水辺で出会った、私にとっては最早モンスターとか……そういうものにしか見えなかったイカは。
手も足も出ないで、水辺に引きずりこまれて、溺れたり、食べられたり、千切られたりするのかな、なんて怯えてたのが嘘みたいに、……私の、手は、足は、軽やかに、そして的確に、まるでまな板の上でイカを捌くみたいにあっさりと、……決着がついてしまった。

あんな大きな剣を持って、あんなに身軽に立ち回って、力強く、そして迷い無く刃を振るう事なんて、所謂、現代社会、に生きていた私には絶対に出来ない筈の芸当で。
いやいや、そもそも、まずあんな派手でへんてこな感じの衣装に変身するとか、それこそおとぎ話じゃないんだから。
何のとりえもない女の子が、華麗に変身して悪いやつと戦います！とか、……高校生の感覚からすれば、安っぽすぎて恥ずかしくて全然笑えない。
戦いが終わっちゃえば、あんな衣装何処にもなかったみたいに綺麗に消えて、元の服に戻ってしまったし。

そう。
ありえないんだ。

体育の成績がいい訳でもないし、空手とか、剣道とか、そういうカッコイイ習い事をした事もない私があんな化け物と、……ううん、化け物だけじゃない、何かと争うことなんて出来るはずがない。

でも、いざ戦いの場になれば勝手に体は動く。
そういうものと定められているように刃を振るえるし、痛い思いをしたって逃げようとか命乞いをしようとかそういう風な事を思ったりもしない。

私、本当、この世界にきて、どうしちゃったんだろう。
化け物に合う前に考えてたことだけど、やっぱりおかしいんだ。
全部、私がどうしても手放せない、このコインのせい？
いや、ちがう。
もちろん、根拠なんてない。
根拠なんてないけど、でもわかる。コインなんかのせいじゃない。
こんなアイテム一つに、人は、私は、振り回されたりなんてしてない。

もっと、もっと、根っこの、私自身に関わるような、——


「……はァ……」

ため息が、零れた。
水辺を歩く私はひとりぼっちで、相談する相手もなくて、心細くて、不安で。
場の空気に耐え切れずに、あの場所を飛び出した私は本当バカだなって。
怒ってるだろうな、……一応、戻るつもりで歩いてるけど、もう迎え入れてはくれないかな。怒ってるだろうな。あの人。

ああ、また泣けてきた。
これから本当にどうしよう。

『ジュリ……？』

考え事をしていたせいか、それとも水辺はあんな化け物がいるから危険って本能で思っちゃったか。
気付けば水の気配すらない平地、っていうか。遠くに見えるのは建物で。
ようやく人がいる場所にたどり着けるか、みたいなところでかけられた声。……私の名前。

声のした方向を見れば、褐色の肌の、私より小さな女の子。
その後ろに、……私が酷い事した男の人も、いる。……知らない、おじさんも。

『＊＊＊＊＊＊』

ほかの二人も私に気付いて近づいてくる。
いや、おじさんの方はあんまり私のこと気にしてないみたいだけど。
むしろ、男の人の方に構ってばっかりの気、するけど。
……そういう、趣味の人？

いや、うん、おじさんの事は一旦横に置いておこう。

怒ってないのかな。
もしかして探してくれたのかな。
だったらどうしよう、すごく、すごく嬉しい。

思い込みかな。思い上がりなのかな？
今も何か喋ってるけど、意味はやっぱりわからないし、すごく都合のいい風に考えてるんだろうけど。
でも、心細かったから。1人は嫌だったから……、勘違いしたくもなるんだよ。

