○月　××日

　鯨さんを倒して、鯨肉パーティーです！

　くじらさんの肉なんて食べた事なかったので、なんだか新鮮でした。
　……ちょっと食べにくかったかなぁ。

　ブラウニーさんもあっさりと皆に溶け込んでしまって、いまはあの不思議な挨拶の普及に努めているようです。
　私も、なんだかあの挨拶は元気がでていいなーって思ったり、思わなかったり、やっぱり思ったりました。

　そうそう、闘技大会ですが。
　無事に一勝する事が出来ました。
　この調子で勝ち進んでいけたらいいな、と思います。



　私が彼と出会ったのは、まだたったの三年前の事だ。

　混沌の影。その異常発生を調べる旅の途中、立ち寄った要塞都市『イージスゲート』で、私は彼を紹介された。

　名前は、シロン＝Ｌ＝フォート。
　淡い空色の髪に、鮮やかなシアンの瞳をした人間の男の子だった。

　はっきり言って、初対面の印象は最悪だったと思う。
　彼のお姉さんに紹介された後、

「なんだよお前、ガキじゃん。ちっこいし。足手まといになるなよな」

　彼は私にそんな事を言ったのだ。
　そんなことを言われたら、いくら私だって言い返したくもなります。

「貴方だって子供じゃない。魔力も大したことないし、本当に戦えるの？」

　私たちはにらみ合って、お互いにそっぽを向きました。

　そんな出会い方をした私たちでしたが、一度町を出て調査の旅を再開すると、彼を見直すことになりました。
　彼は魔力こそ少なかったけれど、それを補うだけの力を身につけていたんです。
　襲ってきた魔物や混沌の影との戦闘で、彼に助けられた事は少なくありませんでした。

　彼の方も、私を認めてくれたのか、出会った時のように意地悪を言われる事もなくなりました。
　ただ、よくからかわれたり、喧嘩する事はありましたけど。

　そんな旅が続いて、私はいつからか彼を好きになっていました。

　最初は自覚なんてありませんでした。
　ただ、彼の近くにいるととても安心できたんです。
　それに、彼といるときの私は、エルフの王女でなく、ただの『ティアラ』として居ることが出来たんです。
　『彼女』と居たときのようにただ無邪気に、他愛もないやり取りを繰り返して。
　それがとても心地よかった。それだけでした。

　それが恋なのかもしれないと思い始めたのは、それからしばらく経ってからでした。
　きっかけは、荒野で大きな蟻の魔物に襲われて、二人で地下の巨大な巣穴に落ちてしまった時だと思います。
　地中の、明かりもない穴の中で、魔力が尽きて熱を出してしまった私を、彼は庇って助けてくれました。
　その時触れた、彼の優しさと心強さは確かに私を惹きつけたのだと思います。

　その後助けられて、ほっとしたと同時にどこか残念にも思った時に、私は自分の気持ちを自覚しました。
　それからと言うもの、彼の近くにいるとどきどきして、けれど離れたくもなくて、随分と思い悩んだ覚えがあります。

　そんな私が、彼もまた同じ気持ちだったのだと気づかされるのに、そう時間は掛かりませんでした。



「この戦いが終わったら、もう一緒には居られないんだな」

　城の庭園に浮かぶ焚き火の明かりを見下ろしながら、彼は確認するように呟きました。

「……そう、だね」

　それに私は、ぎこちなく答える事しかできませんでした。
　私はエルフの王女で、彼は人間たちの王になる事が決まっていましたから。
　そうなれば、自由に会うことも出来ません。次に会えるのはきっと政治の場になるはずです。

「やっぱり、一緒に来てはくれないんだな」

　それは、以前から何度か話していた事でした。
　私が彼に嫁げば、私たちは一緒に居られるのです。
　それは政治的にも大きな意味があり、エルフと人間の友好の証としては、この上ないものでしょう。
　けれど。

「……ごめん」

　彼のことは好きでしたし、出来ることならずっと一緒にいたいとも思っていました。
　それでも、私は頷く事が出来ませんでした。

「いや、いいんだ。わかってるから」

　彼はなんて事なさそうに笑って言います。

「俺にも、ティアにも、やらなくちゃいけない事がある。どうしても叶えたい夢があるんだもんな」

「……うん」

「なら、仕方ないだろ。俺たちはそれぞれやるべき事をやる。それでいいんだ」

　彼はそれをどこか誇らしげに言いました。
　私はただ、寂しさと申し訳なさに俯いているだけでしたが。

「……本当に、ごめん。わがままばかりで、ごめんね。それに私……」

　それに私は、そう遠くない内に彼の事を忘れてしまうのだ。
　これまで一緒にいた事も、何度も喧嘩して、仲直りした事も。笑いあったことも、あの日初めて触れ合った事も……。
　謝るうちに、涙が溢れて来てしまいそうでした。
　こんな時に。最後になる決戦を前にしているのに、泣いてしまいそうなほど、悲しくて。

