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一揆9・10日目のブラックジャック両名の日記からの続きものです。
今回は地の文も含めブラック側の視点になっています。

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雨の音がする。

絶え間なく窓の硝子を打つ音
ざあざあというノイズ
ぽたりと滴る雫の音。


雨は、嫌いだ。
物心ついた頃からあまり良い記憶がない。
とりわけ嫌なことが起きる日は、決まって雨の日ばかりだったように思う。
雨の音を聴くと胃の底が重くなるような感覚に襲われて、
言いようのない漠然とした不安がぐるりと胸の中に渦を巻く。

そして今日もまたその靄に囚われそうになったとき…——

ゴツッ

という音と共に額に衝撃が走った。



それは一瞬、目の前が真っ白になるほどの痛みで。
咄嗟のことにそのまま身体をふらつかせれば、手首をぐいと掴まれてそのまま強く引き寄せられる。


「落ち着けよ。らしくねぇぞ、相棒」


ほんの少しの苦笑を含んだ低い声。
ぽんぽんと背を叩く手のひらから伝わる温もり。


（——ジャック？）


その存在を認識した瞬間、身体からふっと力が抜けた。


ジャック……ジャック＝ハートウィル。
俺のことを相棒と呼び、俺と旅をする人間。
あの日、俺が拾ってやって、

俺が救った命。



（そういえばあの日……ジャックに初めて会った日も、雨が降ってたっけ）


未だ力の入らない体をされるがままに投げ出して、
ぼんやりとした頭のまま、俺は三年前のとある晩に記憶を馳せた…——。




＋　＋　＋　＋　＋　＋　＋




三年前。
あの頃の俺は毎日にひどく退屈していた。

賭博の世界に足を踏み入れてから、当時で既に相応の年数が経過していたが
それは単なる身銭を稼ぐ手段に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもなかった。
というのも、ギャンブルは自分にとって 至極イージーなものだったからだ。

賭けで勝者となるために必要なもの…それは必ずしも『絶対的な幸運』に限らない。
重要なのは勝負どころを注意深く見極め、引き際を誤らないこと。
深追いはせず、常に冷静を保つこと。
派手な大勝ちを決める必要はなく、肝心なのは『負けないこと』で、
要するに損失を最小限に抑えて小さな勝ちを積み上げていけば、最終的には勝利へと繋がる。
そして自惚れる訳ではないが、その手の類は自分が特に得意とするところなのだ。

でも、だからこそつまらなかった。
淡々とチップを積み上げて勝ちを重ねる。そんな『作業』に楽しさなんてないと思っていた。
退屈を持て余す日々がいつまで続くのかと、少しばかりうんざりもしていた。
…かといって、旅を止める訳にもいかない。
自分には、どうしても成し遂げなくてはいけないこと　がある。


そんな言いようのない倦怠感と閉塞感、そして焦燥感を覚えていた折、
地下賭博のイザコザが縁で知り合った男——それが、ジャック＝ハートウィルだった。






あれは…そう、確かあの時は、ジャックがやくざ崩れに因縁をつけられていたところに
たまたま自分が居合わせて、気紛れに助け舟を出したのだったと思う。
もう時効だろうので白状すると、実はあの時相手のイカサマを指摘したのは半分当てずっぽうだった。
何処となく怪しいな くらいの気持ちで さしたる確証もないままに推論をぶちまけたところ、
たまたまそれが核心を突いていたらしいという、ただそれだけのことだったのだ。


まあその辺りの経緯はさておき、不正を働く輩の鼻を明かしてやるのはなかなかどうして痛快で、
そのままの流れで俺とジャックは意気投合し、遅くまで酒を飲み交わした。

ジャックは何かにつけ面白い男で、よく飲み、よく食べ、よく喋った。
よく通る声で笑ってはこちらの杯に酒を注ぎ、話題がギャンブルに及べば自信に満ちた顔をする。
ころころと変わる表情は、一見したところではとても人懐こい印象だ。
だが注意深く見てみれば、快活に笑う一方で時折酷く冷めた目をすることに気付く。
ちらりとこちらを伺う視線はまるで俺のことを探るようであったし、
ぺらぺらと軽快に喋る中にも「これ以上は踏み込ませない」という境界を確かに感じて、
けれど俺にはそのギャップが とても興味深いものに映った。

