農地から少し離れた林の傍、さらさらと爽やかな風が吹く度眼鏡にかかる前髪を毎度軽く払いながら、
青年はせっせと土弄りをしていた。

その青年の隣に静かに立つ、赤い髪の少女は、その作業をただじっと見つめていた。

「こんなもんで良いかな」

パンパンと手に付いた泥汚れを払って青年、西条鹿矢は立ち上がる。

青年が弄っていた地面は少し盛り上がっていて、その上にボロボロの刀が突き刺してあった、
薄汚れた刀は木の影から漏れる光を返す訳でもなく、ただ静かに佇んでいる。

「律儀な人だにゃ〜、放っておいてもだーれも文句言わないのに」

少し離れた所、日差しの良い原っぱでごろりと寛いでいる黒い猫がのんびりと言った

「そう言う訳にも行かないよ、いつまでもあんな厳つい骨が野ざらしになってたらみんな怖がるだろうし」

それに、と付け加えて、鹿矢は苦笑と微笑の混じった顔で目の前の簡素な"墓"を見つめた。

「ちゃんと埋葬してやんないと、あのオッサンいつまた暴れだすかわかったモンじゃないし」

「それは確かに嫌だにゃ」

黒猫が即座に肯定したのが少し可笑しくて、鹿矢はクスリと笑った。


あの日、礼拝堂で賞金稼ぎに返り討ちに遭ってから、あの狂った骸骨は動かなくなった。

受けた傷があまりに酷かったのか、それとも別の要因があるのかは分からなかったが、
突然の事で、且つ、二度目の農場への連行と言う憂き目に遭い、全ては有耶無耶の彼方へと追いやられてしまった。

動かなくなった骸骨等、そこらの墓穴に埋まった骸と何も代わりはしない、
しかも罪人の骸である、弔う者はなく、そればかりか、怨みを持つ者には蹴られ、踏みつけられる有様で、
狂骨はバラバラになったまま、土にまみれて野ざらしにされていた。

それを見かねた鹿矢は、農作業の合間を縫ってこうして墓を作ってやったのだった。

鹿矢は一つ満足気に伸びをして、そろそろ戻ろうかと、隣の少女に目をくれた。

「すぐ咲くわ。」

無表情に狂骨の墓を見つめたまま、ポツリと少女が呟いた。

先ほどまで一言も発さなかった少女が、不意に呟いた物だから、鹿矢は少し驚き、
それから少女の手元を見て目を丸くした。

「あ、薔薇」

少女の手にはいつの間にか大量の、毒々しい程に赤い花が咲いていて、
その花々は少女の手からぼとり、ぼとりと重たく落ちて、狂骨の墓を鮮やかに染めていった。

「ありがとう。あのオッサン、花を愛でるタイプじゃなさそーだけど、形だけでも供えてやらないとね」

目を細めて墓を見る。

墓の周りを彩る、焔のように赤い、ひたすら真っ赤な薔薇は、
あの男にはとてもお似合いだと、鹿矢は思った。

「行きましょう。」

いつの間にか、少女の無表情な顔はこちらに向けられていた、
鹿矢が無言で頷くと、少女は鹿矢の横を静かにすり抜けて歩いて行く。

去り際に束の間見えた少女の顔には珍しく、薄い笑みが浮かんでいたようで、
鹿矢は少し首をかしげたが、少女の通った後遅れて、少女の物かはたまた赤い薔薇の物か、
甘い香りがプンと漂い、青年の鼻腔を擽ると、はたと我に返って鹿矢は少女の後を追いかけた。





「あんまり良い予感はしないにゃ」

寝転がりながら、片方だけ、金の瞳をしぱしぱと瞬かせ、真っ赤になった墓を見つめた。

色の少ない猫の瞳にも、あの花は真っ赤に、あの骸骨が好きそうな、血のような赤に見えたのだった。





泥濘んだ地面が沼のように見えた、その地面の上を移動する毎に、どんどんと沼に沈んでいくような錯覚を覚える、
自分は宙に浮かんでいるというのに、地面には一切触れていないと言うのに、
どろどろとした、冷たい泥沼が体に纏わり付いてくるように思えた。

