ほんの少し前、小僧にエンブリオについて尋ねたことがある。
今日はその事についての話にしよう。
実物を見た今、状況を整理して冷静に判断したいのだ。

話は、数日前に遡る。


◇◇◇


「我が君、契約しているエンブリオが増えています。」

手の甲を私に向け、小僧が言う。

次の場所に向かうために荷造りをしていた時のことである。
小僧は身の回り品だけまとめてしまい、
最近増えてきたエンブリオの確認を行っていた。

「良かったじゃないか、まずは育成計画を立てねばなるまいな。
　最初は私も理解できなかったが、大体の仕組みは分かってきた。
　今までおざなりになってきた分、綿密に組まないと。」
「違いますよ我が君、『契約している』エンブリオが増えているんです。」

奇異な事を言う。だから良かったじゃ……あれ？
契約『している』？

私の眉が寄ったのを見て、小僧が鷹揚に頷いた。

「流石の我が君も鈍かったようですが、気づいたようですね。
　覚えのないエンブリオの契約刻印が増えているんですよ。
　今の契約刻印の数が7つ、しかし僕が契約したのは6体だけです。」

なら最初からそう言えよ。
即行に出そうになる言葉をなんとか飲み込む。

「しかし、自分のものもそうなんだが
　この『召喚者』と『干渉者』の左手の手の甲にある手紋の意味が分からない。
　今まで戦闘前に光るくらいしか正直意味がなかったし。」
「僕の役目をほぼ否定するのやめてください。
　そうですね、我が君は分割世界の人だから知らないのも無理はない。
　説明してもいいんですけど、時間あります？」

横目でパーティメンバーを確認する。
私の持って帰ってきた軽食BARのデリバリを食いつくして
大股広げて昼寝をしているスカーレットの姿が見えた。

「構わんよ、いずれは知らないといけない知識だ。
　まずは手紋、次に契約刻印について教えてくれないか。」

小僧は頷き、自分の荷物から大判の本を取り出す。
A3クラスの大きさで間違いなく凶器になる幅と重みがありそうだった。

「では、順番に説明しますからそこの椅子にでも座ってください。」

そう言って小僧は、そばの机の上に本を乗せたのだった。

◇◇

「まず手紋から。僕達の左手の甲にある紋章を手紋と言います。
　これは干渉者契約の証であり、
　『召喚者』と『干渉者』には契約時に必ず現れるものです。
　エンブリオの力を行使する時は、この手紋を必ず掲げていないといけません。」
「普段は手袋をしているが、戦闘時には外せというのはこういう事か。」

いちいち面倒だなとは思っていたが、やはり理由があったのか。

「ええ。しかしこの手紋は人に見られたら死ぬ類のものではないので、
　エンブリオを召喚していない時に手袋とかで隠さなくてもいいです。」
「サマバケの時は思い切り出していたしな。」
「ただ、一般の人から見て刺青と区別がつかないので、
　常識として普段は手袋で隠す場合が多いらしいです。
　まぁこの界隈、刺青だからどうだって感じですけど。」

今の界隈がいかがわしいみたいな言い方はやめろ。
まぁ否定はしないが。

「手紋の図柄の意味は……よくわからないです。
　家から持ってくるのは、このエンブリオ辞典が精一杯でしたから。」

そう言いつつ、机の上にあるエンブリオ辞典を掌で叩く。
家出する際にこんなくそ重いものを持ってくるとは、根性座っている奴だ。

「次に契約刻印について。
　お互いの手紋の円の内側に、小さい痣のような点が7つあるでしょう？
　これが契約刻印です。本来ならば、エンブリオを契約した数だけ出ます。」

成程、言われてみれば装飾された円の内側に
黒子よりは少し大きめのカラフルな痣が7つある。
気づいてはいたのだが、体に異変もないし小僧も何も言わないのでスルーしていた。

「緋色の契約刻印は焔と鍛冶の竜神　スヴァローグ、
　萌黄の契約刻印は春を告げる女神　ヤリーロ、
　丼鼠の契約刻印は鉄瞼の観測者　ブイイ、
　千歳茶の契約刻印は穀物の守護者　オヴィンニク、
　翡翠色の契約刻印は麻薬の賢女　アルラウネ、
　空色の契約刻印は豊穣神の従者　セマルグル。

　以上6つが、僕が直接契約したエンブリオです。」　

指をさしながらひとつひとつ確認していく。

「……で、残りのひとつなんですけど。」

鮮やかな契約刻印が、そこにはあった。

「この青碧の色に該当する型式は、恐らくドールです。」

私の目を見ながら、小僧ははっきりと言い放った。

「型式？」
「ええ。僕の住む地方ではエンブリオの研究が盛んで、
　珍しいエンブリオを求めて、偉い研究者の先生達が来るんです。
　そこの助手さんが路銀を稼ぐためにエンブリオの授業なんかもやってて
　よく僕はそこに通わせてもらっていました。
　その助手さんが言うには、エンブリオには大枠の型式があり、
　同じ型式のエンブリオでも多数の種類があるそうですよ。」

小僧の住んでいた村は、非常にみすぼらしい貧相な村だった。
観光資源に投資しているとは思えないし、
もしかしたらあそこ、エンブリオが沢山住む秘境だったりするのだろうか。

「エンブリオを召喚するときは型式の名前でも大丈夫なんですが、
　真名で呼ばなければ本来の実力を発揮できません。
　重いのにこのエンブリオ辞典を持ち歩くのも、それが理由。
　まぁ型式も沢山あるから辞典で調べないと分からないんですけど。」

