一斤のパンを買う為には銅貨一枚が必要だ。
如何に高度の科学・魔法文明を発達させた世界でも、無から有を創り出す技術を持った世界は皆無である。
（少なくとも私はそんな世界を知らない。）
故に有限である何かを他者から得る為に、何らかの対価を必要とするのは至極当たり前の発想と言えるだろう。

　この認識をあのグレイナード・F・ノイエンが持っていた事は何ら不思議ではない。
（寧ろ持っていない人間の方が少ないのだろう。）
ただ、一言で『当たり前』と言える認識も、実際に向き合えば細部は人により其々異なっている。
その細部まで認識が近しい相手は一体どれくらい居るのだろうか？

　グレイナードという男は他人に対して借りを作る事を酷く苦手としていた。
それは恐らく出自に由来するものなのだと容易に想像できるが、その性格のお蔭で私はほぼ無条件で彼を動かすことが出来た。
彼の生命を救ったという事実は余程大きな"借り"になったのだろう。
彼にとって無縁である異世界の騒乱、このメルンテーゼの一揆に参戦させることさえも頷かせたのだから。

「一揆がどういう形で終ろうと、最後まで協力してくれれば、アンタの望みを叶えよう。」

　私が彼に提示した対価、それは彼を出身世界へと移動させるというものだった。
成程、確かに彼にとってもメリットのある同等の取引に見える。
しかし、実際はどうだろうか。

　例えば一揆側が敗北した場合、私がどうとなり逃げられるが、彼の場合は戦犯者として悲惨な末路を歩む可能性もある。
そしてそもそも、肝心の私が約束を本当に守るかどうかの保障も無いのだ。
勿論、その点に関しては警戒しているようだが、幾ら警戒をしようと無駄だと言う事は彼自身も分かっている筈だ。
世界を移動する術を持つ私を束縛する事は出来ない。

　取引に乗れば彼の願いは叶うかもしれないが、そのリスクはあまりにも高い。
それでも彼が取引を受けたのは、やはり私が命を救った相手だということが大きいのだろう。

　何かを与えられたならば、対価を支払う。
彼に染みついたその思考はある意味で健全と言えるが、行き過ぎればそれは呪縛のようにも思える。
無償で何かを与えられた事の無い人間、対価なしで奪われ続けた人間。
私は密かに彼に同情するのであった。