まあ腕利きの賭博師というのは、基本的に他人を信用しないものだ。
ギャンブルは自分の手の内を見せたら終わり。明け透けな心でいては負けてしまう。
信じるものはただひとつ、自分のツキだけでいい。

だから名前を尋ねられた折も、適当に偽りの名を名乗った。
『ブラックビアス＝ディドスペード』……相手の名を聞いてぱっと思いついただけのいい加減な名前だ。
でもそれでいい。どうせ今が終われば二度と会うこともないのだ。
何をどう名乗ったところで変わりはないし、きっと明日になればお互い忘れている。


——その時にはただ、そんな風に思っていた。





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そうして一頻り飲んだあとにジャックと別れ、ちょっとした野暮用を済ませると、
その頃には時刻はとうに夜更けを大きく回っていた。
少しはしゃぎすぎただろうか、などと考えた後、我ながらその『らしくなさ』に改めて小さく笑いを漏らす。
気分の良い夢を見た後のような、どことなく浮ついた気持ち。
それはとうに忘れて久しかった感覚だ。
ともすれば鼻歌すらも口ずさんでしまいそうな気分で、足取りも軽く外へと続く扉に手をかけ……

そして一歩を踏み出した瞬間、ぽたりと頬に一雫、冷たい粒が落ちてきた。



——雨。



…するとそれまでの快い気分が、自分の中でスッと冷めるのが分かった。
先程までの気分は一転し、急激に重く沈んだものになる。
ひどく冷たく濁ったものが、どろりと体の奥から溢れ出すような。背筋を怖気が駆け抜けるような。
兎にも角にもひどい感覚で……ああ、これだから雨は嫌なのだ。

そうこうしている間にも水の勢いは増してゆき、
やがて指先は震え出し、先端から少しずつ熱が失われていった。



" たすけて "

" こわい "

" はやく　ぼくを　むかえにきて　"


頭の中に木霊する声、
目まぐるしく駆け巡る記憶…… ああ、ああ、気分が悪い！

天を仰げばそこにあるのは、絶望の淵を覗いたような 一点の光も射さない黒空。
そこから降り注ぐ雫はまるで、その黒で心身を染め上げようとするかのように
顔を、髪を、体を濡らし、ぬくもりを奪い去っていく。

（……寒い）

いつの間にか奥歯はガチガチと音を立て、手は目に見える程にはっきりと震えていた。
寒い、寒い、寒い。
ほんの数分前までの高揚もはや跡形もない。
心の一番深い底から、固く冷たく凝っていく…——




と、その時。




まるで闇夜を切り裂くように、


ダァン！！


という、砲声が轟いた。




＋　＋　＋　＋　＋　＋　＋




足元で水が跳ねた。


気付けば何かに突き動かされるように、俺は音がした方へと駆け出していた。
雨足はますます強くなり、髪を、肩を、衣服をしとどに濡らしていく。
けれどそれには構わずに、細い路地を抜け石畳を蹴り、角を曲がってその先へ。
ひたすらに走り、走る。

何故そうしたのかは、今となってはよくわからない。
ただあの一発の銃声は確かに、空気の震えと一緒に　凍りつきかけていた心まで大きく揺さぶったのだと……
何となく、そう思う。




そうして何本目かも分からない曲がり角を抜けたとき、
街灯の明かりも届かぬ暗闇の中に、ひとつの人影を見つけた。

「！」

水溜りの中に倒れる大柄な体躯。暗がりにも鮮やかな金の髪。
その姿には見覚えがある——否、見間違えようもない。
何故ならそれはつい先程まで、間近で見ていた顔。
そう、終始自信満ちた表情で、快活に笑っていたあの男…


