棺桶の蓋にかかる土を払い、フローラは背後を振り返った。
　"旦那様"がそこにいる。彼の静かな視線は、やはり何を考えているのか読めはしない。
　言う事を聞かなければ捨てられる。それだけが確かな真実だった。

　媚びを自覚しながら、泥だらけになった掌を彼に見せて首を傾げる。
「旦那様……掘り起こした……よ？」
　すると、すぐさま抑揚のない言葉が返ってきた。
「中を見ろと言っただろう」
　火をかけるのはそれからだと、聞いたのは覚えている。
　フローラはそれでも、なかなか実行に移せなかった。
　苦し紛れに理由を求める。無意味な事だと分かっていながら、この狂気的な夜に耐えかねて尋ねた。
「どうして、何を見るの……？旦那様は、何を求めて、この蓋を開けるの……？」
　彼は無表情を崩して、微かに笑った。
　その微笑みは不気味ながら輝いて見える。気狂いの主人にとっての、素顔なのかもしれなかった。

「ドゥッベルジュガーを探してるのさ」

　フローラが目覚めたのは、"旦那様"のお屋敷ではなかった。

　鬱蒼と生い茂る森の、張り巡らされた枝の下で、ちょうど雨風をしのげる根っこの窪みに……小さな体を埋めている。
　野宿は快適とは言えなかったが、数日前まで砂漠にいた事を思うと、柔らかい苔のベッドも悪くはなかった。
　寝転がったまま瞳を動かして、未だ夜中であると知る。木漏れ日を作り出すのは月の光。樹の上部では、少し風が吹いているのだろうか？青白い影が揺れるように地面の上を踊った。

　小さなため息をついて、抱き枕に頬を押し込む。
　この世界が幻ではないと気付き始めてから……懐かしむように以前いた世界での夢を見る。
　それは大抵の場合、放っておけば悪夢に発展しそうな思い出ばかりだ。必然的に眠りの質は低くなる。フローラが不自然な時間帯に目覚めるのは、これが初めてではなかった。

　そっと耳を澄ませて、再び眠りに落ちようとする。
　風は遥か遠くで吹いていた。それは人の囁き声に似ている。曖昧な誰かではなく、フローラがよく知っている人だ。たった今も、夢の中で聞いていた。

　飛び起きて周囲を見渡す。
　"旦那様"だ。今確かに、"旦那様"の声がした！

　すぐに思い当り、フローラは表情を明るくした。
　声のする方向に嵌めていたイヤリングを取り外して、手のひらに乗せる。
　小さな花の形をしたそれは、暗闇で仄かな光を放っていた。

　フローラがそれだけ言って黙ると、相手も当然のように沈黙を守った。
　衝撃的な告白を受けて、フローラは混乱の極みにいる。疑問符が頭の中で増殖し、いっぱいになった脳から下り落ちて心臓に攻め込んだ。高鳴る鼓動は厭な音を森中に振りまく。破裂しそうな胸を押さえつけて、フローラは強張る唇を、ゆっくりと動かした。

　相手が一方的に喋り終えると、イヤリングは静かに闇の中へ溶け込んだ。
　フローラはしばらくの間、もう一度光り出しはしないかと手の中のそれを見ていたが、揺すっても叩いても何も言わない事を悟ると、初めて声を上げた。

　フロレンスの持つものと対のイヤリングを踏み潰し、"主ではなくなった男"が何の躊躇いもなく言い放った。

　イヌワシは、主にフィンやフローラを見ている。

だから難しいのだろうな、と納得した様子で頷いた。

付け加えるように、一言、笑う。

それから、少ししゅんとしてしまったフローラの様子に、
暫く、考え込む素振りを見せてから。

そう言ってから、はたと思い当たったように。

根本的な疑問にたどり着いた様子で、そう問い掛けた。

ちらり、とフィンの方を見やる。

フレイルを構えると、じっと相手を見据えた。

　イヌワシは、一つ、大きく羽ばたいた。