『＊＊＊』

いちばん近くにいた女の子から、何かを言われてる。
通じない事に首を傾げていたら、指をさされるのは私のほっぺ。

……うわ、ちょ、ちょっと熱くなってるかも。
どうしよう、ただでさえ変な行動してるのに、余計変な人って思われちゃう。

えーと、えーと！

目の前に、じっと私を見上げる女の子がいる。
両手を伸ばせば、ぎゅーっと抱きしめて。顔も肩に埋めるみたいにして隠して。
逃げ道に使うなんてちょっとズルいかなって思うけど——でも、寂しかったのも人恋しかったのも事実だし、きっと、うん、……これぐらいなら、許してもらえるよね？











結局は、私は、みんなについていった。私の部屋に戻ってきた。
見慣れない天井、見慣れない置物。見慣れない窓の外の景色。でも、たしかに私の部屋。
ベッドに転がれば落ち着く。枕に顔を埋めれば幸せな気持ちになれる。

晩ごはんを皆で食べて、……ちょっと疲れたから甘いものが食べたいなーってその後にちょっと頑張って。
折角だからって各自の部屋に戻ったみんなにおすそ分けも用意しておいて。

しばらくは、ここで暮らすのも幸せかな、あの人と毎日会えるなら。
——って、私、もう、何考えてるんだろ。
今はそんな事に横道それてる場合じゃなくって、もっと考えないといけないことはあるのに……、本当、調子いいんだから。

枕から顔を離して、起き上がって。

宙に浮かぶ、……仮面を見つけて私は固まった。

「……、…………え？」

何かこう、舞踏会みたいなところで被られてるような、装飾がキラキラした感じ。
目元には羽の装飾があって、片方の瞳からは涙を流した、口元だけは見えるデザイン。
白をベースに、水色とかも混ざってるかな、っていう、縁取りは金色の……いかにもって、いうような仮面が、宙に浮いている。

うん、この世界は不思議な世界みたいだから、仮面が浮くぐらい、もしかしたら普通なのかもしれないけど。
でもやっぱり、そんな不意打ちをくらったらびっくりする。それも私は、この世界初心者なんだから余計びっくりする。
挙句。その仮面が私にわかる”言葉”で語りかけてくれば——余計、びっくりする。


”貴方は　真実を知りたい？”

「あ……　え　えええ……　これ　これが喋ってる？
　え、いや、喋ってないよね……仮面は喋らないよね、じゃあ何？」

”貴方は　真実を知りたくはない？”

「し、真実って……なに？」

ああ、仮面に語りかけてしまった。
このびっくりな現状をあっさりと受け入れてしまったことにちょっと後悔が残る。
すごい突っ込みいれたい。すごい驚いて逃げたい。
……でも、なんだろう。一瞬は驚いたけど……何だか、今更な気がして。
言っている内容、すごく気になるし。

”貴方は今　歪んでいる”

……うん、やっぱり逃げなくてよかった。
私が何かおかしい原因を、この仮面は知ってるんだ。
じゃあ、……ちゃんと向き合わなくっちゃ。

「……なんで仮面さんは、その、私が歪んでいるってわかるの？」

”私は　ずっと　貴方と一緒にいたから
　私は　貴方の　エンブリオ”

「エンブリオ……」

”私は　貴方の　パートナー
　私は　貴方の　正し方も知っている”

「本当……ッ？！」

思わず、身を乗り出してしまう。

記憶がない理由がわかるかもしれない。
この世界に来てしまった理由もわかるかもしれない。
言葉がわかるようになるかもしれない。
変なコインに執着したり、勝手に身体が動くことだってなくなるんなら……！

「どうすればいいの！」

”貴方は　真実を知りたい？”

「知りたい！」

”貴方は　真実を受け入れたい？”

「もちろん！」

”今の貴方と　違うモノになっても　構わない？”

「うん！」

今の私が、むしろ通常とは異なるんだから、変わるのは当然だもの。
力強く、頷けば、すっと仮面は私に近づいてくる。手を伸ばせば届く距離まで。

”私を　被って”

”真実を　教えます”

