私は雨が苦手だ。

どうしてだろう。
空から降るこの雨粒が、嫌な出来事を運んでくる使者に思えたのかも知れない。
…原因は、よくは分からない。
ただ漠然とした不安が、もやの様に渦を巻くのだ。



私は雨が、苦手だ。



*　*　*　*　*



昔、伯母に話したことがある。
激しい雨の降っている朝、不安そうに窓を見つめる私を不信に思ったのだろう。

「さっきから外ばかり見てるが、どうかしたか？」

そう言って窓から外を覗き込むが、不信なものも見当たらない。
疑問に思ったのだろう。
依然何かを見つめ続ける私に、何を見ているのかと、彼女は聞いた。

「雨……雨が降ってる」
「ん？　ああ、確かに酷い雨だな」

それがどうした、と言わんばかりに彼女は肩をすくめて見せる。

「……雨が降ると嫌なことが起こるんだ」

言葉にしてしまったことで、それが俄然現実味を帯びてしまった。
スカートの裾を握る手が汗ばむ。

「…どうして、そう思うんだ？」

私の不安を察したのだろう。
伯母は私の肩を抱き、いつもとは違う、静かな声で聞いた。

「分からない……分からないけど、そう、思うんだ…」

腹の中でグルグルと渦巻く不安感を、うまく言葉にできない。
それ以後押し黙ってしまった私の頭に、そっと暖かな手が乗せられる。

「雨は悪いものでもないさ。水は作物のご飯だからな、今日はご馳走だろう」
「……」
「そりゃあ、悪いこともある。増水で川が溢れたり、土砂崩れなんかも起こる。
でもそれは、私達にとって"都合の悪い"ことであって、雨が悪いわけじゃない…と、私は思う」

チラリと彼女へ目線を向けたが、私は言葉を発しなかった。
素直に肯定することができず…かといって、否定することもできない。

「それに見てみろ？　もうじき雨も上がる。
空の向こうが明るいだろ？　あれは、雨が止む印だ」

重たい灰色の雲を割って、ぼんやりとだが、確かに空に明るい部分が見える。
半信半疑にその光を見つめていると、屋根を叩く雨音が小さくなってきたようだ。
そうしていると、徐々にだが、激しく降り注いでいた雨が止んだ。
瞬きを繰り返し、明るくなった外へ一心に視線を注ぐ。

「そのまま空の…うん、あの辺りを見ているといい」

斜め上を指差し、どこか悪戯っぽく笑う。
意味が分からないまま、私は彼女が指を指した空を見続ける。


そうして姿を現したものは、空にかかる七色の光だった。


「あれは“虹”っていうんだ」
「……にじ？」
「そう。雨上がりに、空にかかる光の橋のことを“虹”っていうんだ」
「…綺麗だ」
「そうだろう？綺麗だろ？　これは雨が降らないと見られないんだ」
「雨が…降らないと…」
「大雨の後ほど、ハッキリと綺麗な虹がかかるんだぞ！…だから覚えておけ
雨はいつか必ず晴れる。そして、晴れれば空に虹がかかる。
だから、どんな悲しいことがあっても、それはきっと晴れる。
だから、だからさ
さいごは笑顔で、泣かないで居て欲しいんだ」

ポンポンと頭を軽く叩く手に、どこか力がないように感じた。
彼女の声が、どこか淋しそうだったから、そのせいで弱々しかったのだろうか。
しかしその疑問は、空にかかる美しい橋を眺めているうちに消えてしまった。



さいごは笑顔で、泣かないで ——



そう言った彼女はその時、何を思っていたのだろう。
弱々しい手の感触が、今でも私の頭に残っている気がした。

溜息混じりにそうつぶやく。
相当振り回されているようだ。

肩の上の青い鳥が存在を主張する。

…遠くを見ている彼女を見ながら

彼女の細い手に釣り竿を握らせ、釣りは続く。