壁を拳の背で叩く。
関節が鉄を打ち、鈍い残響が廊下を滑る。
『——真っ当な研究者に対して失礼した』
先日、言われた言葉を思い出す。目の前の無機質な壁を睨む。
真っ当な、と彼は言った。研究という単語を悪い意味で捉えすぎていた、とも。
それはつまり、"真っ当ではない"研究や、それを行う研究者が居るということ。
彼が"研究"についてどんな思いがあるのかは己の与り知らぬところだし、訊く気もない。話されれば聞くが、自ら踏み込む場所ではない。けれど。
それまで言葉を交わしていた男の表情を固くさせるような"真っ当ではない研究"は、きっとここでも行われている。それだけは、確かだろう。


——何せ此処は、あの冷たい"研究所"に…"破錠の楔"にそっくりなのだから。


「………気に入らないわね」
思わず漏れた呟きは仔狼に届いたらしい。
足元にぴたりと——歩きにくい程に——寄り添った日溜り色の仔狼は、何処か心許なさげに見上げてくる。
「あんたのことじゃないわ」
屈んで頭を撫でてやると、狼は更に身を寄せてくる。
普段は賑やかな彼が、今日は一言も口をひらかなかった。その毛皮の色と同じ、明るい気質の仔狼にはこの場は酷く息苦しいのだろう。
「中に引っ込んでてもいいのよ？もしあんたの力が必要なら、その時呼ぶわ」
腰に携えた石は、エンブリオを休ませるために設えたものだ。この中でなら、外が如何な環境だろうとエンブリオをゆっくりと休ませてやることができる。だから。
そう思って撫でながら呼びかけても、頑として中に戻ろうとはしない。
数秒、じっと見つめ合う。ぴり、と張った空気が、不意に緩む。緩める。
「…仕方ないわね。無理しちゃダメよ」
「わう！」
初めて声を上げた仔狼は、何処か嬉しげだった。