ENo.80 アル・グーラ

　救う。
　このことばを、ここ最近よく風が運んでくる。
　彼方此方よりこのセルフォリーフに訪れた来訪者や、“異変”によって変質したものと対峙する原住民たち。
　彼らがよく囁き、あるいは叫び、誇っていることば。

　“救う”とはなんだろうか？
　それもそっと風に、木々に、空に聞いてみた。

　“救う”とは――
　力を貸し、力を貸して悪い環境・困難・危険・苦痛な状態から逃れさせる。
　いわゆる“助ける”ということ。
　たとえば小さな子供が川に落ち、おぼれているところを助けたならば、それは“救う”と、いうらしい。
　また、悪いもの、悪くなりそうなものを正しく良い方に向けることも、“救う”ということらしい。
　たとえばぐちゃぐちゃになった――いわゆる無秩序・混沌といったものを正すのは、“救う”ということらしい。

　こう聞くと、“救う”ということは良いことに聞こえる。
　そして、皆が救われることは良いことなのだろう、そう錯覚する。
　そんなわけはないのに。

　そんなことが、あり得るわけがないのに。
　そんなことは、今目の前の依頼人が行うことを見るだけでも、すぐに判るだろうに。

　紅の和服に身を包む、紅い髪の少女。
　彼女が今日の件の依頼人、その名を鈴梅という。
　鈴梅は様々な地を訪れ、病に伏すものを救っているのだという。

　先日のかまどうまとの立ち回りをみた鈴梅は、その腕を見て力を貸してほしいと依頼をしてきた。
　内容は、薬岩の獲得。

　指定された場所であるこの傍に、薬の原料となる品があるという。
　だがそれを手に入れるためには、多少の暴力が必要という。
　それはなぜか？

　「ガァァアアァゥッ！！」

　仄暗い闇より響き渡る咆哮と共に、飛び出してくる大きな獣たち。
　それが理由。

　答えは、これ。

　その品がある場所は狼たちの生ける場所、彼らの棲家。
　つまりは薬を命を手に入れるには、他の生――今回はこの狼たち――を蝕み喰らう必要があるということ。
　蹂躙せねば、手に入らぬのだ――と。

　彼女は言った。
　自分は様々な地を訪れ、病に伏すものを救っていると。

　だが彼女は本当に、ただ“救って”いるだけだろうか？
　――そんな、わけはない。

　彼女は同時に病を治すために、病の元となるモノの生を蝕み屠っている。
　彼女はまた、病の薬となるものを手に入れるために、その地に押し入り、暮らすものを潰し、薬の原料を摘んでいる。
　彼女は“救う”のみの聖女に非ず、同時に他を屠り蝕む魔女でもある。
　ただ“救う”という大義のヴェールを被っているから、聖女のごとく受け入れられているのみなのだ。

　それは、このセルフォリーフで囁かれている、いくつもの“救う”ということばに対しても同じこと。
　彼らは、いったい何を以てして、このセルフォリーフを“救う”のだろうか？

　救援依頼を請けたから、それに応じることだと大半は言うのだろうか。
　では、その救援依頼は、何から・どんな状態から住民を救うことだろうか。

　“異変”によって変化したモノたち、それによって脅かされる生活。
　それによって出された、住民たちからの救援依頼。
　彼らが願うのは脅かされぬ生活、“異変”の収束、世界の復元。
　彼らを脅かすのは“異変”後の変化。

　“異変”が起きる前の状態に戻すことを“セルフォリーフを救う”というのならば、“セルフォリーフを救う”ということばの意味は、“異変”によって変化したモノ達を以前の状態へと戻すことを指すことになる。

　セルフォリーフに溢れたいのち、生無きものにも与えられた命と躍動。
　それらを屠り、消し、住民や外来者の意のままにあるよう支配できる状態であること。
　たとえば、わたしのような存在――“異変”前は命を持たず意志を以て躍動することもない記憶の残滓や空のひとかけら――へと齎された命と躍動を奪うこと。

　他の存在が持つ命を躍動を奪うとはどういうことか？
　それはつまりは――殺す、ということ。

　わたしは生を齎され、生きようという私の意志を以て今セルフォリーフに在り、生きている。
　消滅したい・死にたいなどはもちろん、思ってはいない。

　とてもとても多くのものが、誇り叫ぶことば――“セルフォリーフを救う”という事柄。
　気づいているか気づいていないかは知らねども、わたしはそのままただぼうっと在るだけでは、そんな大義を掲げるモノ達に世界を復元され齎された命を摘まれる危険がある。

　だから、わたしは生きようとする。
　蝕もうとするものから抗うよう、私の意志を以て生きようと欲する。
　例え在ること自体が悪であり、命を喪い消滅することが義であり是であろうとも、それを受けいれるわけにはいかない。
　他に会い、他を蝕み、他に溶けては喰らいながら、意志を以て生きようと欲する。