夏の夜だった。手を汚れた泥のなかへ差し入れることに決めていたその日にも私たちはいつもと変わらないまま笑い合った。つとめてというほどの営為も要らなかった。あれこれのずいぶんと整った仕立ての衣裳を見て回るのは楽しかったし、そうした楽しみのなかにちらほらと見る銘々の革命軍あるいは一揆衆へ仕掛け掠取する自然の空想に罪悪感を見出さないほどには悪は私たちに身近だった。前の持ち主のたしかにいた荘園を真っ当な手続きのひとつもなしに奪い取った私たちにとって殺しや掠奪は日常と言えないまでも親しかった。私にもフィガロにも、無論のこと誰よりひとしなみの倫理に無縁のヤールは言うまでもなく。

クロマ・セロシアという古風な響きを冠するクチュリエを見つけてきたのはフィガロだった。身にまとうものに頓着のないヤールの衣類を見つくろうのは彼に戯れに娘と呼ばれる私たちの仕事でもあり少しは楽しみでもあったが、私やフィガロにもまたそれぞれの衣服や身飾りにそれなりの（フィガロに限ってはそれなり以上の）趣味やルールがあった。メルンテーゼに手に入る衣服は仕立ての丈夫こそ悪くないものの美観にはいささか劣るものがあり、のみならず私の着られる女物の丈の服は皆無だった。……ゆえにこそそうした世界間を渡航する力ある行商の衣服は物珍しかった。

自らの着る服であるなら私はいつも結局のところ自分で縫製していた。手足も背丈も長いに過ぎる私の肉体が自然に導く衣裳の女物の基準を超えた大きさはレルヴォヴェールにも見合うものは少なく、結局のところいつも母がの手に作られていた……母の死してからは、母からいささかは手ほどきの受けた私の手に、少しずつ。

夏にあてがわれたドレスは涼しかった。柔らかな生地は明らかに高級なもので、縫い目を感じさせない仕立ては軽々と肉体に寄り添い、なによりも色と形へたしかに一級品の趣を刻印していた……天賦の才と努力の噛み合った、どの世界にも一握りはいる一流のクチュリエの服。袖を通すと懐かしい眺めが脳裡に幾度か明滅した。王侯貴族を真似たブルジョワたちの舞踏会の、それとも学生たちのパーティの、あるいは政治的な思惑を迂回された食事会の……そうした生ぐさいそれぞれの会合たちに抑えがたい嘔吐感と少女の日の私はいつも争いながら、それでも服と化粧は楽しかった。首輪めいたコリエにもソトワールにもついに馴れることはなかったが、歩けそうにないかかとの高い靴の真新しいきらめきや背中を覆う普段着と遠く離れた布地の触感の緊張はそのたびごとに愉しみにしていた。なにもかもフィガロには——タカージュドールの女、女であることという疎外の形式を突き詰めて洗煉した鳥籠の世界の女には敵わない。それでもフィガロの隣で身飾りをあきらめることはなおさらぶざまだった。それぞれの分の通りの服があればよかった、そこをことさらに間引かない、卑屈さも無理もない服があれば——クロマ・セロシアは私に似合いだった。それにフィガロにも。まるで違う二人の女に寄り添うように成立するひとつのブランドのラインは、なるほど確かに贈り物めいて奇蹟的だった。優れた職人が時には起こすたぐいの奇蹟であったにせよ。

ヤールの服をフィガロとあれでもないこれでもないと引っ張り出しながら（かの盲いた父にはさほど色が似合わなかった、それは色を纏わない、色から隔てられているその全身の気配に由来するものであったかもしれない。強い色を愛する私にはそれは分の悪いモデルだった）、更けていく夏の夜はたしかに楽しかった。どこかに虫が鳴いていた、メルンテーゼの夏に己の生まれ出る時を守って、その形を愛ともとらない本能にうながされて鳴く虫の声が。フィガロの肩胛骨の落とす影がためらいがちな翼のようにゆらめき、私はそのたびに空の未知へ飛びあぐねる鳥を錯覚した。私たちに悪は身近だった、少なくとも掠奪や傷害は——けれどそれらは官吏や貴族の目の及ばないあの田舎の荘園の内々に済ませられていた。今私たちがクロマ・セロシアに何人もの客を、あるいは遠巻きの何十人かを見るように、それらすべての瞳も時には私たちを見ていた……悪は名指された時に罪として社会的に消化され始める、そしてこのメルンテーゼでその社会化は、シンプルな賞金制をとるのが習いだった。そうなればもはやメルンテーゼにまっとうな暮らしを望むことは難しかった。……

ひとつの夏が過ぎようとしていくその夜は、私たちにとっても決定的ななにかが訪れて過ぎようとしていく最後の夜だった。一夜ごとに死に絶えていくもろもろの過去、とどめがたく諦めがたいそれぞれの過去の、引き止め得ない横顔は、すべての儚いものと同じくエフェメラルな愛着をくすぐらずにはいなかった。血と闇、破滅と罪業、飛ぶことを赦されない禁忌の空、そうしたものが行く手には満ち満ちて、背を向ける機会はいくらもありながら、私たちはそこへ向けて自己を抛る道行きにもはや腹をくくっていたのだった。世界は変わっていってしまう、私たちもまた。幻のように私たちの前に姿を見せたクロマ・セロシアは、エンブリオたちのあの無私のギフトのように私たちの夏を彩り、そうしてすべての過去のように時間に足並みを揃えて失せていったのだった。……その日を思い出すよすがは多くはない。今となっては。ただ記憶とルヴナンがその眺めへ時おりは私たちを導いていく。あの日、私たちがたしかに穢れなき者であることを詐称できていた最後のあの日に。……