「人は一人では生きられないのか。」

　その哲学的な問いに対して心底から悩み、答えを出した者がどれだけ居るのだろうか。
先日、この世界で知り合った女が口にした言葉である。
きっと多くの者がその他愛も無い想像を一度は脳裏に思い浮かべながらも、実際に一人で生きてみようと試みてはいない筈だ。
偉そうな事を言う心算は無い。
このグレイナードにしろ、真に一人で生きた事は無いのだから。

　生まれ育った貧民街で家族という存在を失ったのは、恐らくオレが7〜8歳の頃だったのだろう。
もはや顔も思い出せないが、確か母と妹が居た筈だ。
今でも僅かに思い出せる記憶の一つには、母が幼い妹を抱いてあやしている光景がある。
二人を失うまでは、少なくともオレは一人で生きて来たとは言えない。

　その後、二人を失ったオレは貧民街から抜け出し、貧乏な冒険者の男に拾われた。
貧乏な癖に縁も無い子どものオレを拾ったのは、あの冒険者が俗に言う"お人好し"だったのだろう。
もしくは"小心者"と言い換えても良いのかもしれない。
目の前で倒れた飢え死に寸前の子ども、それを見て見ぬ振りが出来ない程度にお人好しで、小心者。
妥当な評価だと、今思い返せばそう思える。

　もっとも、随分と扱き使われたものだった。
荷物持ちや雑用役の為に拾ったという冒険者本人の言葉は、照れ隠しを多少なり含んでいたが概ね事実だったと言えるだろう。
奴隷のような扱いでは無かった点は認めるが、兎に角拾われてからその冒険者と過ごした数年間、オレは小間使いのような毎日を過ごす事になったのだ。
その時もまたオレは一人で生きていた訳ではなかった。

　一人で日銭を稼ぎ、糧を得るようになってからの冒険者生活を「一人で生きて来た」と言えるかは、定義の仕方にも拠るだろう。
「自立した人間として、他人に依存することなく、他人との私的な関りを必要としない生き方」というならば、このグレイナードは一人で生きてきたと言える。
もっとも、こんな生き方ならば冒険者の中にはそこそこ居る訳で、哲学的な問いの答えとしては面白くないだろう。
ならば、真の意味で「一人で生きる」を実践するには、文字通り他人との関りを一切断つ事が必要だろう。
それは案外難しい。街中で過ごせば一人で生きることはまず不可能である。
神仙のように山に篭るか、漂流者のように孤島に住まうか。
其れをして初めて人は「一人で生きられないのか。」という問いの答えを捜すことが出来るのだ。

　それは大層不便なことだろうと容易に予想できる。
このグレイナードは、基本的に人間関係が"苦手"だが、それでも便利さを優先したい人間だ。
多くの人間もまた同様だろう。
もし、その不便さを悟って尚、一人で生きる選択を選んだのならば、選べたのならば。
そいつは人間が"嫌い"なのだろう。"苦手"以上の人間嫌悪…憎悪とも言えるだろう。
「人は一人では生きられないのか。」という哲学的な問いには「人間を心底より嫌えるか否か」という問い掛けが潜んでいるように思える。

　思えば、否定の世界と呼ばれたあの世界こそ「一人で生きられないのか。」という問いへの答えを知るチャンスだったのかもしれない。
メルンテーゼよりも遥かに人の心が荒み、冒険者同士の奪い合いが全くの自然の行為として受け入れられた否定の世界。
あの世界ならば「人」という存在自体を嫌悪憎悪し、人との関りを一切断つ人間が居てもおかしくはなかっただろう。

　しかし、あの世界においてでさえ、人は街を設け、最低限のルールに則って生活をしていたのを覚えている。（街中での戦闘は行わないなど）
それはつまるところ「人」の限界ではないだろうか。
他人を全く信用出来ず、食料も金も当たり前のように奪い奪われる世界でさえ、最低限のルールを作って人は群れていたのだ。
それは何故か。
結局は人は「人」という存在を憎悪しきれないのだろう。（不便さも大きな理由ではあるのだろうけれど）
故に「人は一人では（多分）生きられない。」という解答に落ち着く。

　但し、勿論何事にも例外はある。
人と関らずに一人で生きている人間が、何処かに居るのかもしれない。
もっとも、そんな人間は人間世界においては「居ない」存在も同然（認識出来ない）なのだから、結局「人は一人では生きられる（断言）」という解答は世に現れない。
哲学的な問いは、何時までたっても「哲学」のままに有耶無耶になるのだろう。

嬉しそうである。

のんきに喋る少女の薔薇は、変わらず赤く、咲いている。
ほんの少しだけ。血の香りを漂わせて。

ほんのり、微妙に、得意そうな顔をしている。

　
　　　　　 にやついた笑顔から一転、自然に笑うと遠くを見据えた。

　
　　　　　 頑張りなさいな武辺者さん、と付け加え。
　　　　　　 心なしか、共闘を楽しみにしている雰囲気が感じ取られる。

　
　　　　　　右手に、魔術力場を形成した。

　
　　　　　　興味深そうに手に取った。

　
　　　　　　静かに笑って、右手に魔術力場を形成した。