▼t-11

　今にして思えば簡単なことなのだけれど、自分とおねえちゃんとおばさん以外の人を知らなかった——母でさえ、物心付く前に死んだということしか、知らなかったのだ——頃のわたしが、誰かに向けて感情を注ぐ、ということをはっきり自覚できなかったのは、仕方ないことだと言い訳させて欲しい。それでも、きっとわたしは気づくべきだったのだと、反省はしている。おねえちゃんに初めて怒りを感じたあの日、おねえちゃんが死んで、わたしが世界を呪って、街が一つ消えたあの日。

　なぜ『一度目の声では、おねえちゃんだけしか死ななかった』のかという、そんな当然の疑問に。





　『それ』だったはずの少年の身体から一切の力が抜け、持ち上げていたわたしごと、地面にべしゃりと崩れ落ちた。肺から息を吐き出しきっていたわたしに受け止められるはずもなく、わたしはその脱力の理由を悟る間もなく、地面と彼に挟まれて気を失ってしまった。



　目を開いた先にあるのは、絵がびっしりと敷き詰められた天井だった。浮世離れした光景に、ひょっとして自分は死んだのだろうか、と考えかけたところで、つきん、と腕に痛みが走った。見れば、『鬼』に掴まれていた手首には包帯が巻かれている。ここに至って漸くわたしは、自分の命はどうにかして助かったらしい、と思い至った。

　そう思って見回してみれば、自分のいる場所は、神社の建物内であるらしい、とすぐわかった。縁側越しに見える外の景色には薄ぼやけた山が並んでいて、正確な地理は把握できなかったけれどどうやら比較的高い場所にあるようだ。風は穏やかで、聞こえる音は木々のそよぎと鳥の声、そしてぱたぱたと廊下を進んでくる足音くらいのものだ。

　足音は、警戒するわたしとは裏腹に軽い。慌てて上体を起こしたところで、廊下の端からひょこっと、女の人の顔がこちらを覗いた。高い位置についている顔なのに『ひょこっと』と言いたくなる、コミカルとも思える出方だ。緊張感など、どこにも欠片もありはしない、気安い動作だ。

　「——あ、気が付いたんだね。待ってて、今よっさん呼んでくるから」

　覗いた顔はこちらを認め、それだけを言うと再び廊下の奥へと引っ込んだ。対するわたしはといえば、何一つなかった説明に戸惑うばかりである。それでも、戻ってきた彼女に続いて大柄のトレンチコートがのしのしと歩いてきたところで、わたしは大体の結論を得ることができた。彼は、わたしと"相棒"を引きあわせた寄り合いの構成員だ。ならばこの場所も、寄り合いの息のかかった、とりあえずは安全な場所なのだろう。

　「ありがとう。あなたが、助けてくれたんだよ、ね？」

　安心した心とは裏腹に、筋違いと分かっていながら、声に非難の響きが雑じってしまった。あの後割って入れる程近くにいたならば、どうしてあなたはそれまで黙したままで、と。

　「二つ、訂正しないといけないね」

　質問には答えず、しかし優しい声色が返ってきた。こちらを心配していることが、感じられる声。けれど彼の蛇のような鋭い目がわたしはどうしても苦手で、つい、視線を下げてコートと会話するような姿勢になってしまう。

　「続け、て」

　「まずは一つ。君があの場を切り抜けたのは、君自身の力によるものだ。バンシーとしての君自身のね」

　全く予想していなかった、といえば嘘になる。それでも意外だった一言を受けて、胸の奥がずきりと痛んだ。わたしの力は、鬼を即座に殺せるほどのものではなかったはずだ。それでもわたしが助かったというなら、それは。

　「あ、ごめんごめん、誤解を招くね。少なくとも今回、君は誰も殺してはいないよ」

　「——え」

　今度こそ。全く予想していなかった一言に、わたしは頭を真っ白にしてしまった。多分、口もだらしなくぽかんと開いていたのだろう。それでも、目の前の爬虫類のような目をした大男は、容赦なくわたしの頭に、止めをさした。

　「もう一つ。——君は、助かってなんていない。これから君には、この世界を離れてもらうことになる」

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露さんの目線に合わせながら