固めた砂の舞台。ざらつく表面を擦る足音。

　交錯する木製の得物。それらが打ち鳴らす乾いた打音。

　そして一撃に乗せて響き渡る、蜥蜴人らの裂帛の気合。

　そこにあるのは変わらぬ光景。氏族の始まりから、あるいはそれよりも古くから紡がれてきたかもしれない日常。
　
　昔も今もこれから先も。氏族の戦士たちは互いに競い合い、切磋琢磨し、己の武を高めていくのだろう。


　俺の氏族は、古くから力と強さを指標とする価値観が根強い。
　強き者ほどより強大な獲物を狩る事ができ、より長く生き残ることが出来る。そんな具合だ。
　極めて単純明快であるが、灼熱の熱砂に囲まれて生きる以上、軟弱な体ではまともに生きていくことなど出来ない。
　それに集落の者は砂漠の地理に明るく、武に秀でている事からも、行商隊の護衛の依頼を受けることも多い。
　俺自身は予備役の身とはいえ、少しは体を鍛えておかなければ、とは思う。

　そう思いはするのだが、誰しも得手不得手や目標の度合いが違う。
　よって。これは仕方のない事だ。

　武道場の片隅に座り込み。先ほどの練習試合で負けたことを納得させるように、良い一撃をもらった額をさすっていると、だ。

　右手側から足音が近づいてきた。顔を上げると、ぬっと大きな影が落ちる。


「さきほどの試合。あれはなんだ？」


　単刀直入。挨拶も抜きに問うのはメスの声だ。

　氏族ではオスよりもメスの方が体格に勝り、そして力も強大だった。
　平均的に見てもメスはオスよりも頭二つ分は高いが、この相手はそれよりもさらに大きい。

　ニンゲンの使う単位で表記するならば、その背丈は240ｃｍ。
　小山のようなこのメスの事を俺はよく知っていた。

　ザミュナ・ディー。何しろこいつは、自分の妹だからな。


「なんだも何も無い。全力を出し切って負けた。それだけだ」


　影を落とされてばかりでは癪なので、こちらも立ち上がる。自分は他よりも背が少し低いので、彼我の差はやはり大きいままだが。


「そう言えば聞こえもいいが、ただの鍛錬不足だろう。今後はサボらぬことだな」


　いつも通りの上から目線。この氏族は図体ばかりではなく、権威についてもメスの方が勝っているのだ。


「今日は妙に突っかかるな。そんなひどい内容だったか？」


「それもある。あまりに自堕落が続くならば、氏族長への進言も考えようと思っている」


「ザミュナっ！　お前俺をレプトに落とすつもりか！？」


　レプト。集落の中で最も低い労働者の階級である。
　そうなれば、今の仕事を全部投げ出さねばならない。


「冗談だ。不肖の兄とは言え、さすがにそこまでしたら哀れであろう？」


「……笑えねえよ」


「そうか。まあいい、さっきの試合の件はあくまでついでだからな」


「ついでで説教するな」


「では本題だ」


「無視するなって」


　うんざりしている俺の言葉などまるで意に介さぬ様子のまま、ザミュナは簡潔に用件を述べた。


「ウヴルカの日取りが決まった。それを伝えに来た」


　ウヴルカ。その単語を聞き、自然と背筋に緊張するものを感じた。
　そうか、もうそんな時期だったか。


「早いものだな」


　視線が武道場の東側を向く。砂の床と簡素な壁の遠く先には、この集落唯一の小さな農場地帯がある。
　まだこちらには成果らしい成果が出ていない。それでもこればかりは無視できない。


「儀が行われるのはいつだ？」


　気を引き締めて、問い返す。心なしか、妹もまた緊張した様子に見えた。


「一週間の後だ。時間は例年通り天中の時刻。ネクターの花は15本用意をお願いしたい」


「15本か……」


　多いな。去年は確か8本だったはずだ。


「兄さんの処の状況はこちらでも聞いている。しかしだからといって……」


「分かっている。皆まで言うな。若い奴らをお預けで遊ばせておく訳にもいかないだろう」

　

　ウヴルカ。それは試の儀とも呼ばれる、氏族の間に伝わる儀式。
　
　氏族の者は職種、雌雄を問わず、戦士であり、戦士たれと日々を生きる。
　しかしながら、生まれながらに戦士である訳ではない。
　ウヴルカとはすなわち、戦士と認められるための通過儀礼なのだ。

　この儀式で若者は氏族の戦士の一人と戦う事となる。
　その戦いに勝利を収めることによって、初めて戦士の一員として氏族に迎え入れられ、エンブリオと契約する権利と、そのためのネクターを手に入れる事ができる。

　この儀式が執り行われるのは、毎年一度だけ。もし敗北したならば、次の年までまた持ち越しとなってしまう。
　加えて言うならば、昨今の砂漠化の進行の影響で、採取できるネクターの量が減っているため、一度にこの儀を受けられる頭数まで制限しているという始末だ。