手を伸ばす。触れれば、思ってたより仮面は硬くなくて、……何だか、触れてるのか触れてないのかあやふやなぐらい、曖昧なもので。
エンブリオ、っていうのが何かわからないけれど、何となく耳に残る響きは、受ける印象はあんまり悪いものじゃないイメージがあって、…だから、じゃないけど信用したくて。
何か、に縋りたいだけ、行き止まりな状況を打破したい気持ちが、そうさせているのかもしれないけれど。

手に取った、仮面を——……私は、顔に重ねるように————————


”貴方が　どういう　モノなのか
　今から　全てを　見せましょう——”

脳の奥に。
木霊するような仮面の言葉は、深く、深く、私を闇の中へと、誘うように……………………………

気づいたときにはすでに樹里はその場におらず
シルマリィが一人だけ残されていた

　　　　　　　ギシッ

樹里に寝ろと言われた、と思う
とくにやることもない、気分を落ち着けるために一旦寝よう
そう自分に言い聞かせるようにシルマリィは再び夢の中へと旅立つ

……

　—樹里　フィリー遭遇後—

　

　


時刻は、8時半を回っている。

メモを片手に、扉をノックして声をかける。

驚きを内心に隠しつつその名前を見る。
驚いたのは名前ではなく、その文字。
漢字を使用しているのだ。
しかも、しっかりと音読みされている。

漢字を使うということはもしかしたら通じる可能性もある。
指で地面を削りながら漢字を書いていく。

樹里　国　言葉　自己紹介　希望

そんな文字を書き記し、上月を見る。

絵が描かれる様子を楽しげに覗き込んでいたが、
樹里の意図を悟ると、ぴたりと動きを止める。

自分の事で精一杯であろう少女にまで心配されていたからか、
俯き、その場で小刻みに震えだした。

顔を覗き込めば、涙を流しているさまがわかるかもしれない。

自身もまた立ち上がり、後ずさる樹里に手を伸ばす。
しかしくるりと向けられた背に、その手は樹里に届くことなく中空で止まったまま、
やがてゆっくりと下げられて行く。

その声が樹里の背に届こうと届くまいと、その意味が伝わることはない。


…


カミユの部屋から飛び出してしばらく。

　
さそめ、ちさ、そ　ろ、ちえ。なら　さゐる、ふりそゑ？


声。
その美しい響き、抑揚は、まるで異国の歌のようだ。
耳にではなく、頭の中に直接響いてくる……

視線。しかしそれは単なる気配でしかない。
確かに見張られているという、印象。

ふいに、樹里の目の前に光が現われる。小さな光。
よくよく見れば、その光の中で三角形がくるくると回っている。
その回転はどんどんと速くなり、三角形が輪郭を失うほどの速度になるとーーーー
ふわり、とその中心から翼が開く。三対、六枚の翼。その背に走る光の環。

異様な、しかし翼と光の環という特徴だけを拾うとすれば、「天使」と形容してもいいだろうその姿。
その中心には金色の目が据えられており、まっすぐ樹里を見つめている。

失敗したか、と心の中で舌打ちする。しかしそれを前面には出さない。
後ずさる少女に投げかけた言葉。その様子はどこか無機質な物を感じさせられる。

そこで一歩引ける心構えを否定する事はない。
むしろ、何かを疑う心構えが出来たのは喜ばしいとさえ感じている。
引き止めはしない。仮にここで怖がらせたとしても、あの一味への依存が深まるばかりなのだから。

ただ見送ろうとしたのだが、少女の様子に何か引っかかるものを覚える。
サイネルは、少し距離の開いた樹里に向かって。

今”サイネル”に出来る事と言えばここまで。後は樹里自身に選ばせるだけだ。

彼女が選んだ道が罪の道ならば、罰の覚悟もしよう。

　狐は、少女の苦悩を余所に、虚空を見上げて首をひねる。

　同じ姿勢のまま、わずかに視線だけを送る。
　——続けるべき言葉は、今は伏せて。

　嗚呼、どうやらここが「鍵」であったかえ。

　少女が酷く動揺しはじめた姿を見て、妖狐は口を噤む。
　「力など、今時平凡な女子高生でも持っている」ことから、尋常ならざる力への理解を深める。
　……という言葉遊びを仕掛けてみたのだが、どうやら事態は想像以上に早く進行しているらしい。
　余裕が無くなれば、通じるはずの言葉でも、通じないようになるものだ。

