[ 自動書記文箭の記録より ]

先日と同じく、獣と奇妙な笑みを浮かべた芋（らしきもの）を撃破した後、普段とは違う景色があった。
倒れ伏した輩の向こうに、深緑色の髪に黒のコートを身につけた男が立っていた。
予想外の者の出現に身構える己達を、男は手で制した。己らを見渡し、「これが例の一揆衆とやらか」と納得したように頷く。
彼の片手には、小さな赤子が抱えられている。彼は父親か何かだろうか。疑問に思うも、赤子の髪の色は男と違って水色をしており、顔は見えない。故に、判断はつかなかった。
男は自らを、サバス＝ルナティリウスと名乗った。そして、赤子は助手だと言い張る。どう見ても助手の年齢ではないのだが、異世界で外見はアテにならないので、赤子の事はこの際捨て置く。しかし、サバスが赤子を見る顔は、柔和と表現して良いものであっただろう。
以下は、彼が発言したものである。己には意味が分からないので、列挙するのみである。

「ふむ……君らもしくは君らを動かす者達のなかに、ウルドスピンを知っている者はいるのだろうか。
　当事者を時間軸共々洗い流した、世界を素晴らしくカオスに変貌させたサウスエルタの現象だ」
「私の目的はその際に偶然私と変動時間幅の一致した者たちへの助力でもある。君等にも大いに助力してもらいたいものだ、が……」

完全に置いてけぼりを喰らっている己達をよそに、彼はメモ帳をペラペラと捲った。
ふむ、と何か考えたようで、また話を進めた。

「……サウスエルタの件は経験者も少なくない。この地に集まったなかにも知る者はいるだろう……いずれ分かることか」

現状では全く分からないのだが、この男は何を知っている。そして、己達は、いずれ何を知るというのか。
サバスの身勝手な独白に、己は顔を険しくした。

「まぁ今はただ流れに乗るがいい。私も今は……可愛いエンブリオちゃんたちに夢中なのでな」

そう言うと、サバスはにこりと笑って、歩き去った。
——まるで世界の全てを知っているかのような口振りだった。

「何だったのかしら、あれ」
「なー」

アイリスと野良が顔を見合わせている。エルザはと言えば、興味など無さそうな顔をしていた。

「少なくとも、良い印象は持てないわ」

アイリスは、忌々しそうにサバスが居た方向から目を逸らした。確かに、胡散臭い輩であったのだ。
しかし、また彼とは会いそうな——そのような予感が胸を過ぎる。直感——いいや、これは、確信だろうか。
この時、トランクの中が揺れた気がした。あの日記が、震えているような気がした。
こっそりとトランクを開けて確認してみるも、実際に震えてなどいない。それでも、何かの怯えを感ずるのである。
本同士だろうか、過去にも共鳴のような感覚に陥った事があるが、この日記も例外ではないという事か。
——この日記は、この地に来てから、潜めるように息をしているような感覚がある。まさか、サバスと何かしらの因縁があるのか。まさか。
己はトランクの隙間に手を滑り込ませ、宥めるように日記を撫でた。『白神さんの日記』は、落ち着きを取り戻したかのように、動きを止めた。

サバスの言葉をこのように文字に表してみると、“サウスエルタ”は地名或いは事件の名。唯、サウスは方角を意味する。確か、南だ。つまり、南のエルタという事になる。
“サウスエルタの現象”というのは、時間軸共々、世界をカオスに陥れたものであるとサバスは語った。それがウルドスピンであろうか。
ウルドは、北欧神話に出てくる女神の名だ。彼の解釈とそれが一致するのであれば、ウルドスピンは——運命・過去を洗い流してしまう恐ろしき現象。
サバスはそれに巻き込まれ、この地にやって来たのか。そう考えるのが普通であろう。
一つ引っかかるのは、彼がここにやって来たという事、そしてサウスエルタなる場所での事件を語った事——。