自分も、思いも、光すら一条も残さずに包み隠して地の底へ埋めてしまう、
そんな錯覚が、冷たく、絶望的な錯覚が、黒丸を苛んでいた。


礼拝堂で、人斬り"斬り"の待ち伏せを食らった。
酷い負け戦であった、流石人斬り連中を相手にしている集団である、
油断も隙も無く、ただ我武者羅に襲いかかる狂骨達を軽くいなして返り討ちにしてしまった。

とても敵う相手では無いと悟った黒丸は、咄嗟に制御の効かぬ狂骨との契約を断ち切り、
自分だけ人斬り"斬り"の手から逃げおおせたのだ。

仲間達はその場に置き去りにしてしまった、きっと今頃は農場に連行されているだろうが気にしている暇等無い。

鹿矢達はともかく、農民を何人も切り捨てた狂骨と、
そのエンブリオである自分はあのまま農場に連行されれば無事では済まないだろうと、黒丸は考えていた、
あのまま狂骨と共に農場の土に埋まること等真っ平だ、
自らの思いを、世界から託された思いを遂げずに死にたくはなかった。

黒丸は苛立った、何故皆が皆自分の邪魔をするのか。

自分の目的はこの世界の住民が願った思いを叶える事、つまりは王の打倒である、
過程はどうであれ自分は正しい方にいると言うのに、周りは邪魔ばかりする。

愚民共が。

何度もそう思った。

大人しく、思いを残して自分達に殺されていれば良い物を、
それこそが世界平和の近道になるはずなのに、誰も彼もが理解しない。

歯がゆい思いだった。



黒丸は身体を瞬かせ、苛立ちと錯覚のしがらみを振り払うと、次の手を、起死回生の手を考え始めた、
これからどうした物か、どう切り抜けた物か、持ち前の姑息な知恵を張り巡らせるも妙案は浮かばない。

目下の問題としては、契約者の不在である。

エンブリオは人と契約してこそ『ギフト』と呼ばれる真の力を発揮出来る、
黒丸がいかに思いを、力を蓄えようとも契約者を失ってしまえばそこらの力を持て余した野良エンブリオと大差無いのだ。

だからこそ早急に次の寄生先、もとい契約者を探す必要があるのだが、目星を付けていたカノヤは農場である、
流石に単騎で農場へ踏み込める程の力は持っていない。

黒丸は自らの記憶を探る、利用できそうな人物を探す。

———怪奇天幕、ギーと言ったか。あの軽薄な男は、駄目か。
一度敵対したし、何より、あの男には既に"先客"がいる。

———アナタ。あの不気味な男、あれは狂骨の事を慕っていた、言葉遊びでこちらの駒に出来ないか。
駄目だ、あの男の狂いぶりは手に余る。それにあの男にも怪しい影の臭いがする。

———アンナ。あの粗暴な女は？
論外か、あの女は狂骨を目の敵にしていた、そのエンブリオであった私もまた彼女の殺意を向けられるだろう。

———エス。いつか斬った少女の名。これも駄目だ。
利用するには敵意を煽り過ぎている。

———シエラ。アラビアンナイツの元首領にして現裏ギルドの纏め役。これは行けるか？
敵対こそしていないが、若輩ながらもその手腕とカリスマ性は卓越している、こちらの企みを看破される恐れはある、
しかし、若さから来るものか、詰めの甘さや、精神的な脆さが時折見える。そこを突けば利用出来るかも知れない

———ペドロ。狂骨と唯一親しかった男だ、利用出来るかは別として、近づくのは容易い。
あの男は美に狂った男だ、強い思いや執念を持っている人間は転がしやすい、かつての狂骨のように。


「シエラと、ペドロ。」

黒丸は思い浮かんだその名を言葉にした。

利用出来るとすればこの二人だろう、二人だけだが幸いにして二人共賞金首である、
蛇の道は蛇、と言う訳ではないが、賞金首の居場所なら裏ギルドの情報ネットワークを活用すれば大凡の位置は掴める。

