過酷な熱気に満ちた曠野は冬を迎え、新たな表情を見せていた。
うだるような暑さは消え、かといって厳しい寒さを孕んだ風が吹き荒ぶ事もなく、春先のような暖かな気候がこの地を旅する人々を包み込んでいる。
しかし地は変貌したわけではない。やはりよく見れば此処は生きとし生けるものを拒む過酷な場所だった。
相も変わらず生命の息吹はどこにも見当たらない厳しさは健在であり、入念な準備をしなければすぐさま別の場所へと逃げなくてはならないことは、再び足を踏み入れたイリスたちには容易に想像がついた。
山岳の旅の足を休めること無く踏み入れた彼女たちに、長居をする余裕はない。
今日が久方ぶりで、そして最初で最後の曠野で迎える夜だった。
雲ひとつ無い空には三日月。光の悪戯か、空は夜半を過ぎたというのに橙と紫を静かに溶かしこんだように明るい。



さらり、さらり。
絵本に描かれるようなコントラストの空と月の下、少年が一人砂を静かに掬っていた。
砂の民。
絵本であればそう表現されるであろう少年は、掬いあげてはこぼれ落ちる砂をしばし見つめ、持ってきた白いシルクの袋の中へと落としこんでいく。
辺りに風はない。少年の靴が砂を微かに踏み鳴らし、袋の中に砂がさらさら落ちる。二つの音が全てだった。

「フィン」

いままでは。
可憐な少女の声が、音が交じる。
ぱっと手を払い砂粒を落とせば少年、フィンは頬を掻く。
聞き間違えるはずがない、この声は自分の主、イリスの物だ。
自分がテントを出るまではぐっすりと眠っていたはずの。
振り返れば、やはりそこには。

「起こさないよう静かに出たつもりだったんだけどな。ごめん」
「あぁ、いえ。違うのよ……起きたのは別の用事よ。貴方のせいじゃない」

ゆるく頭を振り、イリスは傍らの袋を何気なしに眺めていた。

「そっか」
「……砂を？」
「これがないとザントマンとは言えないからね。折角立ち寄ってくれたし、たっぷり袋に詰めておくんだ。君、最近よく砂を使ってるだろ？」

袋には半分ほど砂が詰まっている。一杯になるまでもうしばらくは時間が必要であることは、言わずともイリスには伝わったのだろう。

「あたしも手伝うわ。その辺りの砂でいいのよね？」
「いや、それは悪いよ。エンブリオの僕は寝なくても平気だけど、君はそうじゃないだろう？　僕に構わずまたおやすみ」

手伝いの申し出が来るのもフィンには容易に想像ができたので、断る言葉もすらすらと紡がれる。

「……どうしても、だめ？」
「……いや、どうしてもっていうなら、そりゃあ。手伝ってくれるのは嬉しいし」

しかし上目遣いに此方を見ながらお願いをされてしまうと、毅然とした態度で断れるほどフィンは成熟してはいない。



さらり、さらり。
かくして砂を掬う影は二つに増えた。

「言ってくれればお昼の空いた時間でも手伝ったのよ、フィン？」
「月が出てる間じゃないとダメなんだ。太陽の砂に、僕らの力は無い」
「今は、月の砂ということ？」
「そう。人間はもちろん草木までもが眠りに落ちるこの時間の間だけ、砂は眠りの魔力を持つんだ。月光だけに三日三晩晒したシルクで作った袋の中に入れれば、その魔力は永続する。ザントマンはその砂の力を引き出すことに長けた種族なんだ」
「貴方達の力の源は、月にあるのね」

