振り返る。

　振り返る、いままさにこうして通り過ぎてきたものどもを。その地点を。

　かつてはたしかにそこにあり、けれど、もはや二度とは訪れないありとあるものを。

　置き去りにされたのは誰だろう。

　開け切らない箱の上蓋は真空だ。

　振り返る。

　そこに拡がるのはただ闇だ。

　一筋の光も知らない。








　振り返るたび殖えてゆくいくつもの影たち。

　その影を追悼するための作法はない。

　蛇の匂いがする——フュシス——苦しみながら焼け落ちる——横たわるものの。




　どれほどに諦めようとしても、振り返ることを止めることはできない。

　それは災厄のように逃れようがない。

　点々と己を振り落とし、とりこぼし、そうして立ち去るよりほかにない。

　切り分けられてゆくのは何であろう。

　食い殺されているのは誰なのか。

　






　振り返る。

　そのたびごとに産まれては、剥ぎとられ失明してゆく闇がある。

　何もない、ありはしない、視えはしないのだから。

　その暗さには犠牲の喘ぎと忘失の歓びとが熔けあっている。

　約束の地の俤、忘れ去られたものの何もかも。

　点々と滴る血にも似て。





　振り返る。

　振り返る。

　振り返らずには。


　





　《いままで目にしたもののなかで、一番美しかったものは》

残った瞳は、相手に与えたもう一つの瞳を覗いている。

瞳の蒼は、さらに蒼さを増した気がする。

ふわりと羽ばたくと、少しだけ、ガラスの粉末が鱗粉のように宙を舞った。

おぼつかない足取りで、一人の少女が近づいてくる。
金属製の義足の硬い足音が、ぴたと止まる。

少女は不思議そうに貴方を眺めた後。

興味津々といった様子の幼い少女は一人きりで、周囲に保護者らしい人物の気配はない。

自らの指で、耳の先に触れ。