手のひらに小さく冷たいものが載せられる。丸く、滑らかで、つるりとしたものが。
　彼は笑う。
　それは眼だった。
　目玉。眼球。
　彼はそのことをよくよく知っている。
　眼であるもののことならば。
　かちかちかちと、鋭く硬いもののこすれるような音が辺りに響く——獣の歯軋りをしているような、歯車の噛むような、金属を打ち合わせるような。
　音は彼の手の内側、その向こう側から近づいてくる。
　ありもしない彼方の果てから。

　「……。
　　いいのかい？　本当に？」

　彼は訊ねる——おざなりな礼儀のようなものとして。
　恐らくはひとつの儀式のようなものとして。

　彼には血がない。
　骨がない。
　肉も、臓腑も。
　その五体を動かすはずの筋繊維の束、およそ生物の内を生かすためのものは何も。
　だから彼が手渡されたその眼を《食べた》とき、そこには歯も舌も——その眼に触れ、持ち上げる指も手もそこには存在せず、ただ”彼”であるものが影のように拡がっていたに過ぎなかった。
　食べるために口と見える場所から呑みこむ必要もない。
　手を触れる、髪に触れる、どころか彼の姿の届かぬ地点へまで、彼はわずかではあったが”己を引き伸ばすこと”ができた。
　ただ彼の行いを見ているものの目には、手のひらにあるそれを口へ運んだように映ったかもしれない。
　そうしてそれを、唇の間へ入れ、嚥下したようにも……。


　《ひと》の、生身のそれではない。
　硝子のような、それとは違っているにしても良く似た偽りの眼である。
　それでも、それは確かに彼にとっての《眼》であった。　

あなたの知るなかでもっとも美しいものはなに？　　

　
　決して短くはない時間、何かを視ることを覚えたものの眼——。

それは視野の果てまで広がる海　　

　彼は考える、ありはしない頭のいずこかで。
　この眼は果たしていつまで私に何かを視せてくれるだろうかと。

わずかに色濃くなった闇の気配にも、まるで気づく素振りがない。
屈託のない笑顔を浮かべている。