ある寒村の近くの森に一匹の狐が住んでいた。
狐はほかのそれと同様に言葉を持たず、しかしそれでも不自由なく獣としていきていた。
　ある冷害の年。森には食料となる木の実が少なく、それを餌とする小動物も減り、食べ物の確保が難しくなった時のこと。狐は空腹にあえぎながら、やむなく夜に人里へと下りた。
ふらふらとした足取りで民家の裏を通った際、何やら動物の肉が落ちているのを見つけ、一も二もなく近寄ると鉄の格子の中に入っているらしい。はて何だろうと一瞬いぶかしんだものの空腹には勝てない。狐は肉に近寄ると肉に齧りついた。
　すると、背後で重いものが落ちる音が聞こえる。しかし構ってはいられず夢中で食べてしまった。気付いた時にはもう遅かった。
　格子の扉はどうやっても開かない。カリカリと齧ってみてもどうにもならず仕舞いである。
　そうしていると、だんだんと目の前が霞んでくる。先ほどの肉に何か盛ってあったのだろうか。
　噛みつく力も徐々に失われ、ついには気を失ってしまった。


　さてそれからどれほど時間が経ったのか判然とはしない。
　狐はいつの間にか格子の罠から外に出され、目を開けた時には森の中、大きな木のうろの中で横たわっていた。
　かさり、と枯れ草が鳴る音がして、眼だけが音を追うと、そこには白い毛に覆われた狐の姿があった。
　白狐はくわえたネズミをこちらに寄越し、食べるよう促すと、またどこかに行ってしまう。


　そのようなことを数度繰り返し、狐は体を動かせる程度に回復した。それどころか以前に比べなお具合がよくなっているように感じる。
自身の力だけではなく、何かほかのものが内側にあるような、奇妙な違和感がある。

自分の体になにがあったのだろうかと不思議がっていると、白狐が現れ言った。

狐を助けたのは自分であること、餌には毒が盛ってありこのままでは死んでしまうところだったこと。せっかく助けたものをこのまま死なすには惜しいので、ひとつ私の力をもって、命を与えたのだ、と。

　白狐は平然と言った、よく見るとその尾はいくつかにわかれていた。尾先裂（おさき）と言うらしく、聞けばもう幾年生きているか分からぬとのことだ。
　続けて言うことに、自身の持つ力のひとつであるところの火蜥蜴を移し、もって毒を払ったというとのことだった。

　それから狐は、しばらくこの白い狐にひっついて回るようになった。
　白狐は色々なことを知っていて、狐に様々なことを教えるようになった。
　人の化かし方、身姿の欺き方、どのように生きればよいか、修行の方法や神通力の扱い方。狐はそうしているうちに、いつしか狐狸精へと成っていった。
　白狐は特に化けるのを得意とし、時には遠く離れた大きな町に人間の姿で入り込み、木の葉のお金で食べ物や人間の道具を騙し取ったりしていた。隠れ家には、そうした人間の道具がたくさんしまってあって、狐は目を輝かせてそれらを見ていた。

　人間の道具が好きかいと問われ、狐は答えた。

　「はい、人間はすごいです。こんなものが作れるのだから。何につかうのかわかんねーものもありますけど。」

　では変化が滞りなくできるようになったら、ここにあるものをひとつあげようというと、狐は大層喜び、ますます熱を上げるようになった。

　狐はそれから昼夜ないほどに修行を続け、ついに変化の術を会得するに至った。
　白狐は町に向かったきり、まだ戻っていなかった。

　しばらくして、道行く旅人が道すがら話す声が聞こえてきた。
　このころになると狐は人の言葉を解し、話すこともできるようになっていた。草むらからそっと聞き耳をたてると、なにやら町で珍しい毛皮を見たという。
　白い狐の毛皮なのだが、町で人をだましていた化け狐の毛皮なのだという。

　急いで町に向かい、覚えたばかりの変化の術と白狐のすみかから借りてきた服を着こんで噂の元へと向かった。
そこで見た白い狐の毛皮は、あの白狐の姿とは違うものだと狐は思った。
　あの毛皮の狐は尾が１本しかない。別のものだ。
　ただの狐違いだったと胸をなでおろし、なれない後ろ足での歩行にもたつきながら、町を出て森へと帰った。もしかしたら行き違いで帰っているかもしれない。

　すみかに戻ると、そこは何も変わらず、ただあの白狐が集めたものが散乱しているだけだった。


　あれからどれくらいの年月がたったか。
　狐はいつしか町に出入りするようになっていた。多少のいたずらをしながらも、自身が狐であることを隠さずにいると、人々は意外にも友好的に接してくれることに気付いた。
　胸の火蜥蜴は、もうなくてもよいのだけれど、もはや半身といってもいいぐらいの時間を過ごしているので、花を貰って維持することにしていた。

　あれから白狐は帰ってこないが、きっとどこかで暮らしているのだろうと思った。
　そういえば、あの白狐は自分に一体なにを与えるつもりでいたのだろうか。すみかを整理しながらふと思い出していた。ひとつだけ大事にしまわれていたものがあったことを思い出した。
探しだしてみると、丁寧に厚手の布に包まれていたのは、儀式につかうための鏡だった。
　狐は、そうだこれを貰おうと思った。他の人間の道具も面白いけれども、不思議と惹かれるものがあった。
　これであの狐から貰ったものは、胸の火とこの鏡の二つである。尾はまだ分かれないけれど、いつか立派な妖孤になれるだろう。

　いや３つ。大切な名をもらったのだから。


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そして現在。

ぴく、と肩を震わせ、狐耳の女に向かって振り返る。
非常に怒っているようだ。

覚悟は良いか？　とそちらを見ている。
本当に、本当に怒っているようだ。