あとは二人のどちらかと接触する間"人斬り斬り"の目を避けて行けば———



パァン

どこかで破裂音がした。

慌てて辺りを見渡すと、茂みの奥からひとりのとしおいた男が煙吹く猟銃をかついであらわれた、
その後から物騒な物を抱えた男達が数人付いてくる。

ルリアンナの使い、農民達だろう。追って来たのか。

黒丸は焦ったが、それでも努めて冷静に、言葉を返した

「これ は、こ　　は」

自分の発した言葉におどろく、
言葉がうまく出せない。

「何故　言 葉　ど う　　て　出な　あ？」

言葉を出そうとしても出ない、
壊れたピアノの鍵盤を押したような、スカスカとした感覚を覚える。

「お前があの骸骨を操っていたのだろう？」

老人は猟銃をこちらに向けたままつぶやいた。

ここでようやく黒丸は、自分の丸い体に風穴が空いた事を理解した、
理解したと同時に襲い来る痛み、激痛。

あのアナタと言う男に負わされて以来の痛みと言う現象が黒丸を襲う。

「う゛う゛ぐゥア゛　ッ　」

空けられた風穴の周囲から徐々に広がる痛み、ジクジクとした痛み、そして何かが抜け落ちてくる感覚。

黒丸は激しく明滅し、宙を彷徨った。

痛みと共にぼろぼろと自分の中から何かが抜け落ちていく感覚が襲ってくる、
"悲しみ"が"怨みが"、この50日間集めに集めた"思い"が落ちていく。

キイキイキイキイキイキイキイ

「　ざけるなァ゛！　の　民、風情が！何故　に銃を向　る！？」

指　ゆ、　ユ指　指　私　ユビ
精一杯の声を張り上げ、明滅し、老人を見据える。

「仇なんだよ、お前達は。」

一つも表情を変えないまま、老人は答えた。

「もう二月前になるか、お前達は一軒の民家に押し入り、殺したな？男と、女と、子供を一人」

覚えがあった、よく覚えていた。
ころしてぇ　ぇぇーー！　　ー　ーー ーー！!もうころし　てーーー　ーー！!!！
狂骨と契約してから、最初の"人斬り"。

あの時狂骨は男女を、夫婦を殺害し、その子供を手酷く虐め殺したのだった。

「俺の娘家族だったんだ、アレは」

老人の目が黒く染まる、老人の身体から何かがドッと沸き立つのが分かる。

この"何か"はよく知っていた、怨みだ。狂骨がよく発していた、"怨みの思い"だ
腸が　割　た男の腹から　からどろ　どろと吐き出　さ　れる　どろ　どろどろ　どろ

「答えろエンブリオ、何故殺した。何故俺の娘は、孫は死なねばならなかった」

抱　きし　　め　なくちゃ　あ、あ、あああ、彼女を抱き　し

「君達　望　だからだ」

「望んだだと？ふざけるな、俺が孫の死を望んだだと？」

「違　！私は思　のエンブ　オ、君達が王を　除　たいと"思い"願っ　から世界に生　出され　存　」

ああ　熱　い　　痛　い　苦し イ　　悔し　い　

「しかし　私　は力が足　なかった、王　打倒　る力を。　から殺　たのさ、
　私は"思い"のエン　リオ、思　を吸　　強　なる、そ　思いが怨　　も、悲　みでも」

おかあさーーーーーーーーーーーん、おか、ああおかあさああーーーーーーーーーん

銃を構える老人の　許せねぇ　許せねぇ　許せねぇ　許せねぇ　怨　怨む　怨む　怨む　手が震える
よくも！よくも！よくもよくもよくも！この俺を！！あ゛あ゛あ゛あ゛！！

「君の家族　は申し訳無　事を　た、しかし、そ　もこの世界　為！君達　思いの為！
　わ　しは　　達の代行者で　り！こ　世界の救世主とな　のだ！どうか理解———」



———道 連 だ 俺 も お 前 も









ガァン　ガァン

二度の銃声が響く。

「何が代行者だ、何が救世主だ。」

黒い光はその丸い姿を保てなくなり、ぐにゃぐにゃと点滅しながら揺らぎ始める。

ぐにゃりと歪む光の奥から漏れる、怨嗟の声、悲鳴、嗚咽、その中に懐かしい声を、
懐かしい声の悲鳴を見つけて、老人は暗い光を宿した眼で歪む光を見つめる。

「滅んじまったほうがマシだよ、お前みたいな、思い違いのバカヤロウに救われる世界なんざ。」

















なぜだ、ああ。なぜだ。

わたしの思いは、皆の、世界の思いではなかったのか

わたしの思いが拒絶されるなら、否定されるなら



わたしの思いは




わたしが生まれたいみは











イッタイ、ナンダッタノ？












黒い光が中空に溶けてなくなった頃、赤い、真っ赤な、契約の花が、
ひらりひらりと静かに、地面に落ちた。