ENo.2874 茜

「茜さーん」

伊吹君が何時ものようにフラフラと近寄ってくる。何時ものように。

「チョコ受け取ってください」

不意打ちが直撃して、私の思考が一瞬空白に埋め尽くされた。

「……何で？」

バレンタインデーという習慣がこちらの世界にあったのも驚きだが、男からチョコを貰う経験も初めてで、割と真剣にドッキリか否かを疑って…

「受け取ってくれないんですか？」

「貰う」

受け取ってしまった。どう突っ込もうか考えてるうちに、伊吹君はフラフラと何処かに行ってしまう。うーん。何か、こう…　困った？

「くりおねよぉ。コッチの世界には男が女にチョコを渡す風習があるのか？」

「え、何それ？　くりおねに知らない事が有ったなんて…」

「無いのか？」

「そうだったのか…、こっちの世界でチョコが貰えないと思っていたら、男から渡すモノだったとは。これは盲点だった。道理でくりおねの恋が全く始まらない訳だ…。来年から本気出す！」

……こよみにも聞いてみるか。

「バレンタインはこの世界でも女が男に渡すので良いんですよ」

「なん、だと…」

断言されてしまった。じゃあこの伊吹チョコには何の意味が込められているのでしょう？　誰か教えてプリーズ。

「まぁ貰っちゃったなら、何かお返ししないと。手持ちが無いなら、お菓子分けてあげますよー」

こよみが白衣のポケットからどんどんお菓子を取り出してくる。なんと言う四次元。

「…いや。いやいや。受け取った以上、お返しはするとしても。何で俺なんだ？」

「恋ですかね」

「…恋なのかなぁ？」

恋かぁ。何かそういうのとは違う気がするんだがなぁ。考えられるのは…

「１．恋の所為ですかな？
　２．ドッキリ成功！　冗談なんだから本気にしないでよね！
　３．男から送るのも面白そうだと思ったので、ついカッとなった。
　４．無意識下の犯行。

　さぁ、どれだ？」

「１で良いですから、クッキーでもお返ししてあげてください」

あら可愛い。綺麗な包みに包装されたクッキーを握らされてしまい、さてどうしよう…

「今すぐで良いから行けー！」

「分かったから押すなよ！」

今すぐで良いのか？　一ヶ月待たなくて良いのか？分からない。こういうイベントは分からないよ…

分からないまま伊吹君を探しに向かってしまう事に。どうしよう…

「何かうろたえてるなぁ。茜さんって意外と真面目だね。さて、後を追わないと！」

「うおーい、伊吹くーん」

「はいはい伊吹君です。何でしょう？」

来てしまった。チョコはすでに胃の中に消えた以上、何らかの答えは出すべきだろう。…何で食ったし。

「いや、さっきのチョコ美味かったぜ。でさぁ…」

……………

何だコレ。こんな恥ずかしい事がまだこの世に有ったなんて。俺もまだまだ青い。　何て言っている場合じゃない。早く何か一言を…

「貰ってすぐで何だが。ほら、お返し」

クッキーの小包を差し出す。彼はキョトンとした顔で受け取ってくれた。ヤダこの空気耐えられない！視線を合わせられず目を逸らすと、幼女と白いのとが草むらから看板を突き出しているのが見えた。

【ここで愛の告白を】【ただちにキスしたまえ】

……少なくとも緊張は解けた。礼に後で死をくれてやろう。

「まぁ、お返しはしたがな。その、何だ。実は俺にはもう心に決めた人が」

「ウソだドンドコドーン！」　「初めてのチュウ、はよう！」

　　　ダーン　　ギャッ
　　　　　　ズダーン　　グェッ

「何コレ、また取れないーッ！」「コラッ！エアガンを人に向けて撃つなとあれほど！」

口より先に手が出る性格だけは直らんなぁ。

「赤いペイント弾はリアルだな。さて」

俺は伊吹君に向き直る。心なしか楽しそうな笑みを浮かべていて、少し安心した。

「えーっと。クッキー有難う御座います。あのチョコは気にしなくて良いですよ。特に意味は無いんで」

　　カチャッ

「ゴメンナサイ、撃たないで！」

「答えは２番になるのかな？。そういうのも有るんですねー」

「茜ちゃん元気だしなよー。一緒に新しい恋を探しに行こうぜ！」

「……………」

こういうときの体育座りは何だか落ち着くな。いや、別にセンチになった訳ではない。ただ何かこ。女として凄く悔しいじゃないか…

「ほら伊吹君謝って！女の子は傷付きやすい生き物なんだよ！」

「えっと、その。ごめんなさい。悪気はなかったんです。ただそういうのもアリかなーって…」

「……………」

「こ、今度街に着いたら、お詫びに食事何でも奢りますから。あ、いや、物でどうこうって訳じゃなくてですね、その」

「伊吹君」

「はいッ！」

伊吹君の顔を見ると、汗だくで目が泳いでいる。明らかに分かりやすく気が動転しているのが見て取れる。

「……もっと近くに」

「………？」

スカーン

「いった…いッ！！」

近付いて来た伊吹君のおでこにデコピンを一閃。予想以上に良い音がしてくりおねが感嘆の声を上げる。

「すっげー…。デコピンでそんな音初めて聞いたぜ」

「痛い…いた…ッ！」

「ハハハ。何かスッキリしたぜ。今日の所はこれで勘弁してやろうか」

伊吹君は、ホッとした様なヤレヤレと言った様なビミョウな苦笑いを浮かべる。ちょっとやり過ぎた気もするので、これ以上は何も言うまい。

「デコピンで済んで良かったね。私だったら木に縛ってウィリアム・テルごっこの刑だった所だよ」

「むぅ。元はと言えば、こよみさんがこの世界のバレンタインデーは男が女にチョコ渡すものだからウっむぐ！」

何やら口走った伊吹君の口を咄嗟にこよみが塞いだが時既に遅し。俺はこよみの服の襟を後ろから掴んで引っ張り上げる。もはや逃れる事は出来んぞ。

「そうだなぁ。ちょっとウィリアムテルごっこの内容を詳しく聞きたい気分なんだが。教えてくれないかなぁ、こよみちゃんよぉ

こよみは顔色一つ変えず、俺の目をじっと見つめ一言。

「テヘっ♪　てへペロって何かちょっと良いですよね！」

　　　ｱｯｰｰｰ!