◆ 「本艦のデータベースは作戦行動用に最適化されているのであります。しかし本国と通信を確立させる事ができれば研究途中の論文などにもアクセスできるようになる為、検索範囲が大きく広がるのであります。しかし通信設備は見ての通り」 　それは探索協会に辿り着く少し前、船内の一室に広がる無数の機械部品を前にアイアンメイデンから聞いた言葉だった。分解された通信装置は、アイアンメイデンが器用に触手を伸ばして修理しようとした結果らしい。 　少女の身体は普通の方法では以前の状態に戻る事はない。そしてその手がかりを得るには——。 「スキルストーンが必要であります。それも蓄魔の性質を持つ石が」 ◆

	メイカ
	「結局探索協会にも手がかりは無かったんだし、雲をつかむような話だよねぇ……」

少女は溜息と共に独り言を呟く。その身に纏った水着は意思を持つので正確には独り言ではないのだが、それは同意を求めて放った言葉ではない為に実質独り言だった。 　彼女は手元のスキルストーンの光で足元を照らしながら、旧時代の遺跡の中を水をかき分けるように歩く。 　本来であれば水中は泳いだ方が移動速度は出るのだが、十分なスペースがない閉所においてはヒト型の生物が泳ぐのには危険を伴う。人工物（注、ヒト種に限らない知的生命体に製造された物体を指す）の中において慣性を制御しきれない移動方法を行うのは、急カーブや崩落、罠の可能性を考えた場合ふさわしくはない。尤も、知能と加工技術が高い水棲生物用の居住空間などはわざと遊泳しやすいよう緩やかなカーブを描く構造になっている事が多いのでそれも当てはまらないのだが。 　彼女は右手を壁にそえて、飛び跳ねるように床を蹴って前へ進む。それは水の抵抗をできるだけ殺しつつも、慣性をコントロールしながら進む歩法だった。 　彼女の言葉に反応して、水着が変形し顔を出す。

	アイアンメイデン
	「そうでもないのであります。畜魔の性質を持つスキルストーンの製造は比較的ローコスト。場合によっては貴殿の命よりも安いのであります」

	メイカ
	「安さの基準に使われる程に私の命安いの！？　できればその認識は改めて欲しいかな！？」

	アイアンメイデン
	「本艦、残念ながら物価に介入する程の経済力は無いのでありまして」

	メイカ
	「誰も石の値段を下げて相対的に私の命を高くしろなんて言ってないよ！　残念なのは命を買い叩かれてる私の方だよ！」

	アイアンメイデン
	「メイカ殿メイカ殿、そんなに声を大きくしては原生生物に気付かれるかもしれないのであります」

	メイカ
	「どの口が言うか……！」

	アイアンメイデン
	「いふぉいいふぉい」

背中の布地を変化させて顔を伸ばしたアイアンメイデンの頬を指で挟み、メイカは力を入れぐにぐにと揉む。

	メイカ
	「……って違う。そっちじゃなくて、私の体を戻す方法の話」

探索協会では大した情報を入手できなかった。集まった探索者にも話を聞いてみたが、元よりアイアンメイデンの難解な説明を理解できる者は少数、理解したとしても医学的にできる事は何もない、という見解だった。 　また、補修の為の性質を持つスキルストーンも探したが、探索協会が販売している中には存在しなかった。販売している物を元に精錬していけば開発できる可能性もあったが、それには資金が足りない。 　そこで発掘兼一攫千金を求め、探索協会の本来の仕事である遺跡の探索へと乗り出したのであった。

	アイアンメイデン
	「本艦に任せるのであります！　小型帆船に乗った気持ちでいるのであります！」

	メイカ
	「それ自信無いって事だよね？　転覆の可能性高いよね？」

	アイアンメイデン
	「大丈夫であります！　データベースと比較すると探索協会周りの技術レベルはそんなに高くない為、本国にしかない情報は山ほどあるのであります！　よって悲観するのはまだまだ早いのであります！」

