人間は一言、“解った”とだけぼく返した。
　夢を叶えるためなら故郷、そして仲間すら捨てると決めたぼくの意志を汲み取ってくれたのだろう。それ以上の言葉は必要ではなく、たったその一言だけをぼくは望み、そして受け取ったのだ。
　ぼくはネクターの握られた人間の腕に、早くそれで契約して欲しいと強請るように、すりすりと頭をすり寄せた。その行動を見た人間は少し驚いたような表情を見せたものの、すぐに口元を緩ませてぼくの頭を優しく撫でてくれる。

　“たまき”
　人間がぼくのことを、ぼくの名前をそう口にした瞬間、人間の掌に置かれていたネクターは強い、真っ赤な光を放った。
　その真っ赤な光にぼくは目を瞑りそうになったが、完全に閉じる一歩前、ほんの少しだけ目を開くことによってその眩しさを軽減することに成功する。完全に瞑ってしまわなかったのは、赤い光の行方が気になったからだ。
　随分と狭くなった視界には、人間の掌から上に目掛けて強い光が放たれている様子が映り込んだ。ぼくは頭上へと伸びた赤い光の先を探し、その狭い視界を上へ、上へと向けていく。
　と、ぼくの視界が丁度自分の頭上辺りに差し掛かった頃だろうか。光の先を発見したのは。
　発見した光の先はあろうことか、空中からぼくの方に向かって降りて来ているところだった。視界いっぱいに真っ赤な光が迫って来る——ぼくは反射的に、今度はしっかりと、両目を瞑ってしまっていた。

　人間の声が、ぼくの耳に届く。
　ぎゅっと固く閉じていた瞳を、ぼくはゆっくりと開いた。真っ暗だった視界は一転、木々から差し込む柔らかな光と、いつも通りの寝床がぼくの視界を暖かく迎えてくれる。しかしまだ少し、あの強烈な赤い光が視界をチカチカとさせているような気がして、落ち着かない。
　ぼくがその時取った行動は、片手を持ち上げ両目を瞑り、瞑った瞼の上から目を軽くごしごしと擦るという眩しい光などを見た時に行う、極々自然な動作であった。普段は毛繕いを兼ねて、大きくぼてっとした太ましいこの柔らかい手でごしごしとすることが多く、今こうして目元をごしごししていることは普段と何ら変わりないことの筈。だったのだが——

　何故だろう？
　何故だかぼくはこの時、異様な違和感を感じてしまっていた。



　違和感の原因が気になり、瞑っていた両目をゆっくりと開く。もう、瞳の奥を刺激する強烈な赤い光は、チカチカとぼくの瞳を刺すことをしなくなっていた。
　普段通りに、目元をごしごしと擦っていた手を舌で舐めて綺麗にしようと、片手を口元に近付ける。

　ぼくは驚きのあまり、心の中で呟いた筈の言葉をどうやら声にまで出してしまったようだ。
　え？と、ぼくはその時、思わずにはいられなかったのだ。
　だって口元に近付けようと持ち上げたぼくの手は、“大きくぼてっとした太ましい柔らかい手”ではなくなってしまっていたから。

　頭上から声が降り注ぎ、ぼくははっ、として顔を上げた。
　そこには、ぼくの我儘を一つ返事で受け入れてくれた、放っとけば勝手に治る筈の傷をどうしても手当てしたいとぼくに頭まで下げてくれた、ぼくのことを“たまき”と呼んでくれた、あの優しい人間が口元を緩ませ、ぼくのことを見降ろしていて。
　突然の出来事に状況が上手く飲み込めないでいたぼくの頭に、細い、けれど何故か安心する人間の手がぽん、と乗せられる。

　そう言って彼はまた、ぼくの頭をくしゃりと乱暴に撫でるのである。
　ぼくは、すっかり変わってしまった自分の両手を自分の視界にしっかりと映し、そしてただ一つだけ変わらない——両手に綺麗に巻かれた白い包帯を見て、漸く夢は叶ったのだと実感することが出来た。

　梓、と名乗った人間は、ぼくの頭によく乗る自分の手を、ぼくに差し出してきた。
　ぼくはその時何故だか、その手を無性に握りたくなってしまって。
　理由はよく解らなかったけれど、ぼくは差し出されたその手に自分の新しい“人間の手”を重ねるように乗せて、ぎゅっと握りしめたのだった。









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ホワイトタイガー契約編　...END

突然傍で大声が聞こえたのに、ふわりとしっぽを翻しながら青年の方を振り返り。
見覚えのある顔を確認するとああ、と途端に笑顔になる。

こちらもぺこりと一礼し。
青年が恐縮して謝ったのには横に軽く首を振る。

一般の人もいつ襲われるかわからないしね、と少し表情を曇らせた。