「おいアンタ、しっかりしろ！……ジャック！！ 」


ジャック＝ハートウィルその人だったのだから。





駆け寄って傍らに膝をつき、声をかけるが反応はない。
しかしその唇の端からは、未だ絶え間なく浅い呼吸が漏れていた。
ああ、まだ息がある…！

素早く視線を走らせて状況を確認する。
雨のせいで見辛いが、どうやら腹部に被弾したらしい。
目を凝らしてみれば、口の端から流れ落ちる雫の中にも赤黒いものが伝うのが見えた。

それは正直なところ、未だショック死していないことが御の字というくらいのレベルで、
こうして今呼吸があるのすら奇跡的な状態のように伺える。
そしてもし銃弾が臓器…特に消化器系を傷つけていたら、やはりもう長くはないだろう。



要するに、あまりにも助かる見込みが低い。



（いや、悲観するのは後で良い…。先ずは止血…急がないと…）

そうして辺りを見回してみるが、勿論こんな道端に手頃な布などあるはずもなく、
仕方なく雨で張り付いたシャツを脱ぎ、引き裂いてきつく腹部に巻きつけた。
ジャックの身体は相当に鍛え上げられているようで、胴回りを圧迫するにも一苦労だ。
そうこうしている間にも、更に勢いを増す雨が瞬く間にその熱を奪い去っていくのが分かった。

（くそ……ここじゃ駄目だな。何処か…別の場所に…）

ぐったりと倒れ込む体を抱き起こし、どうにかして風雨を凌げる場所に移動しようと考える。
元々の重量に濡れそぼった服の重みも加わって、ジャックの体は驚く程に重かったが
そこは歯を食いしばり、その半身を背中に負った。


——そこでふと、ひとつの疑問が湧いた。


（…俺はどうして、コイツを助けようとしてるんだ？）


確かにジャックと酒を酌み交わすのは至極楽しかったが、だがそれだけだ。
相手は結局のところ、今晩知り合い少しばかり意気投合しただけの赤の他人にすぎない。
髪の束から滴る雨が、頭の芯を冷やしていく。

（そうだ…俺は何をしているんだろう？）
（相手はただの他人じゃないか。このまま放っておけばいい）
（どうせこの傷の具合じゃ、助かる見込みだって殆どない）

再び胸の奥が冷え込む。

（こんな奴、放っておけばいい。見なかったフリをすればいいだけだ）
（そう…今更善人なんて気取ってどうするっていうんだ）


けれど同時に たった数刻前のジャックの声もまた脳裏に蘇る。


『あんたさァ、なんっつーか……イイよな』
『うまく言えねーんだけど、直感でそう思うっつーか……
ずっと昔から知ってるような気になるんだよなァ。初対面のはずだってのによ』
『あんたと組んだら、さぞかし面白ぇだろうなあ！』


どことなく憎めない朗らな笑顔。
ころころと忙しなく変わる表情。


（——…楽しかった。まるで夢を見ているみたいに）


ちら、と肩越しに見れば、あのときの自信に満ちた表情は当然のことながら消え失せて、
土気色になった顔、その唇からは今にも途切れそうな弱々しい呼吸が漏れ出るばかりだ。



夢が、終わってしまう。



…でも、ひょっとすると　自分なら？
この手と、この頭の中にある知識。これらを活用すれば、或いは…——



「……死なせない」


気付けばそう、呟いて。
奥歯をぎりと噛み締めていた。





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（ジャックの日記に続きます）

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軽口を叩きながら、スィナンはブラックを一瞥する
身なりは悪くない。物腰も。ただ何となく、全体的に胡散臭い

ピシャリと言い放ち、
その次に続けられたあからさまなおだては無視する
こっちは商いなんて当たり前のことだ、そのために努力しているのである

にこやかな笑顔を浮かべる青年に、ルレイルも笑顔で答える。

老人は軽く会釈をし、続けられた会話にやや驚いたような様子を見せる。