	メイカ
	「そう……だといいなぁ」

メイカは願望を口にする。確かに彼女の故郷と比べてもアイアンメイデンの船との技術力は雲泥の差がある。探索協会を初めて訪れた時でも驚いたのに、その船は彼女の理解の範疇を越えていた。アイアンメイデンに教えられながら多少は操作もできるようになっているが、それでもその船の構造は彼女にとって完全にブラックボックスだった。 　水着と話しながら暗闇の通路を進んでいくと、視界がひらけた場所へと出る。それはまるでコンサートホールのように広く、中央には丸い台座があった。

	メイカ
	「お宝の匂い……はしないか」

	アイアンメイデン
	「オタカラとやらには特有の臭いがするのでありますか？　本艦の水質センサーにはメイカ殿の代謝物質以外は特に異質な物は引っかからないのであります。メイカ殿体臭きつすぎ」

	メイカ
	「ぶっ殺すぞ。……いやいや、きちんと清潔にしてるからね？　本当だからね」

	アイアンメイデン
	「誰に向かって弁明しているのでありますか？」

	メイカ
	「いや弁明というか——」

彼女は視界の端に漂う物を見つけ、言葉を止めた。 　その違和感の元に視線を向ける。 　それは広間の頭上5mほど上にいた。 　人間の頭より少し大きな黒い球体。 　嫌な予感がする。 　どこかでそれを見た記憶がある。 　ゆっくりと漂うそれを凝視する少女の頭に突如”声”が聴こえた。 　後頭部から頭の中に直接冷たい手を入れられたような感覚。 　何を言っているのかはわからないが、それは彼女に呼びかける”声”なのだと彼女は認識する。 　少女が不快感に身体を震わせると、同じくアイアンメイデンも顔を上げそれを視認した。

	アイアンメイデン
	「秘匿通信であります。内容はジャンクデータ。あれはいったい……」

アイアンメイデンが器用に触手を伸ばし”明かり”のスキルストーンを向ける。 　するとその球体は中央から横一文字に裂けた。 　亀裂から見えたのは上下に綺麗に生えそろった白く鋭い歯と、蠢く赤黒い舌。 　そしてその舌の先についた目玉がこちらを覗いていた。

	「リ……リ……」

少女は見覚えのあるその姿に、体を硬直させる。 　彼女がアイアンメイデンに出会う数時間前。 　漂流する原因となった、セルリアン海溝の深淵に潜んでいた常識の範囲外に位置する生物。

	メイカ
	「あれは……”カミサマ”……」

少女の言葉に、異形の球体は音も立てずに口の端を吊り上げた。 ◆

	アイアンメイデン
	「突然泳ぎ出してどうしたのでありますか？」

	メイカ
	「いいから！　早く逃げないと……！」

元来た道を全速力で泳ぎ、メイカは肩越しに後ろを見る。そこには黒い球体が後を追うように迫っていた。

	アイアンメイデン
	「追ってきているでありますなぁ。本艦のデータベースに該当種無し、お知り合いでありますか？」

	メイカ
	「……捕食された間柄です」

	アイアンメイデン
	「なるほど。メイカ殿の味を気にいったという訳でありますか」

	メイカ
	「大きさが違うから別人だとは思うけど……とにかく友好的な相手じゃなさそう」

呼吸が必要無くなったせいもあってか、メイカは冷静さを保って泳ぎ続けることができていた。しかし追いつかれれば命に危険が及ぶという危機感は彼女の精神を蝕み、焦りを生み出していく。 　そんな中で突如、メイカの下半身が重力に引っ張られ泳ぎのバランスが崩れてしまう。 　まるで水着が急に重石になったような感覚に驚きの声を上げようとする。 　しかしそれよりも早く頭上を異形がかすめ追い抜いた。 　もし急に引っ張られなければ彼女の首から上は無くなっていただろう。 　球体はそのまま遺跡の壁へと突き刺さり、建材をガリガリと咀嚼した。

	「ギ……ギ……ギギ……」

	アイアンメイデン
	「こちらへ！」

彼女は水着に引っ張られ横道へと強引に跳ね飛ばされる。 　床にぶつかり痛みを感じるが、悪態をついている暇はない。 　少女が姿勢を立て直すと、アイアンメイデンは彼女の臀部に貼り付き潜水艦のスクリューのような形状に姿を変えた。