小僧が軽く苦笑する。
正直こいつがこんなにエンブリオに詳しいとは思わなかった。
いや丸投げしていたのは私なのだが。

「……そういえば、戦闘に勝って契約したエンブリオと
　実際に再召喚したエンブリオは姿や名前が全く変わっているのだが
　あれはどうなっているんだ？バケさんなんかはほぼ猫になっているようだが。」
「バケツ猫の場合は知りませんが、
　僕らの場合でしたら少々特殊なようですよ。
　契約するのは魔物の存在じゃなく、魂なのではないかという説がありまして。」

そう言いつつ、辞典をぱらぱらとめくる。

「ああ、あった。エンブリオの存在には謎が多くて
　多くの学派が競って研究していたり、
　領主によっては多額を各種研究に費やしたりしていますから
　どれが本当なのか見当もつかないのが現状なんです。
　いろんな先生が研究に来てお話を聞かせてくれましたが、
　僕の中で一番しっくり来たのが『エンブリオの魂との契約』かな。」

辞典の文字を指でなぞりつつ、話を続ける。

「世の中にはエンブリオに生りうる魂を持つ魔物と持たない魔物が存在する。
　エンブリオに生りうる魂を持つ魔物を倒すとその魂と契約できる。
　契約した魂は一旦昇華され、戦闘前に契約に応じて再び召喚される。
　召喚された時には魂は別の姿に変わっている。これは契約者に依存する。
　
　……という一つの学説です。この辞典を編集した偉い研究者さんですけど。」

なるほど、仮説としては筋は通るように聞こえるが、
いかんぜん実務をする側としては反論せざるを得ない。

「その学説は矛盾するぞ。
　契約者と共に過ごすエンブリオなんてざらにいる。
　身近な例でも、昨日の夜バケさんがエンブリオの猫と定期集会やってたろ？」
「エンブリオとの契約方法なんて多種にわたります。
　伴侶がエンブリオ、なんて人も研究者には結構いましたよ。」

あっさりとした顔で平然と反論してきた。

「だから『僕らの場合』と言っているんです。
　僕は干渉者契約も含めて、昔から伝わる伝統的な方法で契約しています。
　その契約方法のメカニズムとして一番納得できたのが、
　さっきも言った『エンブリオの魂との契約』という学説。
　恐らく契約方法を学ぶ地方が違えばエンブリオの存在意義も変わります。」

エンブリオという存在は契約によって有り様が変わるとか、
範囲が広すぎてどう定義するか迷うのだが
なんとなく自分の世界の『ロボット』を思い出した。
パートナーであるべきか、道具であるべきか。今でも多くの論議がある。

「まぁ話が長くなりましたが、
　僕らの場合は再召喚時にエンブリオの姿は変化しているのが普通です。」

ここまで聞いて引っかかった。該当しないエンブリオが一つある。

「アルラウネは確か、契約した時のままだったはずだが？」
「ええ、それも謎なんです。こんなの前例、聞いたことがありません。」

小僧は頭を横に振る。

「変化していないから型式のアルラウネで召喚しているんですが、
　最近ちょっと姿が変わった気がするんですよね。
　変わったというより、変わっていると言うべきか。
　ほんの少しなんですが、毎回召喚するたびに顔も変わるし。」

顔の整形手術に失敗したら同じような事になるらしいが
今は不謹慎であろうと思い、口は閉じておいた。

「何らかの理由で変化が遅れているんだと思いますが、
　どうしてだか気になります。真名が分からないと実力発揮できませんよ。」

口を尖らせつつ、小僧は辞典を閉じた。

「まぁ、アルラウネは今のところどうにも出来ませんし、
　ドールについても実際に召喚しないと
　姿が分からなくて真名を探すことが出来ません。
　今度戦闘で召喚してみませんか？」
「分かった、ではそのように戦術を組んでみよう。」

話を終わらせて、私は荷造りを再開する。
何故契約していないエンブリオの契約刻印があるのかは分からずじまいだが
手がかりがなければ調べようがない。

いずれにせよ、召喚したら何か分かるはずだ。
私はそう考えていた。


◇◇◇


戦場に召喚されたドールのエンブリオは、
陰鬱とした表情で散弾銃を抱える、セーラー服を着た黒髪の少女だった。
他ならぬ、昔の私の姿である。

私も小僧も驚きを隠せなかったが、
これが辞典に明記してある筈もないので真名は分からずじまいだ。
……いや、検討はつくが認めたくないというのが本音なのだが。

何故これが召喚者を通さずに契約された事になっているのか、
何故そのエンブリオの型式がドールなのか、
何故召喚されたドールは昔の私の姿だったのか。

最近私に警告したきた声は、昔の私の声だった。
誰かが昔の私の姿を利用しているとしか思えない。

恐らくこれは、メッセージなのではないか。
人形は人形らしく、大人しく口を閉じていろと。
だとすれば『召喚者』を任意の意図に誘導するために
『干渉者』を牽制したことになる。

こんな事が出来るであろう存在を私はひとつしか知らないが。

奴の目的は分からない。だが明確な意思は持っているようだ。
では『意志ある人形』が教えてやるとしよう。
人間というものは、そうそう他人の筋書きには乗らないということを。





To Be Continued......


※今回、日記にPMをお借りしました。

自分からお茶を誘ったくせに緑茶をよくわかっていない。