「おい」

　微睡んでいた意識がその声で覚醒する。
　マスターが、呼んでいる。

『はっ、はい。なんでしょうマスター……』

　マスターは顎をしゃくって少し離れた所に置かれている本を指した。
　急いでそれを手に取り、マスターの元へ持っていく。

『ど、どうぞ……』

　ふにゃりと顔を歪めてへたくそな笑みを作ってみせる。
　マスターは怪訝そうな顔を浮かべたけれど、乱暴に本を奪い取り、何も言わずに作業を再開した。



　マスターはいつも機嫌が悪い。
　でも今日はましなほうだ。
　だってまだ数回しか暴力を加えられていない。

　それを考えるとこの前は酷かった。
　首には二度と消えることはないであろう傷ができてしまった。
　今は襟をムリヤリ伸ばして隠しているけれど、やっぱり限界がある。
　何かちゃんと隠せるようなものが欲しいけど……マスターに頼めるはずがない。

　マスターは俺のことを道具だとしか思っていない。
　だから何かを与えてくれなんかしないし、

　名前も、呼んでくれない。


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『…………』

　眠っていたのだろうか、青かった空は紅に染まり、窓からは赤い光が差し込んでいる。
　身体を起こすと軽い音をたてて毛布が床に落ちた。

『……？』

　誰かが掛けてくれたのだろうか。眠る前にこんなものはなかった……と思う。

　首に巻かれたマフラーに触れてみる。
　考えなくてもわかった。毛布を掛けてくれたのはこのマフラーをくれた人だと。


　立ち上がり、毛布を綺麗に畳んで机の上に置く。


（——そうだ。名前、呼んでもらおう）

　きっと新しいマスターは少し不思議そうな顔をしながらも呼んでくれる。
　そんな変な確信を持って扉に手を掛けた。




　ただ名前を呼んでもらう。
　他の人からしたら『なんだそんなことか』と思われるかもしれない。
　だけど俺にとってはすごく大切なことなのだ。


　だって


　俺はこんなことでしか自分というものを確認できないのだから。

と、珍しくレーネが横から口を挟んでくる

しゅんとしたりもぞもぞしたり百面相を作り始めるリシュ

リシュはぷりぷりしながらレーネから離れ、パーティの仲間に話しかけに行く

※女装版アイコンがないので心の目で変換して見てやってください。（何）



なるべく誰の目にも止まりたくない。
そんな切実な気持ちからこそこそと行動していた青年であったが……

唐突に掛けられた声にビクリと肩を震わせた。
恐る恐る振り返った先には自分と同じぐらいの年ごろだろう若い男と、声を掛けてきた張本人であろう少し年経た雰囲気の男の姿が在る。にこにこと機嫌良さげな男……ウルフへと青年は複雑な表情を向け、どう返すべきか迷っている様子である。

どうやったら自分が女に見えるんだと（女装している事実も忘れて）苦々しく考えこむこと数秒。
とりあえずは何とか誤魔化して退散したほうがよさそうだと判断する青年。
にこりと、どこか苦しい所もあるながら気合と根性で微笑んで見せつつ男へ返した。

という感じにもごもごと断ろうとする青年である。
女装の理由を説明するのも面倒なのでこういう手段に出たわけだが。

……女性にしては高身長だし声も幾分ハスキー気味、という現状。
上手く誤魔化せるのかどうか。

そこまで言って、エルは口ごもる。
帰って、どうしたいのか。それが思いつかなかったから。

そうして、そんな曖昧な終わり方で言葉を濁した。

キマイラを見て、珍しく露骨に嫌そうな顔をしている。