夜だった。
昼間の明るい太陽は沈み、静寂と星の輝きだけが支配する世界。
夜の闇は濃く、慣れない者はその足を掬われそうになる。
ジーヴが目を覚ましたのは、そんな時だった。
特に何かを感じた訳ではなく、ただなんとなく、たまたま寝つきが悪かった。それだけのこと。
夜風を浴びながら、ジーヴは周りを確認した。
パン、リチュエル、そして、一人足りないことに気づく。
めーこの姿が無かった。彼女も起きている？
そんな繊細なタイプではないと思っていたが、寝付けなかったのだろうか。
立ち上がり、めーこの姿を探す。
見つからない。
どこへいったのだろうか、そう思っていると風にまぎれて声が聞こえてきた。
それは微かな歌声だった。
明るいが、どこか不安になるメロディ。めーこが歌っているのだろうか。
声の主を求め、ジーヴは歩きだす。
小高い丘。月光を浴びる草の群れの中に、その者はいた。
歌声の主はジーヴへと振り向く。
闇に溶けた黒髪をなびかせ、僅かな光を集めて蒼い瞳が光っている。
彼女は、めーこではなかった。顔つきがどこか似ているが、違う。
それに、目の前の彼女は、少女ではなく立派な大人だった。
予想を裏切られたことと、未知との遭遇にジーヴは言葉を詰まらせる。
彼女は、それを見て口の端を吊り上げた。
「こんばんわ、羊さん」
「え、あっ、その、こんばんは」
しどろもどろの返答に、彼女はくすくすと笑った。
からかわれている気がして、ジーヴは急に恥ずかしくなる。
「あの…この辺で女の子を見ませんでした？トンガリ帽子を被った。ちょっと変な女の子なんですけど…」
ジーヴの言葉を聞いた彼女は、少し驚いたような寂しい顔を一瞬だけした。
「それって、めーこのことかしら」
ジーヴから視線を外し、夜空を見上げながら彼女は答えた。
「めーこのこと、知ってるんですか」
「付き合いは長いわ。貴方達より、ずっとね」
「…？めーこの、お知り合いってことですよね？」
「そうね」
「なら、どこにいるか知ってますか？」
「……」
彼女は答えなかった。悪人ではないと感じているものの、彼女を前にジーヴは不安、どこか胸がざわつく印象を拭えない。
何故かは解らないが、彼女の存在はとても不自然だと、そう思った。
「めーこの場所を教える代わりに、一つ質問に答えてくれない？」
頭をぐるり、と回して彼女はジーヴを逆さまに見つめる。
「な、何でしょうか」
別に答える必要は無い。無視をして、めーこを探せば良い。だが、ジーヴの足は動かない。
「貴方は何の為に戦っているの？」
「え…」
突拍子も無い質問だった。何の為に戦うのか？
決まっている、それは、自分の過去に。
「でも、それってこの世界を動かす程の動機になるかしら？」
蒼い眼がジーヴを捉えていた。闇の中でその双眸が異様に輝いて見える。
「貴方は自分のために戦っているつもりだけど、それって正当な理由として言えるのかしら？
結局の話だけど、貴方が何の為に戦っているかということに興味を持ってくれる人は少ないわ。
でも、戦った結果だけは残る。貴方が傷付けたものや、勝ち取ったものは貴方に掌の感触として残り、またほかの人もそれを覚えている。そのうえで、貴方の意志というのはそれに相応しい程、立派なものかしら？」
ジーヴは、怒りを抱くべきだった。
言われもないことである。例え、彼女の言うとおりにジーヴの戦う理由が世界に相応しくないとしても、それはジーヴには関係のないことである。まして、目の前の彼女にとっては。
だが、ジーヴは彼女の眼から視線を逸らすことが出来なかった。
考えてしまう。自分のやってきたことは正しかったと言えるのか？
自分が戦う理由は、それでいいのか？
「貴方は弱いわ」
彼女の一言にジーヴはひどく揺さぶられた。無意識に双肩が震える。
「人は強くなろうとすることに、理由を求める。
本当は、そんなもの必要ないのに。弱いことを認識するから、弱くなってしまうのよ…
呼吸するより早く、強くなるべきなの。本当は。
目の前の何もかもを吹き飛ばすためには、対象が、自分か何ものか何かなんて考える余裕はない…人が戦うのに、理由なんていらないのよ」
ジーヴは拳を強く握り締めていた。焦り、苛立ちに併せて様々な感情がそこに込められる。
「……でも、それは」

それは。

「そうなって強くなった自分は"僕"と呼べるんでしょうか」
彼女は逆さまのまま笑っていた。哀れみでも嘲笑でもない、純粋な、それ故に恐ろしい笑顔。
「ふ、ふふ。だから、不思議なのよ。貴方は自分を捨てたいはずなのに、そういう所にとても拘る。可笑しいわ。とっても」
得体の知れない寒気が、ジーヴを襲う。
「今の所は、保留ということでいいわ。もし、貴方が貴方自身を捨てられる程の強さを望むなら」
彼女は頭を正面に戻して、そのまま。
「また会いましょう」
振り向いて、笑顔でそう言った。


眼を覚ますと、朝だった。
「おっきろー！！」
「ぐえー！！」
どっすん、と重い一撃が胴に入る。目覚ましにしてはこの上ない効果だ。
「あ、ジーヴさん。目、覚めた？」
腹にパンチを加えた張本人が、目の前にいた。めーこだ。起き上がって、周りを見ると昨日の野宿の場所。
「ん、あ、あれ…？」
「なんやージーヴ兄ちゃん、今日はお寝坊さんやなー」
どうやら、夢を見ていたらしい。
「何やら、うなされていたぞ。悪夢でも見たか？」
…夢。
変な夢だった。
彼女は誰だったのか。何者なのか。
「おー、ジーヴさんどうしたのー？」
目の前でめーこの掌が上下にせわしなく動いている。
はっ、として、彼女を見る。めーこはにまーと笑ったまま、動かない。
「なぁ、めーこ。君に」

「む！獣や！何かおるで！丁度ええ、朝ごはんの準備や！」
「おにく！」
「余はパンを所望する」
「ほら、ジーヴ兄ちゃん、ぼさっとしとったらあかん！逃げてまう！一家の大黒柱としてガツーンといくんや！」
「ガツーン！」
「タックルの見せ所であるぞ」
「あ、あぁ！よし！俺に任せろ！」
ジーヴの疑問は、朝の喧騒に消え、彼自身も気づかぬ撃ちに封印してしまった。
夜の夢は一度きり、ジーヴは再び何時もの日々に帰ってきた。
そして、誰も気づかないまま、空の端で僅かに夜の影が残っていた。