ENo.90 残虐女王　　近衛騎士さんを書かせていただきました。慣れない三人称ですが、楽しんでいただけたら幸いです。企画参加ありがとうございました。

■本文

　正午近く、休憩時間となった労働者たちは押し合い圧し合いながら列を作り、屋台で食べ物を求めていた。ほとんどの者が互いに見知った関係だった。自分が先に列に並んでいたと横入りする者、サワークリームをもっとかけろと店主に怒鳴る者と、ひどい混雑を見せる。
　しかし気心の知れた間柄では罵り合いも和気に満ちて。
　そんな混雑を抜けて、コノエという青年は二人分のファラフェルを両手に持って己の主人のもとに戻った。ファラフェルとは豆のコロッケのことで、これにレタスやタマネギをトッピングしてパンに挟んであった。ソースには一般的なサワークリームを用いている。
　コノエは踝まで届くほど長い銀髪の青年だった。年齢は二○代前半と言ったところ。整った顔立ちでありながら、表情に乏しく、どこか達観した雰囲気を持つ。タートルネックのセーターにズボンという出で立ちは、上下ともに黒い。
　そんなコノエが石畳の道を戻ると、公園のベンチで待っているはずの主人の姿がない。また悪い癖が出たか、とコノエはあたりを見回す。
　コノエは、若い女性の姿を公園の端に認めた。コノエの主人・アラトだった。外見年齢はコノエと同じく二○代前半。市井の人々が暮らす中で、胸元が大きく開いた薄紫色のドレスを着ているものだからひどく目立つ。ショートヘアの黒髪には黒漆のような艶がある。
　顔立ちも異彩を放つ。特に眼鏡の奥で光る赤い瞳は生き生きとしていて、見聞きする出来事に素直に感情を露わし、目を細めたり見開いたりする。
　足早に自分の方に歩み寄ってきたコノエに、アラトはふんわりした口調で語りかける。
「あら、もう買って来たの？」
「女王陛下、どこに行っていたんですか」
　と言うコノエの声は苦い。
　アラトはレージェントという遠方の国の女王として長くその地位にある。今は、近衛騎士であるコノエ一人を共に休暇を楽しんでいるところだった。あの店はどうかしら、この店はどうかしら、とコノエを振り回しながら食べ歩く日々。それでいて太る気配が一向にないのはどうしたことだろう。
　今日は評判のレストランで昼食を取るはずだったが、事情があって屋台で済ませることになってしまった。聞くところによれば、この国で新たに即位した新王の家臣たちがレストランで狼藉を働いたらしい。家臣同様、評判のよろしくない新王がレージェントの女王に対してどう出るか、コノエは心配でならなかった。
　コノエは主人の両手に小瓶が二本握られていることに気付く。飲料水らしい。
　アラトは得意げに小瓶を見せる。
「お水を買ってきたのよ。さ、ご飯にしましょう」
　気を回してくれたのは嬉しいが、コノエは心配で仕方なかった。この主人ときたら、ふらふらと気ままに出かけたはいいが、自分一人で帰ってくることができないのだ。今回、無事に戻って来られた奇跡と言っていい。
　コノエは、
「ありがとうございます」
　と礼を言って主人をベンチに促す。
　二人は少し早い昼食にした。
　ファラフェルにはジャガイモを加えているのか、ほくほくとした食感が楽しめる。コクのあるサワークリームが豆本来の美味しさを引き立てていた。
　アラトは上機嫌に炭酸入りミネラルウォーターで喉を潤す。白い喉がこくんこくんと動く様には艶がある。
「この水もなかなかね」とアラトが微笑む。「ね、行き当たりばったりの道行も悪くないでしょう、コノエ？」
　コノエはアラトの言葉に答えなかった。
　否。
　答える余裕がないと言うべきか。
　コノエは誰かの視線を感じていた。殺気さえ含む強い視線。しかし近傍に魔力の波動はない。
（ではどこから？）
　その時、大気を切り裂く鋭い異音と共になにかがアラトを狙って飛来する。コノエは瞬時に魔力を形成し長剣と成す。その長剣で飛翔物を弾いた。
