気づいた時から、私の右腕は殆ど動かすことができなかった。
私が１歳になる頃、立ち寄った都市で、知らないおじさんに腕を診て貰ったことがある。
両親とその人がどんな話をしていたのかは覚えていない。
その後も似た様なことが何度かあり、その度に会う見知らぬ人が医者である事を、私は漸く悟る。
その出来事の度に、両親が高いお金を支払っていた事も。
３歳になった…人間でいう６歳程度の年齢になった私は、もう医者を探さないで欲しいと、
両親にお願いした。
どこの医者に会っても、何人の医者に会っても、結局、私の腕は役立たずのまま。
役立たずでお金がかかる、お荷物の腕が嫌で、私は腕の治療を諦めた。

腕の治療を諦めたら…今度は腕ではなくて、私自身が役立たずになった。
父の様に重い物を持てない。母の様に家の手入れが出来ない。
兄の様に、多くの荷物を運べない。
"私の役立たずな腕"じゃなくて、"腕の動かない役立たずな私"に。



私の家には車輪が付いていて、多少の機械仕掛けはあるけれど、
家を引いて移動するのは主に獣化した父の役目。
都市の外で採取した鉱物や植物、魔物の素材、別の都市で仕入れた物品を売って、
また品物を仕入れ食料と水を家に積んで荒野に戻る。
別の都市に着いたら、またそれの繰り返しの生活。
セフィラータでは都市間の交流は殆ど無く、
都市外に住む砂漠エルフなんかも減ってきていると、父や母は言う。
それでも、年中旅をしていれば
都市を追放された犯罪者や、物資を狙う野盗なんかに出会う事がある。
…正確に言えば、出会う前にその臭いを感じ取り、私たちはそれを避けて通る。
実際に鉢合わせてしまったのは、私が５歳の時…

動きの早い亜人たち。相手はたった６人だったけれど、
その時の私たちは、父と母、まだ子供だった兄と私と弟と、赤ん坊の弟。
兄は赤ん坊を抱えて立ち回り、母が２人をやっつけて、父が３人を吹き飛ばしたけれど、
私と一緒に戦っていた弟が人質にとられ、身動きが取れなくなった。
現在のコロよりも小さかった弟…
私が守ってあげなければならなかった弟が、私の力不足のせいで捕まった。
弟に縋り付こうとする私を、家族皆が止めて、その夜はその状態のまま過ごす事になった。
野盗たちは人数にそぐわない大きな幌馬車を持っていたけれど、
私たちの家の荷物はその馬車に入りきらず、家ごと明け渡されても
野盗たちに家を引いて移動できる程の力は無い。
欲張った野盗たちは自分たちの目的の場所まで父に家を引くよう言いつけたけれど、
この辺りには音に敏感な、凶暴な夜行性の魔物が出ると言う事を理由に、
その場で夜明けを待つ事になった。
家族は家に、野盗たちは馬車に戻ったけれど、
当然、捕まった弟は野盗たちの馬車に連れて行かれた。

馬車に近付く。ここに来るよりも、家を抜け出す事に苦労した。
入り口には見張りが居たので、弟と私を交換して欲しいとお願いをした。
右腕の動かない私は警戒される事なく中に通されて、弟と対面する事が出来た。
馬車は都市でよく見るキャラバンよりも大きなもので、ランプの吊るされた入り口をくぐると
頑丈そうな木と鉄の内装が見えて、床には弟が繋がれている。

私だけで野盗たちを倒せるはずもなく、野盗たちに私の言う事を聞いてくれるつもりもなかった。
弟が暴れて馬車の中は騒然となって、地面が揺れている事に気がつくのが遅れてしまった。
床を突き破って現れた魔物が馬車に乗り上げ、そこにある全ての物が衝撃に押し飛ばされる。
私たちが砂鮫と呼ぶその魔物は肉食で、その鋭い歯は鉄でも噛み砕いてしまう。
野盗の１人が砂鮫に食い付かれて、残りの野盗たちは逃げ出したけれど、
馬車に鎖で繋がれた弟は、その場から動く事が出来ない。
私は鎖を引き抜こうとするけれど、左手だけではびくともしない。
捕まった野盗が食べられている横で、まともに鍛えていなかった事を後悔しながら、
遠くに父と母の声を聞いた。でも、きっと間に合わない。砂鮫が鋭い牙を向けてくる。
役立たずな私のせいで野盗に負けて、ここから逃げ出せなくて、私も弟もここで終わり。
そんなの嫌だ。声の出せなくなっている弟を抱き寄せて、
弟を繋いでいる鎖を私の右腕に巻きつける。
大きな口が迫ってくると同時にバックステップで退く。
砂鮫に差し出す様に伸ばしていた右腕は、鎖と共に食いちぎられた。熱い。自由になった。

右半身全体に広がる熱を感じながら必死に走る。
砂鮫が私の腕を咀嚼している間に、左腕で弟を抱えたまま馬車を飛び出すと、
父と母が駆けつけて、２人はそのまま砂鮫を迎撃する。私は家まで走る。



痛みに負けず走れたのは、私の右腕の感覚が
普通の人よりも鈍かったからではないかと、後になって思った。
あの後、父と母は他の魔物が寄ってくる前に砂鮫を倒して、
私は怒られて、泣かれて、でも弟を助けられた事に安堵して…
なんの役にも立たなかった腕が少しでも有利に働いたのかと思えば、
腕の無くなった私にも出来ることがあると思えた。
強くなろうと決めて、その６年後にはアルファに新しい腕も貰った。



もう役立たずにならないって、思ってたのに。

ケガをさせてしまったアルファを寝かしつけた。
ナイトスピリットに敵わず、なんとか逃げ切って来た。
護衛なのに、壁になる事もできないなんて、なんのために付いてきたのかしら。

セフィラータで預けられた通信機が鳴る。

あまりに頼りにならないと、護衛役も代えらてしまうかも…

「アシェラッドと卯の花腐しとは、いつでも連絡が取れるわ…」との言葉に