仲間が、呪術師から眼を離したのは、ほんの僅かな時間だった。
　彼は人狩りに襲われた直後だというのに、一晩遊んでも使い切れない程の金銭を持っていたし、身体の何処かの骨が折れたような音を鳴らしていたというのに、次の日には普通に歩いていた。
　呪術師にとって、『何かする』のには、二呼吸やそこらの時間があれば十分なのだ。
　今だって、そうだ。
　ふらりと一人だけ道を外れた呪術師は、数日前に戦った弓使いの少女と出くわした。
「この間はすみませんでした」
　そう言って頭を下げながら少女が差し出した金銭を、呪術師は拒まなかった。
　仲間と共に、呪術師は森の中を進む。彼とて、仲間とて、人狩りの襲撃を受けた直後は無事ではない。
　再び腰を下ろした呪術師の元に訪れたのは、風に乗って運ばれた、一通の手紙だった。
　自然な手付きで、呪術師はそれを握り潰した。
　一瞥し、内容を確認すると、紙はそのまま飲み込んだ。
　別段、仲間に知られると都合の悪い事が書いてあったわけではない。
　ただ、呪術師は、手紙に記された「冬花は、絶対に幸せにならなくてはならない」という文字の並びを見た時、この『依頼』を受けると決めた。だから、当たり前のように、その事実を一旦闇の中に放り込んだ。

「……いいよ、『マコト』？　『対価』と『代償』は釣り合っている。『契約』は成立だ」

　手紙に記された金銭の隠し場所を、辿るルートを選択した。
　木々の根元や枝葉の先。見つけても、立ち止まらない。擦れ違い様に手折る。或いは掬う。
　幾つかに分けられたそれを全て回収する頃には、一晩遊んでも使いきれない程度の金にはなっていた。
　時折、クローシェが提案する道筋と、マコトが手紙で指定した金銭の隠し場所が、一致した。
　呪術師はそれで、大よその事のあらましを理解した。
　だから、森を抜けて砂漠に出た時、彼は迷わずに『気配』を辿った。


「……やぁ、『倒れたのが君で良かった』よ。君やマコトや、カーキアスだけは、『僕が見えていた』から」


　呪術師の、撫で付けるような声。どう見ても元気とは言えないような外見と、似たような状態の仲間を連れた呪術師は、それでも、薄っぺらい微笑みを、顔に貼り付けていた。
「……『そっちから見える』って事は、『こっちからも見える』んだ。『動かなくなった』のが、君で良かった。君なら、僕には大体の位置が解るから」
　倒れた相手に、掛ける声。
　桃色の髪。血の透けたような紅い瞳。二度、戦った相手。
　遠く、もう一つ、人影。
　呪術師の仲間は、一度戦った相手を助ける事に、何の抵抗も示さなかった。

「……『ルド』？　『クロ』？　僕らの中じゃ、比較的自由に動けるのは、君達だ。先行して索敵をして来て欲しい。……頼めるかい？」

　当たり前のように、少年の灰色の瞳は、向かう人物の眼を覗き込むように話し掛ける。
　ひらりと、虚空で揺れる片腕。それを、何故か呪術師は、もう片方の腕で、撫でる様に膝の上に置き直した。

「……後で落ち合おう。お互いに、こんな状態だ。誰が見たって解る。此処は、協力すべき場面だ」

　結局、呪術師は、まるで古い友人を呼ぶように、仲間の名前を呼ぶ。
　それは、常と変わらぬ声色で、常と変わらぬ薄っぺらい微笑みと共に。

「……『ゲオルグ』も、『メィレー』も、それに、『アリシロ』も、改めて、よろしくね？」

　それは、たった数分前に初めて名前を聞いたような相手であろうと、変わりは無いのだ。

ため息をひとつ落とし。目を閉じて開けば、僅かな、ほんのり八つ当たりめいた鋭さ。

ミニドラゴンの頭の方からどんどんと、漆黒の鎌へ吸い込まれてゆく。
ぐるぐると中心で混ざり合って————

流れる汗を拭って、再びため息を零す。
ここにいない仲間達が向かった先を見つめ、目を細めた。

口に木のようなものをくわえている。

ふわり、降り立つ姿。はためく黒。一陣の風。
ボロボロの学ランを纏った少年が、そこにいた。
上空高くを、蒼竜が飛び去っていく。

呪術師へ、振り返る。『右眼』が、彼を捉えて。

そうして、視線は再びブランチマンを名乗る男に戻す。

一呼吸おいて。語りかける言葉は、背後にいるであろう少女へ。

胸元のネックレスの先、トンボ玉を手の中に握り締めて。
右眼で、前方を『視る』。ブランチマンよりも先、陽の差す世界を。
自分自身の、進むべき道を。

　ふらりと、応える姿。
　少年が『其処に居る事』が、当たり前のように、呪術師は一瞥めいて向けられた視線を、見詰め返す。
　まるで、『最初からそうなる事を知っていた』みたいに、その顔には、常の笑みが貼り付いていた。

　灰色の瞳。その視線。今まで見た事の無かった、少年の背中越し、敵。
　ひらりと、指先が虚空で踊る。何かを繋ぐ様に、その軌跡は、少年から、少女へ。

　少女を通り抜けて、傍らの熱源を通り過ぎ、再び、細い腕の先は、『敵』へ。
　まるで、拳銃めいた形の、指先。

　折れてしまいそうな程に、細い、指先。

魔法使いの啖呵が響く中、
風に遊ばれる髪もそのままに、ただ、瞳に彼の背をうつして。
開きかけた唇が震え、閉じる。何かを堪えるように、瞬きをして。

ひらりと、いつものように目に入る、細い指先。
彼と、自身。結ぶように踊るそれを追うまま、立ちはだかる彼等を見つめ。
胸元のポケットに入れた栞に手を当てながら、
落とされた言葉ごと飲み込むように、すうと、息を吸う。

声はもう、震えても掠れてもいない。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/69846349/ikki/saikai.mp3