　干渉し合う魔力が悲鳴を上げ、青い火花を散らす。
　弾かれた飛翔物は上空で爆散した。大音響が鼓膜を揺らす。周囲の木立から一斉に鳥たちが飛び立った。
　魔力の残滓が天使の羽のように煌めいて地上に降り注ぐ。
　コノエはあたりを見回した。
「くっ！　いったいどこから！」
「コノエ！　あそこ！」
　とアラトが時計塔を指差す。魔力で視覚を強化したコノエは、千歩ほど離れた時計塔の屋上に、少年と少女が立つ姿を認めた。どちらも一○代半ばと言ったところ。顔立ちが良く似ている。黒いローブは新王に与する魔導兵である証。
　少女の長い金髪が風を孕んでなびく。
　その髪を払って少女は第二射を魔弓につがえる。
（新王の手先か！）
　少年が魔力を供給し、少女がそれを魔弾として魔弓で撃ち出す。
　そんな連携を見せる少年少女にコノエは防戦一方に追い込まれた。魔弾を弾くだけで精一杯。
　こちらが一人ならば進むも退くも自在だったろう。
　あちらが一人ならば次弾を装填する間に肉薄するだけの自由があったろう。
　しかし、この状況では思うようにコノエは動けない。
　その時、コノエの背後から、
「私にかまわずお行きなさいな、コノエ」
　と言うアラトの声が聞こえた。戦いが始まったと言うのにアラトの声は驚くほどたおやか。
　その声がコノエの意識を前だけに集中させる。
「仰せのままに、女王陛下」
　命じる声も。
　応じる声も。
　二人に逡巡はない。
　アラトが魔力を注ぐ。己の全魔力をコノエに預けて。
　コノエが魔力を開く。千歩の距離を一歩に縮めんとして。
　コノエの六枚の翼が展開された。
　白い燐光を発してコノエは時計塔を目指して飛び立つ。
　空中で魔弾を回避。流れた魔弾が民家を吹き飛ばす。レンガや人体が乱れ飛んだ。戦闘が長引けば、巻き込まれる者たちは益々増えてゆくだろう。
　次弾が装填されて射出するまでの間隔は五秒。
　先ほどからその間隔は変わらない。
（次弾が装填される前に白兵距離まで肉薄する……！）
　五。
　アラトの魔力が加算されてコノエが加速する。
　衝撃波を生み出す。
　コノエが擦過した民家のガラス窓が割れる。
　四。
　コノエが魔力形成。
　手にするのは長槍。
　三。
　少年が次弾を装填。
　コノエの予想より速い。
　二。
　魔弾が放たれる。
　見上げる者の視界を白く染めるほどの爆発が起こった。
「コノエ……！」
　遠方で見守っていたアラトが声を上げる。
　だがアラトは見た。
　爆炎を突っ切って時計塔に飛ぶコノエの六枚の翼を。
　後天的に天使となったコノエには複層の祝福が付加されている。先ほどの魔弾による爆発は、その祝福を一層破ったのみ。
　コノエの長槍が少年を貫く。
　あるいは、少年が少女をかばった。
　一撃で少年は絶命する。これで矢は尽きた。残るは弓。
　その弓である少女が怒声を上げる。
「よくも兄さんを！」
　少女は自前の魔力をコノエに向けて撃ち出す。しかし、今までの魔弾とは比べ物にならないほど威力が低い。おそらく少女の魔力貯蔵量は平均を大きく下回り、少年の援護なしには使い物にならないのだろう。
　コノエの長槍が少女を貫いた。女王・アラトに刃向った者に、コノエは容赦しない。
　致命傷を負って地に伏せた少女の長い金髪が、乱れて散らばる。少女は屋上に血の跡を残しながら、少年に向けて這う。朱に濡れた手を伸ばす。
　その様子を、コノエは双眸に冷たい光を湛えて眺めていた。
「兄さん……兄さん……！」
　少女は少年の遺体にたどり着く前に息絶えた。
　一体、この兄妹が新王に与したのは何故なのか。
　その理由はもう知ることはできない。
　知ったところでどうなるものでもない。
　ただコノエは、たどり着けなかった少女の手を、その兄の手に重ねてやる。
　その時、正午を知らせる鐘が葬礼のように鳴り響いた。