※この日記には不快な表現が幾つかあります。御注意下さい。



[ 自動書記文箭の記録より ]

己は、裸足で立っていた。
足には畳の感触がある。六畳間だ。
壁に掛けられた笠は古びており、六畳間の入り口にある箪笥もまた年月を感じさせる色合いをしていた。
障子は開けてあって、風の入りが良い。紅葉が足元にひとひらやってきた。

縁側へ近い畳の上に、布団が一式延べられていた。
ドキッとした。
そこに寝かされているのは——己の作者だ。

己は彼に近付く。近付きながら、これは夢だと気付いた。
彼は生きているわけなどないのだから！
彼が死んで何年位経った！　それは己がよく知っているではないか！

布団よりも白い顔をした作者。彼は静かに眠っているようだ。
己はホッとした。ホッとした刹那、記憶が——記録が蘇る！
脳裏にその図を描くと同時、目の前で同じ光景が——

眠っていた彼の目が見開かれ、大きく口を開いて、真っ赤な血を吐いた！
血は噴水のように、口だけではなく鼻からも止めど無く噴き出す！
己はほとんど飛びつくように、彼に縋った。涙が落ちる。それは失くしたはずの右目からも滴っていた。
これは記録だ。己の記録だ。記録の再現だ！
自らに言い聞かせても、かかる血飛沫は温かく冷たい。
止まれと念じても止まらない。記録の再現は忠実だ。一つの事象が終わるまで、止まるわけがない。

白が紅に染まる。

作者は丸めた己の背を抱くと、嗄れた声で——己を呼んだ。

「“文箭”」

そうして、事切れた。



呆然と、己は亡くなった作者を見つめていた。
周りが色褪せて見えるのは、己が主観でそのように書いたからだろう。
唯、血だけが紅く、まるで生き物のように流れていた。

己は、身にまとった紺色の着流しから、血が滴っている事に気がついた。手や腕も真っ赤に濡れている。
先ほどまで、作者の——彼という人間の中にあった液体だ。
これを飲めば、己も紅い色を流す事ができるだろうか。紅い色を吐く事ができるだろうか。
急にそんな気持ちがわいて来て。
着流しから搾り出しその血を飲んだ。手や腕についたものも舐め取った。
それだけではない。遺体に縋りついた姿勢から、布団や畳に染み込んだものも飲み込んだ。
流石に、作者の体についたものを舐め取る無礼は、働かなかった。けれども、衝動とはいえ獣のような行為を働いたのは事実だ。

バカな事だと分かっている。己は愚かだ！
顔を上げ肩で息をしながら、部屋の中に、一人。
やがて訪れた嘔吐感に、かつてない高揚感を覚えた。同時に恐怖も感じていた。
それは丁度、人間がやる富くじが、当たるか当たらないかのような気持ちだろう。それも、大枚をはたいた最後の一枚を——。
己は作者の遺体のある六畳間から内風呂へ歩いた。吐き気を堪え、壁に何度も手をつき乍ら、歯を食いしばり乍ら。

風呂場で桶に向かって四つん這いになると、人間の胃の腑があるであろう場所が、胸が、上がった。
喉が裏返るような感覚は、何度経験しても慣れない。作者のために流した涙が桶の中に落ちた。

そうして桶の中に吐き出されたものは、黒かった。

紅かったものを飲んだはずなのに。吐き出されるのは唯の黒、黒、黒——。


自分がひどく、惨めに感じられた。
卑しいモノだと。身分も弁えぬ愚かなモノだと——。


六畳間に戻ると、鮮血の上に紅葉がいくつも落ちていた。

己は泣いた。屹度、この先あれより大きな声を出す事は無い。



涙は、作者の死と己の惨めさのために、流されたものだった。











目に赤色が飛び込んで来た。

「わああっ！」

己が叫んで下がると、右手が柔らかなものに触れた。
見れば、己のコートがきちんと畳まれている。

「御目覚めですか」

平坦とした声は、エルザの声だった。
赤色は彼女のドレスで、しかも深い赤の色をしている。
胸が悪い意味でドキドキした。己は、夢の続きかと——。
彼女は「うなされていたようですね」と言うと、にやりと笑った。何がおかしいのか。

「うなされていた事に気がついていたのなら、起こして下さいよ」
「他人の眠りを阻害するのは行儀が悪いと思いまして」
「真実そう思っていたとしたならば、“慮る”という言葉を捧げますよ」

エルザは憫笑を浮かべながら肩を竦めてみせた。
そして前へ向き直る、赤い——火の番をしているようだ。
そうだ、己は、ブランチマンとその配下にやられたのだったか——。

「皆さんは？」

火の番をしているのはエルザ一人で、野良とアイリスが居ない。

「食べられる物を探しに行きましたよ」
「……そうですか」

つまり、己は、一番最初に倒れて一番最後に目を覚ました——無様な奴という事だ。
溜息が胸から吐き出される。
半身をきちんと起こして、エルザの背を見た。
金髪や黒と深紅のドレスが、火で赤く染まっている。それがなぜか、彼女には似合っているように感じられた。





己はじっと手を見た。
黒い手袋で覆われた右手を。

文箭の狼狽に、わけがわからないと言った感じで。

よっこいしょ、と身体を起こす。
が、居心地がよくて外に出られない。

背中をさすられて咳はすぐに収まった。

妖怪少女がおどおどと、話かけてきた。
どうやらあなたの事を知っているようだが──？

そう言うと、アイリスは一枚のスペルカードを懐から取り出す。
一瞬、それがきらりと光ったかと思うと、大地に延々と光の魔法陣が現れはじめた！
アイリを中心に、その周辺のみならず、はるか先まで続いている。

一瞬くすり、と笑った後、「なんてね」と呟き、アイリスは魔術を中断した。
あたりから魔法陣が消える。

　
手毬のような、彩られた球たち

　

　
説明を受ける度に、聞き入っては声を上げる。
見慣れたものも出てきて、なるほど確かに美味しそうだ、と。
それとも、知っているものに似ている別のものなのかもしれない。

　

　
は、と気づいて両手で口元を押さえる。
言いながら更に恥ずかしくなったのかみるみる顔が朱に染まっていく。
隠すように俯くが、

　

　
口籠りながらそう応え、器を受け取って。

　

浮遊する機会はぺこりと頭を下げるように身体を動かした。

彼はその場でくるりと一回転宙返りをした。機動力はあるというアピールなのだろう。

彼は文箭さんから日記を見せてもらって、そう答える