「……謝るくらいなら、さ。一つ約束してくれよ」

「やく、そく……？」

　震えそうになる声で聞き返すと彼は頷きます。

「必ず、夢を叶えるってさ」

「……っ」

「ティアはあの国で、俺はこの国で。俺たちの夢を叶えよう。俺たちは離れていても同じ夢を持って、叶えられるんだ。そうだろ？」

「うん、うん……っ」

　私は彼の言葉が嬉しくて、必死に何度も頷き返しました。

「うんっ、約束。例え何を忘れても、この約束は絶対忘れないよっ」

「ああ、約束だ。例えティアが俺を忘れても、俺は忘れない。俺たちの夢は必ず叶える。叶えてみせる」

　そうして私たちは、誓うように指切りをして約束を交わしたのでした。



「約束……」

　読み返していた日記を閉じて、呆然と呟いた。
　『彼女』の事はよく覚えていた。けれど、彼の事はたった三年前の事なのに忘れかけていた。
　……いや、今読み返すまでほとんど忘れていた。

　三年の間にリセットが三回。
　その三回の内に、読み返す事も忘れてしまっていたのだ。
　もちろん夢は覚えている。
　その夢は『彼女』と居た頃から何も変わっていないのだ。
　けれど、彼との事は、約束は……改めて思い返そうとしてみてもどこか空虚ですらある。

「約束……」

　もう一度呟いた。
　きっと自分は、彼の事をとても愛していたのだろう。そう思った。
　当時の日記は、どのページをめくっても彼の事ばかり書いているのだ。
　ある時の日記なんて、読むのすら恥ずかしくなるほどだった。
　だというのに今は何の感情も浮かんでこない。

「…………っ」

　突然。
　胸が痛み、息が詰まった。

　冷や汗が吹き出し、起きていられず机に倒れ込む。
　呼吸がままならず、体に力が入らない。
　久しぶりの発作だった。

　リセットが近づいた時や魔力を使いすぎて封印が不安定になったとき。
　私はこうして、急激に体調を崩してしまう。
　今回はこれまでの疲労が重なっての事だろうと思う。
　それに加え日記を見て、少なくないショックを受けたのも影響しているのかもしれなかった。

　……けど、それだけにしては。

　苦しさに耐え、何とか呼吸が落ち着いてくると、ようやく胸の痛みも消えた。
　そしてゆっくりと起きあがろうとして。
　強い目眩に襲われた。

　一瞬の内に意識は遠のいて、目の前がぐにゃりとゆがんで真っ暗に変わる。
　気が付いた時には、私は椅子から転げ落ちて、床に倒れていました。

　体が重くて、力が入らない。
　頭が痛くてまるで思考が働かない。
　椅子から落ちたのに痛みも感じず、ただひたすら体が熱い。

　こんな状態ははじめてだった。
　いよいよ、限界が近づいているのかもしれない

　視界がブレる。
　目の前にあるはずの世界がブレて、遠のいては元に戻る。
　自分が世界からズレ始めているのには、直ぐに気づく事が出来た。

『だから言ったじゃない。もう、時間がないんだって』

　何処かから『私』の声が聞こえた。
　そんな事言われるまでも無く知っていた。
　いつかその予兆が来るだろう事も。
　ただ、それがこれほど唐突に訪れるなんて思っていなかっただけだ。

　薄れて行き、消えかかった意識の中。
　部屋に血相を変えて飛び込んでくる、揚羽ちゃんの姿が見えた。

口内の熱が落ち着いたところで再び喋り出す。

今更のように赤面している。
身体もガチガチに強張っているのが見て取れることだろう。

トガノは唐突に口を噤み、シオンに目線を流す。
…シオンは沈みきった表情を浮かべている。

トガノはそれだけ言い残すと、3人を置いていく形で歩き出した。
…そして、揚羽とすれ違う瞬間。

小声で囁くように呟き、小さな紙を揚羽の手に忍ばせた。
…どうやら、自分の活動地を記載したメモのようだ。

もしかしたら、ティアラにも聞こえたかもしれない。
だがそんなことを気にする素振りも見せず、トガノは去って行ってしまった。

ずいっと近づいてお皿を受け取った彼女は、ぐるぐると磯辺焼きを観察している。

どうやら初めて餅を見るようで不思議そうな顔でつんつんと海苔の部分をつつく

少しの間迷っていたようだが、どうやら決心したようで。