい足取りで立ち上がる。
「大丈夫、動ける。…大丈夫。」
どことなく言い聞かせるような口調でゲオルギウスへ言う。
「探すなら早くした方がいいかもしれないわ……もしかしたら、さっきの人間が増援を呼んでくるかも、しれないから」
「安全な所、なら」
彼のエンブリオであるノームが、こちらだと言わんばかりに数歩進んで振り返ったのを見た。


安全な場所に逃げたところで何があるんだろう。
私は一刻も早くさっきのをバラバラにしてやりたいのに。


「……僕には、君の居る場所が大体なら解るけど、直接見るまでは、『過去の君』が置き去りにされてるのかとも思ってたんだ。君は、きっと『未来の自分』は切り離せないだろうから」
呪術師に薄っぺらい笑顔で話しかけられる。
メィレーは怪訝な顔をした。過去の、私が？
過去の、私が、置き去りに。———。
「…………そう。」
よくわからないことにして、さらりと流した。
そも、考えるような気力がすでにほとんど無かった。

「……ねぇ、君達の『名前』を教えてよ？　僕は『ソルト』。『ソルト＝エルト＝タクト＝アルトセルト』。折角だから、『三つ目』か『五つ目』くらいにさ」

それから、少しの自己紹介の時間。
それらをメィレーはほとんど聞き流していた。
聞いていても、今は覚えられる気がしなかったから。

「…メィレー、メィレー・トレッツァ。」
話に対してそれだけを答えると、後は黙った。
長々と話せるような気分でも、気力でもない。
「ソルト、トウカ、クローシェ、ルド…………、わかったわ。」
『わかった』などと言いつつ、人の名前を覚えるのが苦手だということを知るインコと【増幅】は心の中に四人の名前をしっかりと留めておいた。
——忘れてもメィレーが困らないように。

「さて、お互いの自己紹介はこのくらいでいいだろう。込み入った話ならこんなところではなくもう少し落ち着いたところでした方が良いのではないかな」
自由に動きまわる程の体力のないメィレーを、ゲオルギウスが抱え上げる。
それをメィレーはすんなりと受け入れた。運んでくれるのなら、自分が楽だから。
「私も人間一人抱えたまま立ち話を続ける気はない。動けない人間が増える前に移動するぞ」





「メィレー、君はもう少し体重を増やした方がいいな。肉弾戦をするための最低限の筋肉もない。集団戦ならいいが、今回のように一人で戦うときには命取りに…おい暴れるな、落ちるぞ」

いたという口調から世界を転移できる力は持ち合わせている。それが強者であるか否かと取るかは別だが。

別に遠路来た訳では無いが……まあ雰囲気作り（？）なのだろう。
嬉しそうに尾を振ってメィレーの手首に飛び移る初期動作に入る。

ため息をひとつ落とし。目を閉じて開けば、僅かな、ほんのり八つ当たりめいた鋭さ。

ミニドラゴンの頭の方からどんどんと、漆黒の鎌へ吸い込まれてゆく。
ぐるぐると中心で混ざり合って————

流れる汗を拭って、再びため息を零す。
ここにいない仲間達が向かった先を見つめ、目を細めた。

ふわり、降り立つ姿。はためく黒。一陣の風。
ボロボロの学ランを纏った少年が、そこにいた。
上空高くを、蒼竜が飛び去っていく。

呪術師へ、振り返る。『右眼』が、彼を捉えて。

そうして、視線は再びブランチマンを名乗る男に戻す。

一呼吸おいて。語りかける言葉は、背後にいるであろう少女へ。

胸元のネックレスの先、トンボ玉を手の中に握り締めて。
右眼で、前方を『視る』。ブランチマンよりも先、陽の差す世界を。
自分自身の、進むべき道を。

　ふらりと、応える姿。
　少年が『其処に居る事』が、当たり前のように、呪術師は一瞥めいて向けられた視線を、見詰め返す。
　まるで、『最初からそうなる事を知っていた』みたいに、その顔には、常の笑みが貼り付いていた。

　灰色の瞳。その視線。今まで見た事の無かった、少年の背中越し、敵。
　ひらりと、指先が虚空で踊る。何かを繋ぐ様に、その軌跡は、少年から、少女へ。

　少女を通り抜けて、傍らの熱源を通り過ぎ、再び、細い腕の先は、『敵』へ。
　まるで、拳銃めいた形の、指先。

　折れてしまいそうな程に、細い、指先。

魔法使いの啖呵が響く中、
風に遊ばれる髪もそのままに、ただ、瞳に彼の背をうつして。
開きかけた唇が震え、閉じる。何かを堪えるように、瞬きをして。

ひらりと、いつものように目に入る、細い指先。
彼と、自身。結ぶように踊るそれを追うまま、立ちはだかる彼等を見つめ。
胸元のポケットに入れた栞に手を当てながら、
落とされた言葉ごと飲み込むように、すうと、息を吸う。

声はもう、震えても掠れてもいない。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/69846349/ikki/saikai.mp3