「何故、こんなことになったのだろう」
　思わずそんな言葉が漏れ出す。

　僕の足元には、二つの屍体が横たわっていた。
　一つは緑色に腐敗した、誰のものとも分からぬ醜悪な屍体。
　一つは白い肌を血溜まりの中に染めた、幾度となく目にした美しい屍体。

「何故、こんなことになったのだろう」
　心臓を穿たれ、間違いなく死に至っている白い躰を見下ろす。海のように深かった瞳も生気を喪い、華奢な肢体が軽やかに動き回る様子を二度と見ることはないだろう。
　何故、何故、何故。何故——

「——何故僕は、彼女を殺してしまったんだろう」
　ラウラ・レ・ファニュと名乗った少女の屍体を前にして、僕は自嘲気味に嗤った。



　——初めて彼女に名前を聞いた時から、僕はそれを、奇妙な符号だと考えていた。



　ラウラ。それは僕——ミラルカ・ハウダニットが、このメルンテーゼに来て、初めて出会った少女の名前。



　ローラ。それは僕——ではない誰かの記憶の中で、出てきた名前。カーミラの妹。

「さようなら——善き旅路を」
　ラウラ・レ・ファニュは腰に下げた禍々しい長刀を振りかざすと、陽炎のようにその身を揺らめかせた。
　ぐしゃ、と肉の崩れ落ちる音を聞いて、僕は始めて彼女の刃が敵を切り裂いていたことを理解出来たのだ。

　彼女の瞳は、出会った頃と何ら変わらぬ海のような深い色を湛えている。
　あまりにも流麗。あまりにも壮美。
「ラウラ——いや、ローラ。君は一体……？」
「くす。既に私の名を、識っていたのですね？」
　口元に手を当てて、蠱惑的な笑みを浮かべるローラ。その様子に思わず見惚れながらも、肯定の合図として首を縦に振る。
　　　　　　　　　　ラ　ウ　ラ
「お察しの通り。この名前は本名ではありません」
「だけど何故そんなことを。身分を偽る為の名前にしては、中途半端過ぎる」
　そう。素性を隠したいのならば本名を使うべきではないし、そうでないならそもそもこの名前の意味がないのだ。
　つまりこの偽名には、何か別の目的が有る——と、そこまで考えたところでピースが足りない。彼女の過去を一部覗き見てみても、その答えになるような事柄は見つからなかったのだ。

「……ふぅむ」
　顎に手を当てて、何かを考え込んでいる様子のローラ。
「ごめんね。最初から調べるつもりだった訳じゃないんだ。だけど君は明らかに“普通じゃない”し、実際に僕と無関係って訳じゃないはずだ」
　僕の謝罪にも大きな反応を示さず、ローラは思案顔を続けている。
「……、……分かりました」
「……？」

「貴方に教えましょう。——私の名前の、真実を」


　　　　†
「一つ、条件がある。」
「えぇ。悪魔に助力を請おうと言うのですから、無論承知しています」
　それは私が、魔力と共に居所の掴めなくなったミラルカを追っていた時のことでした。

「言え。——貴様の名前のことを。あのミラルカに足りないピースを埋めるのだ。」
「それは……」
　その言葉の意味が分からぬ程、私は愚昧ではありません。
　それは耐え難い危険であり、《始祖計画》に支障をきたすものでもありました。
「厭か。」
　然しこのままでは、ミラルカそのものを永久に見失ってしまう可能性が有ります。此処でサタンの要求を飲んでも、覚醒が起こるとは限らない。
　たとい
　仮令計画の修正を余儀なくされる自体が起ころうとも、頓挫する危険性に比べたら眼を瞑って良いものであったのです。私に、選択権は有りませんでした。

「契約です。ミラルカに告げましょう。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　 、、
私の名前の理由が——貴方のそれを、模倣したものだと言うことを」

　　　　†

「ミラルカ・ハウダニット——貴方、カーミラ・ピットと言う名に聞き覚えは有りますか」
　そう問うたローラの表情は険しく、何らかの覚悟を決めているようだった。
「はい。記憶の中で、何度も。……あの化け物の、ことですね」
　僕へこの名前を与えた女。ローラの姉で、生物学上吸血鬼に分類されない科学者。ピット家の大量殺戮事件が発生した際、首を除く全ての部位が現場から消失していた——恐らく、事件の犯人。
　人間でありながら、僕がこの記憶の旅で見てきた者の中で最も化け物。
　《始祖にして無機の王》であるレーネフィア・ディ・ステラと、同じ眼をした異常者。

「カーミラ。それは人の身でありながら、悪魔の血を綴ることで化け物と変異した存在」
「そう。そこまで分かっているなら、最早隠し立てしても無駄でしょう」
「！」
　ローラは懐より長刀を抜き出す。
　煌めく白銀の刃の奥。柄の部分には《Marcalla》と彫られていた。
「私の名前、ラウラ・レ・ファニュ。それはミラルカ——貴方を、真似て付けた名なのです。

そう、カーミラ・ピットなどという人物は……最初から存在しないのですよ」

　次に気が付いた時、ローラ・ピットの屍体が僕の目の前にあった。
　訳の分からぬ状況だったが、僕が彼女を殺したということだけは、真っ赤に染まった腕を見てすぐ分かった。

記憶を取り戻した暁にどうなるか。今のように歳相応（？）の素振りのままであるのかは——

そう遠くない、彼女が記憶を取り戻した後の再会で明らかになることだろう。