私はまた、人を殺しました。

アトラは、これは正義なのだ、と言いました。
この、あまりに混迷に満ちたメルンテーゼを正す正義なのだと。
私には、わからない。わからないけれど、これで、良かったのでしょう。
高ぶる殺人欲求を、正義のために振るえたのならば、それに越したことはない。
兵士として人を殺せば、いや、あるいは、一揆を志す者として、兵士を殺せば、
同じ志を持つ者に、きっと賞賛されるでしょう。その動機を問われることなく。
それと同じように、私はアトラの言う秩序のために、私は力と衝動を解放した。
きっと、これで良かったのでしょう。
まだ、私は殺すことに慣れないでいる。そうしないでいられない。
けれど、それが罪の意識を殺しきれるわけではない。
理由があれ、正義があれ、まだ私は、どうしても考えてしまう。同情してしまう。
殺されていった人達のことを。私が、殺した人達のことを。
もちろん、そんな同情は、私の勝手なこと。誰も助かりはしない、浅はかな自己満足です。

名前は、誰一人わからない。
小さな女の子がいました。尻尾が生えていて、あるいは人間じゃなかったのかもしれません。
（私の中で、人間と、そうでないものの区別はなに？）
男の人がいました。健康的な容姿の。仲間を慮っていました。
男性はもう一人いて、その方もまた人ならざる雰囲気がありました。
（それでもやっぱり私は構わなかった）
殺しそびれ……逃げられてしまったのは、女の子。魔法使いのようでした。
私は彼女たちにを殺しました。
何度も何度も斧を振るいました。
その度に悲鳴をあげていました。
いっぱい血が出ていました。
手応えは濡れていました。人の身体に直接打ち放つ斧は、まるで吸い込まれるかのように、収まりがよく感じられました。
武器や鎧で弾かれる、手に響くような硬さはなく、あるとすれば骨が砕けているのでしょう、それは適度な手応えとも言えました。
皮の固い果物を剥くように、防具を穿ち、こじ開け、それでようやくその内側に直接触れる感触はとても甘やかでした。
私は自分が傷ついていることも忘れて、ただ、一心不乱にそれを享受していました。
私は、確かに満たされていました。

風は強く吹いていました。
切り捨てた死体が、赤い血が透明に澄んだ川を染めていきます。赤い煙のようになって、下流へと速やかにたなびいていきます。
速やかにお金や所持品を奪い去ったあとは、その亡骸も川を下っていきました。
そのときには高揚も醒めて、斬りかかる直前、彼女らが談笑しながら歩いてたのを、ふと思い返していました。

　＊　＊　＊

ある夏の日のことでした。
それを今、想起した理由は、私にはわかりません。

私がそれを思い起こすとき、ふと空が翳るような気がします。
高く昇る太陽が、草木の緑を鮮やかに彩り、目の中を光でいっぱいにする。まばゆいくらいに。
それがふいに翳る。見上げれば、雲がただ差し掛かっただけにすぎません。
ただその瞬間の、まるで世界が変わってしまったかのような錯覚を、私は同様に感じます。

あるいはそれこそが、この想起の理由なのかもしれません。

その夏の日、私は広庭にいました。
既にいくつかの戦いを過ごし、人を殺め、血をくぐり抜けたあの広庭。
私は、その広庭が好きです。血と無縁でいられたならば、尚良かった。
……私は戦いを好む、闘争を望む……けれど、その広庭は、訪れるならばそれとは無縁であったなら、良かった。
思うに、私はこの作り込まれた庭というものが、好きなのです。色とりどり、花盛りの庭園が。
叶うことならばすべてを忘れ、闘争もなく、ただただ平和なままの庭園を散歩したい。
それはあまりに都合のよい空想だけれども。

その一角はトピアリーになっていました。動物をかたどっていたり、幾何学的な形に刈り込まれた植物が並んでいます。
華やかさというよりは、賑やかな、楽しげな趣向。
私はそのトピアリーを眺めるに、もっとも都合の良い場所であろう、少し小高くなったところに立てられた四阿にいました。
四阿は白い石材で造られていて、蔓のある植物が生い茂っていました。

その日、たまたまヤールさんと出会いました。
白い髪、白い肌、ゆったりとした白い服。長身。そして白い眼。
私の左隣に座るヤールさんは、ちょうど太陽と重なるように……それはまるで、日食のようでした。
それは大げさな物言いかもしれませんが、そうしてヤールさんが座っていると、夜を感じさせる闇となりました。
そうして眺めるトピアリーは、植物が歪められているという事実ばかりが目について、不気味に見えました。
私は、どこかその暗さを、心地良く思っていました。
私ばかりが特別なわけではないはずです。
光の差す夏の日にも心地よさを覚え、眠りに就く夜の静けさに心地よさを覚えることは。
そんな、懐の深い安らぎというものを、彼といると感じます。

二人だけで、他に誰もいませんでした。

初め、私がヤールさんに抱く居心地の良さについて、それは彼が盲目であるからだ、と思っていました。
私の容姿について、彼は何も見ることはない。私の歪な身体を、彼は何も知らない。
だから私は心地良くいられるのだと。
フィリー・シャントリエリという、人とエンブリオの混ざり者ではなく、一人の人間たるフィリーでいられるのだと。

しかし私は、いつしか、そうでないことに気付きました。
だからこうして身体について話すことも、もはや厭わないようになっていました。

私の言葉に、ヤールさんは笑って応えます。

初めて会ったときは、仲間の姿を見失い、行くあてがわからなくなっていました。
求められるがままに案内をする、そういった経緯で、私達は知り合いました。

すると、彼は私の方へ手を伸ばしました。
埃か何かをそっとつまみ上げようとして差し向けたかのような、何気ない仕草。
私はそれを無防備に看過して、その指先が私に触れるのを許しました。
ほんのささいな接触、
そのはずなのに、何故か覚えた感覚は——

まるで、噛みつかれたようでした。
わずかに触れただけ、静電気のように、それが私に深く及ぼしたりはしない。
しかし加速する心拍は、恐らく、警笛。
それとは相反する平静さで、ヤールさんは言います。

夜は、眠り安らぎをもたらす夜は、同時に空へと続く虚空であることを思い起こします。
今や埋め尽くす光はなく、すべては隠されたまま。未知と、凍え、不安を、夜は抱いている。

それでもどこか、果てしなく広がる虚空の海へ身を委ねたくなるのは、私ばかりでしょうか？

損なったはずの記憶。

ふり返れども、一切が闇に包まれたはずの過去には。

　＊　＊　＊

水辺を抜け、兵舎に到達しました。私達は、その中へと入ります。

※ENo1496 ヤール 6日目 の日記に大きく関連

　
　　　　　 ふ、と一つ息を吐いた。
　　　　　　 梯子を外すような物言いで悪いけれど・・・と付け加え。

　
　　　　　 微笑むような、しかしどこか悲しんでいるような。
　　　　　　 そんな口元で、淡々と語り掛ける。

　
　　　　　 目の前の流離い人は、貴女の首に賞金が懸っていることを未だ知らぬ様子だ。
　　　　　　 警句じみた言葉を発するが、続けようと思えば会話程度は応じてくれるのだろう。

口元に手を添えて少し笑っている。