ふとフィンが目を向ければ、イリスは掬いあげた砂を目の高さまで掲げ、零れ落ちる様を眺めている。

「……素敵」

三日月とおとぎ話の空を背景に、目を細め微笑む彼女の姿はあまりにも美しすぎて。
思わずフィンは、息を呑んだのだった。

「フィン？」
「えっ？　い、いやなんでもないっ。さっさと詰め終え——」
「一つ聞きたいことがあるの。いいかしら？」

手当たり次第砂を袋に投げ込み始めたフィンの手は、すぐに止まった。

「聞きたいこと？」
「えぇ。難しい質問かもしれないけれど」
「まぁ……聞いてから考えるさ。なんだい？」

砂を一掬い、袋に流し入れながらイリスは言った。

「フィンにとって、生きるってどういうこと？」
「生きる？　生きる、か……」

しばし考え、フィンは答えにたどり着く。
真剣に考えたことこそ無かったが、自分の中には言葉にできる程度の答えが、あった。

「僕が生きるのは誇りのためだ」

イリスが驚きに目を丸くしているのは、きっと予想以上に素早く答えたからだろう。

「君は、悩んでるのかい？」

そして口にした問いに、自らは悩んでいるのであろうとフィンは推察する。

「……そうね、少し」

イリスは視線を彷徨わせ、困ったような笑みを浮かべる。

「ねぇ、よかったら詳しく聞かせて。貴方にとっての誇りとは何？」
「言うまでもなくザントマンとしての誇りだよ。ザントマンとして生まれた僕は、それを誇りに思っている。人々の眠りを司る砂の民という役目をね。時代の流れとともに、忘れ去られている事実があったとしても……僕たちは生き続ける。それを信じる人が一人でも居る限り。それが誇りであり、僕が生きる理由さ」
「フィンは、どうしてそれを誇りに思うようになったの？」
「どうして？　うーん……。色々あるとは思うけど、僕を育ててくれた他のザントマンの人たちの影響が一番大きいんじゃないか？　お前は誇りあるザントマンとして生まれたのだーとか、まぁお説教だよね。何度も言われ続ける内に、自分もそんな気になった」

袋はもうすぐ一杯になりそうだ。
何度か持ち上げて落とし中身を整えながら、フィンは考えこむ様子を見せているイリスに問いかけた。

「君は生きる意味が、何も解らないのかい？」
「ううん、違うわ。ただ……」
「ただ？」
「そうして誰かに感化されて生きる意味を見出すのが正しいことなのか、解らなくて」
「もし良かったら聞いていいかな。君の生きる意味」
「あたしは……家族のため。友人のため。命知らずなことをして、彼らを悲しませたくないから生きるの」

イリスは小さく頷き、慎重に言葉を選んでいる。

「うん」
「けれどその生きる意味の中に、あたしの意思は、あるのかしら？　あまりにも他人に依存しすぎた意味ではないかしら？」

イリスの瞳に宿る光は珍しく揺らぎ、戸惑っていた。
悪戯に沈黙の時間を挟んでしまう訳にはいかないと、フィンは片目を閉じ顎に手を当て——考えるときの癖だ——その疑問に答える。

「恥じることじゃあ無いよ。生きる意味ってそういうものだと僕は思うな。その依存先が形ある誰か別の人であったり、形のない種族の誇りであったり」
「……うん」
「何物にも依存せず存在する生きる意味は、有り得ない。自分のため、そう解釈をしたって必ず別の何かが関わっているはずさ。……動物はなぜ生きてると思う？」
「繁殖の、ため？」
「そうだろうね。でもこれだって異性の相手が居なければ成立しないんだ。おそらく最も単純な生きる意味、それにすら別の何かが関わっているんだ。自分の思い一つで、生き物は生きられない筈だと僕は考えるね」

イリスは何度も何度も頷いた。そして指先を弄りながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「……アエレアに」
「うん？」
「アエレアに、あんな危ない真似は二度と許さないって言ったの。そうしたら彼女に聞かれたの。『何故、生きなくてはいけないのか？　そして何故、身を犠牲にしてはいけないのか』」
「……どう答えた？」
「貴方が大切な仲間で、あたしは貴方のことを大切な友人だとも思っているから。危険を承知であたし達を護るため行動してくれたことは嬉しい、だけどそれ以上に悲しかった。二度とアエレアとお話もできなくなるのではないかと気が気がじゃなかった。だからやめてほしい、貴方と二度と会えなくなるのは絶対に嫌だ、と」

正直に答えたものの、相当気恥ずかしかったらしい。
イリスの顔に仄かな朱色が刺していくのをフィンは見逃さなかった。

「……僕は彼女のことは相当な変わり者だと思っているし、そう君が答えたのが正解かどうかなんていうのもわからないけれど、僕だったらすごく嬉しく思うし、君の言葉に従おうと思うね」
「ありがとう……」

イリスの瞳の中で揺らぐ光は、少しだけ収まったような気がする。
会話の合間合間に砂を入れていたお陰で、袋も口まで一杯だ。

「主のためならなんのなんの、ってね。……あ」
「……どうしたの？」

袋の口元を縛り、背負いながらフィンは微笑む。

「生きる意味、今はもう一つ。主のため」
「あ……」
「……はい、戻って寝た寝た。お手伝いありがとうご主人様。助かったよ。だけどもう、おやすみの時間だ」
「うん……おやすみ、フィン。……ありがとう」

今度は自分が気恥ずかしさを感じてしまって、フィンはわざとらしく咳払いをしたのだった。

頷きながら話を聞いて、少しだけ表情を緩めました。

先日あったときとは体の動きが軽くなっていることを見て、納得したようです

ぺちぺちと叩き続けると、水晶玉にぼんやりと映像が映り始めた

下から見上げるような形で白いブラウスに藍色のスカートの猫耳の女性が映っている

スズメが木の上から降りてきた。地面の上をちょんちょん跳ねて近づいてくる。

ちゅん、と鳴いた。

おなかの黒い模様の部分を、くちばしでつついて見せる。

スズメの呼び名はアバウトすぎた。

——切り株に座り、物思いに耽っている身なりの良い少女に気づき、てこてこと金狐が近づいてくる。

物凄く気さく気楽に話しかけてきた！　コマンド？