　そして。日々の狩猟なり、護衛などでの出稼ぎなりで少しでも働き手が欲しいのが集落の現状。
　多少の量が増したとしても、無下には出来ないことでもあった。




「無理を言ってすまない。
その代わりと言ってはなんだが、残りの日数で全員合格できる様にみっちり鍛え込む。
収穫したネクターを絶対に無駄にはしない」


　深刻な表情と声で、ザミュナが頭を下げる。
　大袈裟な、とは思うが妹は言ったことは確実に実行する。若くして氏族長の第三位戦士衆のディーにまで登り詰めた彼女の稽古は厳しいことでも有名だ。儀を受ける若い鱗たちに少なからず同情を覚えた。


「そんな重く考えるなよ。俺たちの研究だってまだまだこれからだ。
それに噂では新たな王が即位されるそうだ。以前の王が後任に選ばれたお方ならば、徳の高い人格者に違いない。
運が良ければ、こんな辺境でも気を回して頂けるかもしれないだろう？」


「だといいのだが」


「悪く考えるよりは、良い方向を期待しつつも努力を続ける方がよほど建設的だろう」


「……その意気を是非とも稽古に発揮してもらいところだが」


「蒸し返すなって。まあともかくだ。日取りの件、他の奴らにも伝えてくる」


　だから今日はもう上がる。
　それだけ言うと武道場の出口へと足を向けた。
　背中の方で、妹の「まだやっていけ」という声が聞こえた。しかし足早に自分の仕事場へと向かう。

　砂漠を焦がす日差しの下。集落の端っこにひっそりと位置する農場のそのまた隅に、ネクターの花のための区画がある。

　妹にも言ったとおり、ネクター栽培の進捗はまだまだだ。
　綻ぶ花の数は少なく、勿論花畑と呼ぶには程遠い。
　状況の芳しくない現在のままでは、氏族の未来は明るいとは言い難い。

　難儀な職を選んでしまったものだ。土いじりや植物が好きという理由で自ら望んだとは言え、その重責は日々増すようにも感じている。
　時折それが辛くもある。それでも決して投げ出したりはすまい。

　砂漠に一面の花畑をこさえるなどという夢物語同然の事業に、期待している者は多くない。
　だが、俺の代では実現できなくとも、この研究を引き継いでくれる次の世代がいるならば。そしてさらに次代へと引き継げたならば、結末は分からない。そんな期待を俺は持っている。

　それに何より——


「やあ。今日は稽古って聞いていたけど、早く上がれたみたいだね」

　仕事場に着くと一番に、聞き慣れた声が出迎えてくれた。
　聞き慣れたと言っても、妹とはまた種類が違う、こちらの方が付き合いはずっと浅い。
　出会ってからまだ二年は経っていないだろうか。

　ウヴルカの試練を乗り越え、初めて手にしてネクターの花で、初めて契約したエンブリオ。

　そして現在の、研究の相棒。

「いろいろあってな。それと伝えることが————————」
















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　夢から覚めたあとにあったのは、自室の天井と、清々しいほどの虚しさだった。

　窓から差す朝日が目に染みる。どうやら床にそのまま眠っていたらしい。作業の途中で眠ったのか、それとも鍛錬の後に疲労で倒れたのか。そのどちらかは覚えていない。
　否。記憶がまとまらないだけか。

　疲が溜まっているのか、それとも故郷の砂漠が恋しいのか。
　なんでもいい。納得できる理由が欲しい。この虚しさを埋めたい。
　

　思わず、アイツの名前を呼びそうになる。呼びたくなる。

　呼びたくなるが、喉元とで抑え込む。

　それは甘えだ。声にしたら最後、残響が虚しさの穴を柔らかに広げるだけだ。
　

　浸るだけの過去ならいらない。ただ前を向け。

　微かに残る甘さを咬み殺すように、ゼゼ・レプトは立ち上がる。

　背中に担いだ瓶の中のプレソへと、バリオは非常に不機嫌そうに言うのだった。

癖のようにまたごめんなさい、と言ってから

しまった、という表情を顔面に浮かべて

軽く頭を下げて、自己紹介

興味深げに試案顔

聞こえたのか聞こえてないのか、少しだけ力強く言いました

　屁理屈の多い哺乳類その２。

しみじみとそう呟く青年はため息をこぼす。

そんな事をぼやく青年だったが、この後。
二組の人狩りに連続して襲われる羽目になるとは予想もしていないのだった。

いずれ何かお返しできることがありゃあいいんだがなあ、などとぼやきつつ。
青年は小さく微苦笑をこぼす。

などとのたまえば、肩を竦めてみせた。

ゼゼが薬を作る傍らでそんな事をぼやきつつ、作業を眺める。
色々なものを作る自分だがどうも物品が多いので、薬作りという物自体が珍しく映るのだ。
勿論、作り方の知識などは頭のなかにあるのだが。

と、暫く待てば完成したらしい薬を差し出される。
見た目は勿論、一度匂いを嗅げばやたら苦そうな気配がヒシヒシと感じられた。
ゴクリとつばを飲む。

湯気が出ているソレをふうふうと冷ました後。
覚悟を決めてぐびりと一気に飲み干した青年。

沈黙すること、暫し。

良薬口に苦し、ともいうし仕方のない事なのだろうが。
何とも情けない顔でポソリと呟いたのだった。

真剣な顔をして考えているゼゼを見て、少し笑う。