■奥座敷にて：単独帰還

「エラい目にあった…」
　海に遊びに出てる連中より一足先に帰還する。
　山より降りてきた疲労も、日射による汗も、海風によるべたつきも、水鉄砲による襲撃で水分をたっぷりと含んだ衣服の重さも、何もかもを背負いながらも徒歩で帰ってきた私はそれなりに頑張ったと思う。
　荷物が、傷んでなければよいのだが、と心配にならなくもなかったが。
「…後でちゃんと綺麗にしたるさかい、堪忍え」
　着物に包んでいたそれを、座敷の片隅、箪笥の上にそっと座らせる。
　見るからに悲惨な様子は、手渡された時と大差ない。
　慰めるように指先で撫でておいて。
「一風呂浴びてこよか」
　やっと休める。
　溜め息は我ながら深かった。

　昔に比べれば。
　脱ぎ着に面倒さはなくなった。ような気がする。
　が、今の衣装に落ち着いてから、はて、どれくらい経ったのか。
　着物であれば、あんな、海になど出られたものではなかったろうな、と思い返す。
　水着とやらに馴染む日も来るのだろうか？
　表情を、顰めてから、それは拒絶なのか、と考える。
「…似合わん」
　無邪気にはしゃいでいた娘、少々の羞恥を滲ませながら可憐だった娘、惜しみなく健康美を誇っていた娘、そんな印象に釣られたことは否めないが大人びた様子でいた娘。
　どの娘の様子を振り返ったところで。
　あのようには、なれない。
「人形遊びは、脱がすもんやないさかいな…」
　着せ替えとは、着込んでナンボ、だろう。
「…大抵の場合はー言うて、一部に振り分けられとォもない」
　自分へ注釈を入れながら、首を解す。
　晒を解けば、緊張感も解ける、気が緩む。
「はぁ、しんど…」
　この気疲れは、誰のせいでもない。
　私の由来ゆえ。
「返してやらんと、な…」
　温めの湯船に身を沈め、目を閉じ、預かりものも構造を思い描く。
　海に出かけた連中の帰還まで、どれくらいあるだろうか。
　ゆっくりであれば、いい。


■入浴中

　…ぴきゃーー！！？

「…む。」
　気が付けば、寝ていた。
　あるいは、気が付いたので起きた。
「何ぞ…」
　温い湯と換気とで、湯気はない。
　沈みかけていた身体を起こし、湯船の縁に腕乗せ顎乗せ、考え始める。
　何を、していたのだったか。
　……。
　…。
「今、変な音が聞こえた…んやったかな？」
　声か？
　天井を仰ぎ、しばらく眺めて、今いる場所が崩れる音ではないことを確認する。
　外か？
「…あぁ。帰ってきたんかな」
　目を覚ますのに、水を浴びたほうがよさそうだ。
　伸びをする、腕を下ろす、跳ねる湯水に目を閉じる。
　さぁ、起きないと、だ。


■風呂上り

　一応、急いできましたの態を取り繕えるよう、適当に髪をまとめながら廊下を歩く。
　外を見ると、まだ明るいが、日差しは傾いている。
　腹具合から言っても、夕暮れ近いのだろう。
　その間、先ほどのような大きい声は聞こえてこない。
　はて、気のせいだったのか。
　しかし、座敷には有人の気配。
「よぉ、お帰りや、な…、…どないしたん…？」
　襖を開き、異変は目に明らかだった。
　常ならば、思い思いに点在する各自の座布団、座る位置がバラバラだ。
　竜の嬢ちゃんは部屋の隅に縮こまっている。
　自動的に、わんこの嬢ちゃんも同じく隅に、庇うような姿で。
　ユーグの姿は見えない。
　自動的に、小鳥の姿もない。
　庭師は、こちらはいつも通りだ。
　科学者先生は、潮を流してきたのだろうか、洗い髪を気にしているように見受ける。
　サルは上座で頭が痛い風、…いつも通りだ。
　トーカが、好奇心を顔に浮かべて、嬢ちゃん達とは逆の隅に、
「…あ。」
　箪笥の上、置いたはずの荷物がないことに気が付く。
　視線を落とせば、トーカが観察していたそれに目が留まった。
「これ、さっきゅんの？」
「そや。すまんすまん、部屋戻るん億劫でな、ちょっと置かせてもろてた」
「きゅ、急に頭の上に、おち、落ちて…っ」
　逆の隅から発せられた言葉に、だいたいの様子を想像する。
「ビックリさせたんやな、すまなんだよ」
　苦笑いを返しておいて、それを抱き上げる。

　壊れた人形。
　悲惨、と言えばまだ言葉がよいのかもしれない。
　見ようと、そして、タイミングによってはそれは、恐怖、だろう。
　本来は伏せ気味の視線を見せる瞼はなく、ガラスの目玉が見開いている。
　手足はあさってな方向に折れ曲がり、あるはずのパーツも欠けている。
　それらが明らかなくらいに、衣装も襤褸切れを纏っていない方がマシな様。
　手指で梳くことを躊躇わせる髪。
　色が抜けて、薄く開いたように見える唇は、呪い言葉を囁きそうな。

　それが頭に振ってきたとあれば、怯えることも仕方ない。
　…年頃の娘がたくさんやってきたので、遊んで欲しかっただけなのかもしれない、とは言わない方がよいだろう。

「サクロの。拾ってきたんとちゃうやろね」
「ちゃうわい。しっかり、預かりもんや」
「なんでまた、そんな」
「なんでて」
　それを説明するのは、面倒そうな。
　別段、それを彼らと共有する必要はなさそうに思えたので。
「…内職？」
「それは何よりや。おこづかい、さっぴいとくな」
「ちょおおお！！！？」

　どれほどに人形の身を慮っても、半身であれと祈る持ち主だけで心は満たされているのだから。
　同情などは、同じ情けを思うのは、同じ我が身だけでよいだろう。

「で、サクロの。なんでそない服着てるん」
「別に、いつも通りやろ…？」
「用意しといたったやろうに」
「ぁん？」


■SummerVacation：夜のこと

「さー、いらはい、いらはい、カキ氷イカ焼きヤキソバチョコバナナ胡瓜の浅漬けスイカ半玉お好み牛スジ蒟蒻もろこして息続くかぁっ！！」

「昼の間、さぼっとったんやから、夜はしっかり、働きや？」
　笑顔の言い渡しに、私が従わなければならない理由がこの世のどこに転がっているというのだろう。
「おこづかい、ちゃんとあげるさかい」
　大変に渋々とした言い様に、私は何割か増しの文句を叩き付けてもよかったと思う。
「っちゅーか、現地の人員とやらはどないした」
「夜は遊びたいか思て？」
「私も遊ばせェやー！！」

　そうあれば、この手に残された段は一つだけ。

「売り切ってみせる…売り切ってやるとも、ほんで、懐満たしてから、花火くらいは拝みに行くんや…！！」
　悲痛な決意を、深呼吸に変えて。
「さぁさ寄っといで見といで買ってって、今なら何と驚き喜びまさかの割びｋ、痛ぁっ！！？」

　そんな風に。
　夏の熱気を活力に変えてしまって。
　明日になれば、一変して記憶を幻にしてしまうような元通りが待っていることを、考えないで。

　賑やかな、一夜限りが過ぎていく。

真那霞をちらりと見ると、懐から子供が扱うような大振りのビーズを取り出した。