ENo.231 文箭

※この日記には、一部不快な表現が使用されております。御注意下さい※

[ 自動書記“文箭”の記録より ]

近頃は、賊の真似事が流行しているらしい。二日も続けて――今度は、女性の賊に遭遇した。
己達を“獲物”としか見ない彼女達を見て、心中複雑になる。男性なら兎も角、何故、女性までもが斯様なモノに身を落とすのか。そこまでこの世界は剣呑なものではないように見えていた、また、大きな格差がある社会には見えなかったが、己の間違いであったのか。
しかし、彼女達はまだ若い。それに、荒廃しきったようには見えない。故に、更正する道は残されているように思えた。彼女達を倒した後、メディアにそれを述べると、メディアは伏目がちにこちらを見た。あまり心地の良い視線ではない。

「──本当は、壊してしまいたいですけど」

小さく、メディアが呟く。彼女らしからぬ攻撃的な発言であるが、昨日も同じような事を言ってバルガスに止められていた。“壊す”というのが、一体どういうものなのか、己には分からない。彼女の能力を考慮すれば、精神を破壊するという事であろうか？
賊の手を引いて、彼女はどこかへと歩いて行った。数分待っていると、疲れた顔で戻って来た。一方の賊は――賊だったと形容した方が良さそうで、目の輝きが違うように思えた。
メディアは気だるそうに、「疲れました、眠たいです」と言って、そのまま立った状態で眠り始めたものだから、慌てて己が負ぶさった。幸い、スティルフの街は目前にある。久々に踏み入れるその街を散策する間も無く、真っ先に宿を訪ね、ベッドに眠ったメディアをそっと下ろした。クヌギがその横に寄り添い、すぐに寝息を立て始めた。スティルフで最初出会った時も、メディアの膝の上にクヌギが寝ていたのだったか。
あまり変わらないいつもの光景に、しかし今日はもう一人、新たな顔ぶれがある。先程、メディアに“改竄”をされた賊だ。
“改竄”というものが実際どういうものなのか、己は体験をしていないし、メディアから口頭で聴いたのみである。曰く、一冊の本に修正液をペンを持って臨むようなものなのだという。それがメディア――Medea-Laplace121の能力であるというのだ。
賊は、眠るメディアをじっと眺めている。長い睫毛が紅色の頬に影を落としていた。彼女なりに見守っているつもりなのだろうか。メディアは一体、どのような“改竄”を施したのであろう。こうして見ると、先程まで己達を襲ってきた人物には思えないのである。そこで、個人的な興味から、どうして君は己達に狼藉を働こうと思ったのか、尋ねる事にした。
すると、彼女は澄ました顔で、次のように述べた。

「私、そのような事はしないわ」

-　-　-　　-　-　-　　-　-　-

いつも通りに記述を終えた後、文箭は腕を下ろして、椅子に腰掛けた。部屋をぼんやり眺めると、ふと、鏡台に映った自分の姿が目に入った。
やや疲れたような色をした人物が、そこには映っている。顔立ちは中性的で、男とも女とも取れない顔をしていた。実際、性別を問われる事は文箭にはよくある事であったし、はなから女性と間違われる事もしばしばあった。
しばらく、鏡の中で感情の無い右目だけが動く。やがて、彼はゆっくりと立ち上がり、風呂場へ向かった。
ベッドルームでは旅の連れが二人、すやすやと眠っている。それを起こさぬよう、ゆっくりと、一つも音を立てなかった。
扉を閉めて、鍵を掛けた。振り返れば脱衣所に設置された大鏡に、彼自身の姿が映る。しばし、自らの姿を眺め、それから彼は服を脱いだ。
二重廻しのコート、着物、シャツ――。帯に差した栞は引き抜いて、畳んだ服の傍らへ。丸裸では居心地が悪いようで、大判のタオルを手に取り、身にまとった。
脱ぎ捨てた服には、旅の疲れが汚れとして目立っていた。ため息を一つ吐くと、浴槽に水を貯め、それを放り込み掻き回す。じゃぶじゃぶと水音が静かに響き渡った。

（作者とは、対話の時間が余りにも短かった。己は結局、分からない事だらけで取り残されとる）

（己の体がどうしてこのように半端になったのか。男性格でありながら、その象徴が無く、女性に近い構造をしとる。その理由すらも）

暗い水面に、自分自身の姿が掻き回されている。
そっと自分の股を見て、彼は目を細めた。白いタオルの下――そこに、男性の象徴は、無い。胸部は確かに男性らしいが、下半身は明らかに男性とは違っていた。
しかし、心が男性であるが故に、股間の違和感は文箭にとっては一つのコンプレックスとなっていた。これが原因で、一人旅が気楽でなくなる時が何度かあった。
思い返される数々の出来事――文箭は、首を横に振って、忘れようと試みる。そのような行為は無駄であり、出来事は記録に残っている事を知りながら。

（――失望も割り切りも、彼の中にあったんじゃろうな。己は多分、無性ではなく、女性として誕生するものだった？）

顔を上げると、乳白色の天井があった。クリーニングが行き届いているのだろう、黒いカビは一つも見当たらない。
再度視線を落としてみれば、けれど浴槽の水はゆらめている。ぼんやりとそれらを眺めて、文箭は一人、考えに耽った。
もう何度も、何年も、同じ事を考えている。そうして目を細めたり、口元を固く引き締めたり。
やがて一つ息を吐き、洗濯を続けた。

（分からんなあ……早々に他界されたのが、悔やまれる。もっと話したかった。もっともっと、旅の話をしてあげたかった――）

（今、こんなにも、沢山の話を綴っとるのに。作者はそれを見る事ができぬ。梅の栞をくれた貴方には、もう、会えない）

（……どうして今、このような事を考えるんじゃろう。賊の事があったからか？それとも、メディアが保護者のバルガスと通信できた事が、羨ましいのか）

（どちらも）

（――ああ、貴方に会いたい。今度は、話を聴かせるだけでなく、こちらからも話を聴きたい。自動書記の領分を超えとるじゃろうか、それは――）

呆然と、次々と考えを浮かばせて。
やがて文箭は浴槽から腕を引き抜いた。

水面は平静へ戻る。