　高下駄を土に擦って、後ずさる少女に一歩近づいた。

　微笑んではいるのだが、恐慌を起こした少女には酷薄な笑みに見えてもおかしくはない。

　心当たりがないのは本当だろう。
　しかし、手掛かり……とも言えない、なんらかの引っかかりは感じているように思われる。
　この普通過ぎる少女が怯えているのが、その証拠ではないか。

　抑えていた、人外の気配を解き放つ。
　力持たぬ者なら気づく由もない禍々しい妖気を、この少女は感じることが出来ているはずだ。

　しかし。逃げ出される前に、ひとつ楔を打たねばならぬ。

　隣を通り過ぎる。高下駄をカランと鳴らし、ゆっくりと歩み。
　……逃げてもよい。誰も責めはせぬし、むしろ儂をののしるのも良かろう。

　少女に対して、無防備に背を向けている。妖気はすでに消え失せて。。
　そのまま居なくなることは覚悟していた。楔が上手く刺さるならば、誰かが抜くだろうと信じよう。
　街の噂と女の勘が繋がるならば、むしろ背中から刺されてしまうのかもしれないが——。
　元より正体は化け狐、死んだふりぐらい出来るから存分に。と、妖狐は口端に寂しく笑みを浮かべた。

少女の様子がおかしいのは、どうやら自分の成長した姿を見たせいではないらしい。

覚えていない様子に少なからず衝撃は受けたものの、少女がそんな自身の状況に戸惑っているのに自分がしっかりせねばと思い、心を落ち着かせてから笑みを作り。

そして出会った時のことを思い出しながら、できるだけゆっくりと話し始める。

言いながら首もとの首輪に手を触れ。

そこまで話すと一旦切って、樹里の反応を伺うように顔を見つめ返し。

その言葉とともに笑みを漏らす。
いつも見せるような皮肉めいた笑みを。

名前名前を上げつつ、指折り数える。

無論、言葉が通じないのは重々承知の上。
ただ彼の場合、この一連の動作だけで相手が意図を汲んでくれるであろうと思っていたようだ。
表情は若干曇り気味になったものの、それでもその小物を手にしっかりと握りしめながら声を掛けはするが。

彼なりの説得も空しく、樹里の態度はどんどん慌しいものへとなっていき。
そして…とうとう大声を上げられたことにより彼の中の何かが崩壊した。

表情険しく、樹里の悲鳴をかき消すような形で大声を上げると…。
トガノはその表情のまま樹里の両肩を掴み、そのまま壁に叩き付けるような形で押し付けた。
直後に一発、彼女の頬を平手で叩き。

…乾いた音が周囲に響いてからも、トガノの息遣いは荒い。
樹里の肩を抑える両手はピクピクと震え。
ただ、どこか殺気立った目線を樹里の顔へと向け続けている。

刃を構えるのをやめれば、はああ、と深く息を吐いた。
自分が無事なことに、心底安堵をする。

仲間、である彼らが無事なことを次に確認して。
ようやく今度こそ、と力を抜いた。

鶏肉、パプリカ、エビ、アサリ、他、名前がよくわからないけど多分食べられる魚介類…そして、たくさんのイカ。兎に角適当にマァムブ内にあった材料を細く切って、
フライパンで玉ねぎとにんにく、そして米を炒めて、次に水とサフラン、牛の出汁、塩胡椒、ローリエを注ぎいれ、最後に先ほど切った具を並べて蓋をし、暫く加熱したもののようだ。

……別途にレモンが切って個別に用意されている。