	アイアンメイデン
	「前傾姿勢に！　上体を起こすと背骨を折るでありますよ！」

メイカが返事をする前にアイアンメイデンは高速に回転を初め、激しい負荷が少女を襲う。 　彼女は水の抵抗に顔面を歪めながら、見通しの悪い狭い通路を高速で進む恐怖に悲鳴をあげた。 ◆ 　暗闇。 　一面が真っ暗な海中を少女は一人漂う。 　家族の無念を晴らす為。 　祖霊の名誉の為。 　藁にも縋る思いで”声”を頼りにやって来た。 　一族の誇りと安寧を取り戻す為の力を手に入れられると信じて。 　しかし故郷から共に来た仲間達は既にいない。 　その理由は——。 　周囲の暗闇に無数の目が開く。 　目。 　目。 　目。 　目。 　目。 　全方向からの視線が少女を貫く。 　仲間は一人残らず喰われてしまった。 　そして——。 ◆

	アイアンメイデン
	「——カ殿！　メイカ殿！　起きるのであります！」

	アイアンメイデン
	「起きないのであれば仕方あるまい、ここは神経を励起させ意識を呼び戻すのであります！　カウント３、２……」

	メイカ
	「ん……あ、れ……？」

アイアンメイデンの声にメイカは暗転した意識を取り戻す。激しい水圧の変化に耐えきれず意識を手放してしまったようだった。

	アイアンメイデン
	「あ、止まらない。先に謝っておくのであります」

	メイカ
	「な、なにが起こっウギぃェエ！」

神経に魔力干渉を受け、舌を出し仰け反るメイカ。一瞬とはいえ激しい苦痛が全身を駆け抜け、彼女は床に叩きつけられた蛙のように悲鳴をあげた。

	メイカ
	「う、あ……死ぬ……いっそ殺して……」

	アイアンメイデン
	「冗談を言ってる場合では無いのであります！」

	メイカ
	「冗談じゃないのはこっちよ……」

メイカがよろめきつつもその場に立ち上がり、周囲を見渡す。 　先程の広間よりは少し狭い空間だが、オブジェなのか構造なのか数本の柱が立っていた。また海流のせいか無数の漂流物が水中に浮かんでいる。 　そしてその中には海の生き物と動く銅像が立っていた。

	メイカ
	「えーと……？」

	アイアンメイデン
	「どうも先程のカミサマとかいう生物は周囲の生き物に影響され擬態する性質があるようであります！　本艦の前でその形状を変化させたのであります」

そういってアイアンメイデンは殺気立つ周りの生き物達を迎え撃つようににょきりと生やした触手で構えを取った。 　後ろは壁で逃げ場はない。ここから逃げる事は難しいだろう。

	メイカ
	「万事休す——！？」

	アイアンメイデン
	「むしろ好都合であります。周りを見るのであります」

アイアンメイデンの言葉にメイカは改めて状況を確認する。 　記憶が正しければ、しじみや銅像は探索者協会で一度見た顔のような気がする（しじみの顔はわからないが）。

	メイカ
	「そっか！　きっと探索者！　協力してもらえれば……」

	アイアンメイデン
	「違うのであります。さっきの丸いのは直線推進力が脅威なのであります。逆にいえば、障害物が多いこの空間であればメイカ殿の愚鈍さでも渡り合えるのであります」

	メイカ
	「ぐ、ぐど……！？」

	アイアンメイデン
	「……まあ、それもあって形態を変化させたのかもしれないのでありますが……」

アイアンメイデンの言葉にメイカは相対する敵の様子を伺う。しかし先程の化物が変化した物がどれなのかはわからなかった。

	メイカ
	「と、とりあえずアイアンメイデン！　襲ってくるヤツ以外は殴っちゃだめだよ！」

	アイアンメイデン
	「イエスマム！　作戦内容、敵対行動を取るものの殲滅！　必要あれば民間人と協力するのであります！」

	メイカ
	「……私は民間人扱いじゃないのね」

記憶に残る深海の恐怖に背筋を震わせつつ、一人と一隻は目の前の敵を見据えて戦闘態勢を取った。 ◆

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

（あなた）は、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。