もしや、ここで、同じ事が起こりはすまいか。

嫌な妄想である。とりあえず、サバスは当面、我々に手出しをして来ないという事は確かだ。
彼もまた、エンブリオを従えている。となれば、敵となった場合は、それらが襲って来るというわけか。嫌な話だ。
ああ、嫌な話だらけだ。


庭園を進むと、徐々に花や樹木が多く見られるようになった。どれもこれも丁寧に手入れされている。
己は綺麗な花に目を奪われていた。野良もはしゃいでいる様子だ。
しかし、不意に、背筋を妙な寒さが襲った。何だ、これは。
前を進んでいたエルザが、突如足を止めた。エルザとアイリスは、同じ方角を向いていた。

そこにあったのは、巨大な城の入り口。

遠くに見えていた城が、早くも御目見えとなったわけである。己は息を呑んだ。そこにあるのは、蜃気楼ではないかとすら思った。

「おっきな御城なんだなー！」

野良が言うと、教が警告を発し、彼女の足を止めた。
それどころか、エルザとアイリスが、前方を睨んでいる。城ではない。何かの気配を察知した様子だ。
己も城からそちらに目を転ずる。——城の入り口に、一人の男が佇んでいた。

朱色の瞳、それと色の短髪の男。白髪が光に煌いているところを見ると、相応の年齢だろうか。
そこまでを書けば普通の男なのだが、問題はその格好にあった。

「……変態が、おる」

思わず素の言葉遣いで呟いた。
何せ、彼の格好は——高枝切り鋏はまだしも、素肌にオーバーオールという、恐るべき格好なのだ。オーバーオールの下に何か着ようという気は無かったのか！色々と弁えてほしい！
エルザとアイリスにつられたとはいえ、眼前を凝視してしまったが為に、目を逸らしても目を瞑っても、彼の姿が目に焼き付いて離れない！なんて地獄だ！

「ハッハッハッ！！来たかクズどもめッ！！我こそは元・王宮騎士団副長にして現・庭師、ブランチマンッ！！」

その言葉に、ハッと顔をあげた。ブランチマンといえば、先日打ちのめした兵士が呟いていた名前だ。
なるほど、王宮騎士団の副長だった者なのか。それがどうして庭師になっているのかよく分からないが、それでも戦う気力と能力はあると見える。

「この戦に何を求める若造よ……その意志の強さ、力で以って示してみせよッ！！」

仰っている事は至極まともそうなのだ。
しかし！
——まともではない服装の彼を見て、己は吐息した。

ぐーっ　ノーラのお腹がなる

ヒールを履いているせいか長身に見える『女王』は小首を傾げ、「そうでしょう？」と目で問いかけた。

ととっ、と貴方の前に、狼の姿のエンブリオが歩み出でた。
貴方の目をじっと見つめながら、てしてしと靴の先をつつく。
——右足に、手紙と思しき紙がまかれている。

空中に描かれた黒い線に、目を見張る。
−−知らない文字であったが、何かの記号なのだろうとは思った。

事情を聞いた少女は得心がいったようで、深い溜息をついた。

その態度は、一般人にしては随分と余裕があるようだった。
腕に覚えがあるのか、何か考えがあるのか、
それとも素人ゆえの危機感の欠如にも見えるかもしれない。

緊張感のない挨拶と共に、ぺこりと頭を下げた。

色白で小柄な少年は、少しだけその言葉の響きに疑問を抱くような声色を上げたものの。

すぐに淡々としていて大人しめのそれへと変わった。

トガノと名乗った黒服の青年は笑みを浮かべ、ゆったりとした動作で大きく一礼をしてみせた。

ハルと呼ばれた少年がぼそりと呟く。
どうやら、相手が過剰反応したのを察したようだ。

トガノが軽く髪を掴みながら文箭の方に目をやり。

不思議だと言わんばかりの表情を浮かべ、質問を投げ掛けた。