レーネフィア・ディ・ステラは己の城から出た事が無かった。
言ってしまえば、この旅がはじめての外出であった。

城館では、常に祖父が彼女の面倒を見ていた。
言い替えると、彼女の行動は祖父の管理下にあった。
蝶よ花よと育てられる内で、籠の中の鳥のように観察されていたのである。

レーネフィアはそれを疑問に思う事はなかったし（正確には思う事ができなかった）、何より彼女はそれ以外は何不自由なく育てられた。
祖父は彼女を本当の孫娘のように扱ったし、彼女に最高の教育を施した。
概ね幸せな人生だったように思う。

祖父が語った幾つもの物語は、彼女を浪漫へと駆り立てた。
それは若かりし日の彼の経験であったり、彼より更に古い先祖の伝説や、或いは空想の物語であったりした。
しかしてそのどれもが、彼女を否応なく“貴族”への憧れへ駆り立てるのであった。
そんな彼女を見て、祖父はいつも複雑な顔をしていたのである。

祖父は明らかにレーネフィアを愛していたが、同時に彼女を明らかに恐れていた。
それは〜〜だから、という類のモノではない。
実力や地位の上下に関係しない、絶対的な主導権、位階の違い。
種族として本来的な、畏怖に近い感情であった。

しかし祖父が何より恐れていたのは、レーネフィアがそれに気付いてしまう事だったように思う。
自分と祖父の間に存在する絶対的な格差を自覚してしまう事を。
何故怖がったかはわからない。
普段から自らを慕っているレーネフィアに軽蔑される事を恐れたのか、
或いはそれを自覚してしまう事で、彼女に降りかかる絶望を恐れたのか。

どちらにしろ、今となってはわからない事だ。彼は既に鬼籍に入っている。
彼の年齢と、吸血鬼の平均寿命を考えれば大往生ではあったろう。その大往生を生かせず、血統は途絶えた訳だが。

その後の顛末はさっくりとしたものであった。
レーネフィアは祖父の代には殆ど動いていなかった城館の機能をフル稼働し、分割世界へとその手を伸ばしだした。
やがてメルンテーゼの噂を掴み、これこそ貴族としての第一歩だと大張り切りし、
そして——

——そこでレーネフィアは自覚した。

この記憶は自分の物ではない。
レーネフィアを俯瞰しているこの記憶は、レーネフィアの物ではありえない。

ならば、この記憶は、自らの全てを知っているかのような記憶は——誰の物だ？

「……ああ、ようやく気付いたんだね、レーネフィア・ディ・ステラ」
「そして——我が娘よ」

今日はレーネフィアはいない。代わりに、人形がついてきている。

少女らしき人物の声に振り返ったのは男性2人。

片方は色白で小柄の気弱そうな少年。
驚いているのか緊張しているのか、少々反応がぎこちない。

もう片方は黒の礼服を纏い、微笑を浮かべた青年。
特に動じる様子は見られないが、その振舞いにはどこか不自然めいたものを感じる人もいるのかもしれない。

シオンと名乗った少年と、トガノと名乗った青年。
2人はそれぞれのペースでペコリと一礼をした。

　怒られてしまった。ばつが悪そうに頭を掻く。